第十二話 ~彼女と過ごす一日目・野球を辞めた人間がドラフト上位候補に勝負を挑まれました~

 第十二話





「彼女の名前は北島永久さんです。俺が結婚したいと思ってる女性です」



 その言葉に、俺の後ろに居た永久さん俺の横へと歩いて来た。


「ご紹介にあずかりました、北島永久と申します。彼からは『とてもお世話なった人に君を紹介したい』と言われてここまで来ました。グラウンドの選手を見れば、須藤監督がいかに優れた指導者がよくわかります。彼の優しさや誠実さの根底には監督の指導があっての事だと思います」


 永久さんの言葉に、須藤監督が嬉しそうに笑った。


「俺はな『野球が上手い』人間を育てたいとは考えていないんだ。特にコイツらみたいな小学生のうちは特にな。それよりも『挨拶』や『礼節』の部分を大切にしている。まぁ社会の『常識』と言われることだな。そしてそれが身につけば、たとえ野球から離れたとしても、一生の宝になるはずだと思っている」

「とても素晴らしいお考えだと思います」


 永久さんの言葉に、須藤監督が俺を見てニヤリと笑う。


「俺がお前に叩き込んだ『常識』のお陰でこんなしっかりとした可愛い女の子を連れてくるなんてな?」

「あはは。俺にはもったいないくらいの女の子ですよ」


 俺がそう言うと、須藤監督は少しだけ思案したあとに、こう提案した。


「北島さん。君は桜井が本気で野球をしている所。特にボールを投げている所は見たことがあるかな?」

「いえ、ありません。私が見たのはバッティングセンターで彼が打つ姿と、体育の時間のソフトボールでホームランを打って、校舎の窓を割った所くらいです」


 永久さんの言葉に、須藤監督が笑う。


「と、永久さん……校舎の窓を割ったのは言わなくても……」


 俺は苦笑いを浮かべながら、彼女に抗議する。


「おい、桜井。更衣室に俺のユニフォームの控えがあるからそれに着替えてこい。スパイクも俺のなら履けるだろ?」

「……え?」


 な、何を言ってるんだ須藤監督は??


「左利き用のグローブもあるし、準備運動とキャッチボールをしたらマウンドに立て」

「ええええ!!!???」


 マジで言ってるのか!?


