【4】デーミウルゴス

第127話

日本脳科学研究所に足を運んでみたものの、楠方友則と会うどころか門扉の中に入ることすらできず、英理はやむなく接触を明日へ持ち越すことにした。


弥生の携帯電話も、着信履歴に残っていたナンバーにかけ直してみたが繋がらず、事情を知っていると思われる久世についても連絡がつかなかった。


今考えると、久世はあえて弥生の手がかりを渡したように思えてならない。


弥生に頼まれて協力し、役目を果たしたら後は関係ないということなのだろう。


九月に入ったというのに蒸し暑く、透明な蓋で密閉されたように大気は淀み、重い水を孕んでいた。


アパートの扉の前に座り込んでいる凜を見たときは、嬉しさと戸惑いが込み上げて言葉が喉を滑った。


凜は立ち上がり、ばつの悪そうな笑顔で、


「お帰りなさい」


叱られた犬のように、ポニーテールの尻尾が心細く揺れている。


英理は凜の頭に手を置いた。


「危ないだろ。こんな遅くに一人で」


「うん。ごめんなさい」


素直に謝る様子がいじらしい。


今日はコスプレもしておらず、優しい桃色のカットソーに黒いスカートを合わせている。仕事帰りなのか、かっちりとした大きめの鞄を持っていた。


英理はすぐに鍵を開けて、凜を部屋に招き入れた。


「お疲れ。とにかく入って」


「お邪魔します」


律儀に脱いだ靴を揃える凜を背後に、英理は部屋の照明をつけた。


暗闇に浮かび上がる冷蔵庫と洗濯機、奥のドアに六畳ほどの縦長のリビング。


狭い部屋だったが、物がないせいか圧迫されるほど窮屈ではなかった。


「ご飯は?」


「食ってきた」


「だと思った。じゃ、これね」


と言い、凜は白いスーパーのビニール袋から、ビールと缶チューハイと、裂きイカとチーかまと柿の種を取り出した。


英理は目をみはる。


「珍しいな。凛が酒買ってくるなんて」


凜は「いいから、飲も飲も」と言って、小さなテーブルにそれらを広げて缶を開けた。


二人とも、しばらく無言で酒をあおる。


疲労した体の毛細血管と細胞の一つ一つにまで染み入るような、異様に美味い酒だった。

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