めぐる言葉

「それから?それからどうなったの?」


 かつて「禁忌の森」と言われた緑の森。切り株に座った男は、周りに集まった子供や若者たちをぐるりと見渡した。

 雄牛のような大男の膝に恐れもなく腰かけた小さな男の子が話の続きをせがんでいる。


「それから……魔女はちからを奪われて死んでしまいました。めでたしめでたし」

「えええー!それで終わり?竜は?姫様とカエルはどうなったの?狼や仔豚や鷹は?」

「今日はもう遅いからまた明日な」

「またここに来るの?」

「ああ、来るよ。友達を待ってるんだ」


 巻き毛の男は髭の中から白い歯をこぼれさせ、人懐こい笑顔を浮かべた。


◇◇◇◇◇


 黄色の蝶が群れを成して飛ぶ。

 あれは、あの色はなんだった?実行?そこから先はあまり覚えていない。


 眩いばかりの閃光が僕の内側から放たれ、鎖が弾け飛ぶ。視界いっぱいの白い光、遠くで人々の悲鳴が聞こえた。


「白竜よ!」


 誰かが叫ぶ。僕は頭を軽く振った。いつの間にか頭痛も体の痛みも消えている。

 見渡すと群衆が、お師匠さまがずいぶん小さい。広場から臨む白亜の城の尖塔にはためく旗の模様までもが見えた。


「レピ!!」


 お師匠さまの叫びと共に、ドン!!と辺りに衝撃が走る。巨大な土塊色の猪が、処刑場の高台を蹴散らし、邪悪な魔女とお師匠さまの前に立ち塞がった。

 その背には、マイノ、姫、ヴォジャ、アデーレの姿。被っていたローブを払いのけた姫は、猪の背にすっくと立ちあがり、煌めく金の髪を風に靡かせ、叫んだ。


「レピ!口を開けて!」


 それを合図に、マイノが結界に包まれた炎の花を高く投げ上げる。その後ろから風をまとった斑の矢が透明な器を突き破る。炎の花は一瞬大きく燃え上がり、矢ごと僕の口の中に吸い込まれた。


 予想していた痛みも熱も感じず、代わりに体の中に力が満ちる気配。自分の身体が変化していくのを感じる。

 ああ、これが、これが僕の身体。輝く蜜色の鱗、鋭い鉤爪、滑らかに動く長い尾、黄金こがね色の大きな翼。


 見下ろした歌姫の色が急速に失われていく。それでも奪った力は膨大なのか、残滓を残して萎れた花のような女の姿を保ったままだ。


「ローズ!今までどこに……心配しました」

「しらじらしい!」


 勇ましく吐き捨てた姫は、急にしおらしく態度を変えた女の足元に黒い石板を投げた。


「そこにお父様とわたくしに対する呪詛の言葉が書いてあるわ!お義母さまのお部屋から見つかったものよ。どう言い逃れするつもり?」

「そんな……誰かに仕組まれたのです、わたくしはそのような恐ろしいこと……」


 よよ、と泣き崩れようとしたその時、固唾を飲んで成り行きを見守る群衆の緊張を破り、広場の片隅で巻き毛の大男が調子外れな歌を歌い出した。


"カーカス・ウトゥコ

カーカス・ウトゥコ

今日は金色

明日は緑

美しいものは隠しておいて

みんな盗られてしまうから"


"カーカス・ウトゥコ

カーカス・ウトゥコ

今日は闇色

明日はこない

大事な名前は隠しておいて

全部盗られてしまうから"