「せっかく彼女が来てくれたんだ。お前の一番かっこい姿を見せてやったらどうだ?」


 と、須藤監督がニヤリと笑う。


 監督は、俺の『あの事件の事』を知ってる。

 だけど、今の俺を見て『それを克服した』とわかったんだ。


「はい。私も見てみたいです!!」

「と、永久さん!?」


 キラキラした目で俺を見てくる彼女に、俺は一瞬たじろぐ。


「南野さんはきっと霧都くんが本気で投げる姿を見てるはずですよね?私だけ見てないのはズルいです!!」

「あはは……そ、そう言われると弱いな……」


 俺は観念して、須藤監督の意見に従うことにした。


「……わかりました。着替えをしてきます」


 俺はそう言って、手にしていたスポーツドリンクの入った袋を須藤監督に渡す。



「差し入れです。準備をしてる間に、皆で飲んでください。彼女にはチョコレートバーを渡してありますので、そちらもどうぞ」

「おう!!いつも悪いな!!」


 監督はそう言うと、笑顔で差し入れを受け取る。

 そして、後ろで並んで待っていた選手たちに言う。


「桜井からの差し入れだ!!全員!!礼!!」


『ありがとうございます!!!!!!』


 十九人の小学生が一斉に頭を下げた。


「あ、圧巻です……」

「あはは……じゃあ少し待っててね」



 俺はそう言い残すと、更衣室へと向かって歩いた。



 グラウンドに一礼をしてから外に出た俺は、球場の中にある更衣室への向かう。


『更衣室』


 と書かれた場所に辿り着いた俺は、扉をノックして、誰も居ないことを確認した後に扉を開ける。


 中はきちんと荷物が整理されており、監督の変わらぬ指導力が見て取れた。

 須藤監督が使ってるロッカーは以前から変わってないはずなのでそこを開ける。


 中には予備のユニフォームとスパイクが入っていた。

 身長は負けているが、足のサイズは同じ29cm。

 ユニフォームも予備だがきちんと洗濯されている。


 俺は一張羅を綺麗に脱いで、畳んでロッカーにしまう。

 そして監督のユニフォームに身を包み、スパイクを履く。


 帽子を被るともうどこから見ても野球選手だ。


 鏡に映った自分の姿を見ると気持ちが引き締まる。


 そうだよな。やっぱりかっこいい姿を見せたいよな。


 俺は更衣室を出てグラウンドへと向かう。


 そして、一礼をしてから足を踏み入れる。


「お待たせしました」

「よし、準備体操をしたらキャッチボールだ。グローブはそこに用意しておいたぞ!!」


 須藤監督の視線の先には左利き用のグローブがあった。


「ありがとうございます」


 俺はお礼を言うと、準備体操を始める。

 しっかりと腕や肘、肩の筋を伸ばす。

 そして、下半身の健を伸ばして行く。

 だんだんと身体が暖まって来て、やる気のボルテージが上がってくる。


「監督。軽くキャッチボールから始めましょう!!」

「待ってたぜ!!」


 すごく楽しそうに監督が返事をする。


 この『待ってた』にはきっと今のことだけじゃなくて、『夏から』と言う意味もあるんだろうな。


 そして、俺も久しぶりに監督とキャッチボールが出来るのでワクワクしてる。


 俺は置いてあるグローブを手にする。


「……あれ?」


 軟式の用のグローブと違い、皮が厚い。

 グローブの中を見ると、硬球が入っていた。


「須藤監督!!これ!!硬球です!!」


 俺のその言葉に、監督が笑う。


「もう高校生なんだから硬球で良いだろ?遊びで触ってたこともあるだろ!!」


 まぁ……そうだけど。

 初めてでは無い感触に戸惑いはあるものの、せっかくの機会だし、楽しむか。


「了解です!!楽しくやりましょう!!」


 俺はグローブを嵌めて、硬球を握りしめる。


 10メートル程の距離からキャッチボールを始める。


 俺は監督の胸に目掛けてボールを投げる。


 軟球とは違う重さに戸惑うものの、キチンと制球されたボールは監督の胸に届いた。


 パシン!!


 と言う良い音が耳に届く。


「良いスピンが効いてるな!!」

「ありがとうございます」


 パシン!!パシン!!パシン!!パシン!!


 と俺たちは会話をしながらキャッチボールをしていく。


 楽しい!!本当に楽しい!!


 キャッチボールはやっぱり楽しい。


 そして20メートル程の距離でキャッチボールを繰り返した後に、監督が言った。


「よし、桜井!!マウンドに行け!!」

「はい!!」


 俺は監督の指示に従い、マウンドへと駆け足で向かう。


『久しぶりに桜井先輩の投球練習が見れるぞ!!みんな早く移動しろ!!』

『おう!!』


 小学生たちが一斉にバックネット裏へと走って行く。


『ほら、桜井先輩の彼女さんもこっちこっち!!』

「え……あ、はい!!」


 永久さんも小学生に連れられて、バックネット裏に行く。


『ここが一等席だから彼女さんに譲りますね』


「あ、ありがとうございます」


『桜井先輩。普段は柔和で優しい人なんですけど、ボール投げる時は別人みたいにカッコイイんですよ』

『ストレートは速いし、変化球もキレるし、コントロールも良いし、何より投球フォームがカッコイイよな!!』

『速球派左腕ってやっぱり男の理想だよな。技巧派も悪くないけど、やっぱりストレートは速くないと』

『差し入れだけじゃなくて、練習に付き合ってくれたりもするんで、このチームで桜井先輩のファンじゃない奴は居ませんよ』


「霧都くんは慕われてるんですね。私も嬉しいです」


『前までは月に一回か二回くらい、こうして監督相手に投球練習をすることが今までもあったんですよ』

『去年の夏くらいから少し様子が暗くて、差し入れはしてくれましたし、トス出しとか練習を手伝ってくれることはあったんですが、こうしてボールを投げることは無かったんです。でも、今見たら元に戻ってる様に見えるんで少し安心しました』

