第55話 少し塗り忘れてしまったかも

 それからしばらくして――エレインは人気の少ない湖畔にいた。

 やはり、ある程度中心部から外れてくると、静かに過ごしたい客向けに入場制限をしている場所があるようだ。

 早い話、利用するのに多少高くつくというわけだが――幸い、エレインは金に困っている身ではない。

 パラソルと椅子まで用意されているし、すぐ近くには売店もある。

 十分にゆっくりできる環境だろう。

 ルーネが売店で必要な物があると言って買いに行き、今は戻りを待っていた。


「エレイン様ー!」


 ルーネが急ぎ足で戻ってくる。

 見ると、手に何か液体の入った小瓶を持っていた。


「なんだ、それは」

「日焼け止めです。取り扱っていたみたいなので、買ってきました」


 日焼け止め――エレインとは無縁の言葉であったが、確かにルーネの肌は白く、屋内での生活も多かっただろう彼女にとっては必需品かもしれない。

 ルーネはすぐ近くに敷いてあるシートに座ると、小瓶から液体をすくって身体に塗り始める。

 オイルというものは、随分と質感にぬめりがあると言うべきか。

 ルーネの肌が艶やかになっていくのを、横目で見る。

 いわゆるお肌の手入れというものだろうか――ルーネは少し楽しそうな様子だった。

 手足も含めて濡れるところは一通り塗ったところで、 おもむろに胸を隠している水着を外し始めた。

 ここは人目が少ないとはいえ――エレインはさすがに周囲を警戒する。

 彼女も無警戒、というわけではないだろうが、部屋を出るのを躊躇っていた先ほどに比べると、随分環境に適応してきたと言えるかもしれない。


「あの、エレイン様。お手間でなければ、一つお願いしてもいいでしょうか?」

「構わない」

「でしたら、背中に日焼け止めを塗っていただけると、嬉しいのですが……」


 どうして水着を脱ぎ始めたのかと思えば、そういうことか。

 エレインは頷いて、ルーネから日焼け止めの入った小瓶をもらう。

 手触りとしては滑りがよく、ひんやりとした感じだ。

 ルーネはいつでも、といった様子でうつ伏せの形になった。

 エレインは手につけた日焼け止めをルーネの背中に塗る――


「ひゃんっ」

「――」


 随分と、可愛らしい声が耳に届いて、エレインの動きが止まった。


「す、すみません! ちょっと冷たくて……」

「……平気ならいいが」

「は、はい、構わず続けてもらえれば……」


 ルーネがそう言うので、エレインは再び日焼け止めを塗り始める。


「ん……っ」


 ぴくり、とわずかに彼女の身体が震えた。

 拳を握りしめているところを見ると、本当に我慢しているようだ。

 ――ルーネは確かに、肌は敏感な方かもしれないが、この反応はエレインにとって新鮮だった。

 いや、不意打ちというべきか。

 お互いに、愛し合っている身であるとはいえ――その気がなかった状況での、突然に見えたルーネの弱い部分。

 エレインはゆっくりと、確かめるように日焼け止めを塗っていく。

 ルーネの呼吸は少しずつ荒くなっていくのが分かる。

 彼女が顔を上げてこちらを覗く表情は、まるで誘っているかのようであった。

 思わず、エレインも息を飲んでしまう。


「く、くすぐったいの、ちょっと苦手で……」


 ようやく、ルーネが観念したように言う。

 自分で塗る分には問題ないのだろうが、人に触られるのは違う、ということだろう。


「背中はもうすぐ終わるから、我慢できるか?」

「はい、大丈夫です……あ」


 ルーネは何かを思い出したような仕草を見せて、言う。


「胸の辺りも、少し塗り忘れてしまったかも、しれません」


 うつ伏せのままで、その表情は見えないが――耳が真っ赤になっているのが分かる。

 思いついて口に出た言葉なのかもしれないが、今は誘っているようではなく、明確に誘っている。


「なら、そこも私が塗ろう」

「……お願いします」


 ルーネの了承を得て、エレインは再び日焼け止めを手につけた。

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