 その歌声に、邪悪な歌姫は顔色を変えてガタガタ震え出す。


「や、やめろ……」

「あらあ、どうなさったの?お義母様?それとも……カーカス?」

「やめろおおおお!!!これは陰謀よ!お前たち、悪者どもを捕らえよ!」

「御意」


 歌姫の傍らにいた2人が音もなく進み出る。甲冑の重さを感じさせない身のこなしで、鈍色に光る得物を大きく振りかぶった。

 キン!と音を立てて弾け飛んだのは、お師匠さまの鎖。続いてはらりと縄が解けて床に散らばる。

 炎と氷を纏った剣は、真っ直ぐに歌姫に向けられた。兜を脱ぎ捨て現れたのは双子の狼。


「竜殺しなんて都合よくある訳ないだろ」

「我が君と大切な方を御守りするのは我らの使命」

「ふ、ふざけるな!ふざけるな!ふざけるなああああ!!」


 魔女はゆらりと揺らめいた。ぶわりと黒い気配が全身から噴き出す。身に纏う黒い服は歪み、体の輪郭が急激に変化を遂げる。

 赤く光る眼、大きく裂けた口、黒と銀の体毛、鋭い鉤爪、翼を広げたその姿は女の顔を辛うじて残した大きな鳥の魔物。呪詛の言葉を吐き散らし、天にも届くような金切り声をあげた。

 

キェェェェエエ!!!


 もはや人ではないモノが、近くにいたお師匠さまに襲い掛かる。僕は尾を打ち振るい、魔物の鉤爪を蹴散らした。


「レピ!」


 笑顔で両手を広げる彼女に、条件反射で頭を差し出す。おっと、今は撫でる髪がない。

 しかし、お師匠さまは僕の鼻面に頬を寄せて、鱗の1枚1枚を愛でるように撫でた。その優しい温もりにうっとりしていた僕は、続く小さな呟きに我に返る。


「はああ、金竜の鱗……万能アイテムゥ」


 ………こんな時でもお師匠さまはお師匠さまだ。あとでいくらでもあげるから、今は状況に集中してほしい。

『乗って』と、翡翠の目を覗き込むと、彼女は頷いて僕の頭によじ登り、首に掴まった。


「行くよ~、レピちゃん」


 土塊の猪に退路を阻まれ炎と氷の壁に囲まれた魔物は、風の矢を受けてもはや瀕死の状態だ。それでもギラつく赤い眼をお師匠さまに向けて、最後の足掻きを見せる。


「おのれ、おのれええええ。力を寄越せ、お前の下手な呪文や魔道具などよりよっぽど役に立ててやるわ。なぜだなぜだなぜだ、なぜあの女はお前たちだけを……」

「私たちは星の子供。命も愛も巡り巡るの。一つ所に集めてはおけないわ。ねえ、カーカス」

「いやだ、いやだいやだいやだしねしねしねえええ」


 しわがれた声、醜く歪んだ顔、大きく裂けた赤い口からとめどなく呪詛が零れる。膨れ上がる黒い気、お師匠さまは僕に掴まっていない方の手を振りかざし―――

 

「カーカス・ウトゥコ……汝の名を縛り命じる!今こそ星に還りなさい!」


―――あろうことか、指を鳴らした。



バアァァァァァァアアン!!!



 それはまさに、爆散。爆音と、爆風と、邪悪な魔女からこぼれ出たありとあらゆる力の色彩が宙に舞い上がる。赤、青、緑、黄色、紫、黒、茶色、オレンジ、ピンク、金と銀。

 大輪の花のような光と色の洪水に、広場は騒然となる。


「あっはっはっはっは!やっちゃった!!」


 悪戯が成功した子供の顔でお師匠さまが歯をむき出して笑う。

 やっちゃったじゃないよ。衝撃で人型に戻っていた僕の首に抱きついているのにまだ気づいていない。

 僕は、お師匠さまを背中からそっと下し、頬についた茨の傷跡を撫でて、治す。


「あら、あらあらあら、レピ。治癒魔法も使えるの?」


 僕は黙って頷いた。力は戻ってきた。何故か教えられずともそれの使い方が分かる。


「白い髪も赤い目も綺麗だったけど、この青い目も素敵ね」


 お師匠さまの指が僕の蜜色の髪を梳く。いつもの仕草、いつもの温もり、水の膜が目にかかり、お師匠さまの綺麗な翡翠の目が良く見えない。


「相変わらず泣き虫ね。ねえ、レピ、何か言って?もう声は出るんでしょう?声を聞かせて?さっきから私ばかり話してるじゃない」


 周りの喧騒が遠ざかる。ずっと。ずっと声に出して言いたかったことがある。

 僕は、僕は、僕は―――泣きながらお師匠さまの華奢な体を抱き締めて、耳元に最初の言葉おとを囁いた。


「あいしています」

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