『多分惚れ直しますよ。マウンド上の桜井先輩マジカッコイイんで』


「それは今から楽しみです!!」


 なんて会話が聞こえてきた。

 あ、あまり期待値を上げないで欲しいかなぁ……


「最初は立って10球。そのあとは座ってストレートを中心に投げてこい。変化球はその後だ!!」

「はい!!」


 俺はバックネット前に居る監督から指示を受ける。


 マウンドの上のプレートの土を足で払い、右足を踏み込む場所に穴を掘る。


 左腕を軽く回して前を見ると、バックネット裏に居る永久さんと目が合った。


 俺は軽く頬笑みを浮かべて彼女に言う。


「君の言葉のお陰でまたここに立てた。ありがとう、永久さん。ここから先の俺の全ての投球は君に捧げるよ!!」


 俺のその言葉に永久さんは顔を赤くした。

 可愛い。すごく可愛い。


「惚気けるのは構わないが、腑抜けたボールを投げたら許さねぇぞ!!」


 須藤監督は笑いながらそう言う。


「監督こそ、油断して突き指なんかしないでくださいね!!」

「ぬかせ!!160kmのストレートですら余裕で取ってやるわ!!」


 そう言ってキャッチャーミットを構える監督。


 俺は笑みを浮かべるのを辞め、真剣な表情で投球モーションに入る。


「行きます!!」

「来い!!」


 ワインドアップと呼ばれる大きく振りかぶって投げる投法。


 球威には関係ない。なんて言われるが、カッコイイんだから全てに優先されるのは当然だろう。


 右足を大きく振り上げグローブを胸の前に、重心をしっかりと左脚に乗せてから右足へと移していく。


 作った足場に右足を下ろし体重を乗せる。この時に上体が突っ込まないように、また肩を開かない様に、右腕でしっかりと壁を作る。


 上体を立て、下半身は深くは沈ませない。角度を付けて上から投げ下ろすイメージだ。


 腕の振りはオーバースローと呼ばれ。肘を上げてしっかりと縦に振り下ろす。


 下半身の回転から腕のしなりを意識して、ムチのように左腕を振るう。


 手首を立てて、スナップをきかせてきっちりとボールにスピンを掛ける。


 サウスポーに良く見られる腕の出処を見えなくするフォームと言うよりは、球威を出す投球フォームを意識している。



 俺の投球フォームのお手本は今中慎二だ。


 あの人の投げ方は本当にかっこいい。


 何回も動画を見て、何回もシャドーを繰り返した。


 腰高で投げるイメージがあるが、下半身はしっかりと使っているので、決して手投げでは無い。





 そして俺は、七割程度の力を込めて、ボールを投げる。


 バシン!!


 と言う音を立ててボールがミットに収まる。

 この力加減すら、中学時代では投げることが出来なかった。


「ナイスボール!!」

「ありがとうございます!!」


 そして俺は七割程度の投球を繰り返したあとに、


「次は座ってストレートを10球!!」

「はい!!」


 監督が座ってボールを要求する。


 ど真ん中に構えているところに俺はボールを投げ込む。


 バシン!!


「次!!アウトコース!!」


 バシン!!


「次!!インコース!!」


 バシン!!


 監督が構えたところにきっちりと投げ込んでいく。


 七割程度の投球ならコントロールミスもそうそう起きない。


 バックネット裏に視線を送ると、永久さんが目をキラキラさせてこちらを見ていた。


 あはは。悪くない気分だ。


 そして、カーブ、スライダー、チェンジアップと投げ込んでいると



『面白いことをしてんじゃねぇか!!』



 と、グラウンドに声が響いた。


「……え?」


 俺は声の方向を見ると、ガッシリとした体躯の男性が二人、立っていた。


「おう!!武藤と大河たいがじゃねぇか!!」


 監督は二人を見て笑っていた。


 須藤大河すどうたいがさん。監督の息子さんだ。

 それに隣に居る人は、桐崎先輩の親友で野球部のエース。

 武藤健むとうけん先輩だ。


 二人はグラウンドに一礼をした後こちらに来る。


「午前で部活が終わったから、差し入れを持って遊びに来たら楽しそうなことしてんじゃねぇかよ?」


 と、武藤先輩がこちらを見て笑って言う。


「お前、桜井霧都だろ?悠斗が欲しがってた男の」

「は、はい!!そうです!!」


 俺がそう返事をすると、武藤先輩は


「名前だけは野球部に在籍してたな。イップスで投げられないなんて話を軽く聞いてたけど、そんなことは無さそうだな?」


 と聞いてきた。


「はい!!あちらに居る女性のお陰で投げられるようになりました」


 俺がそう答えると、武藤先輩はニヤリと笑って



「おい、桜井!!お前、俺と勝負しようぜ!!」


 お前の全力を俺に見せてみろ。


 そう言うのだった。

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