第五話 ~彼女と過ごす一日目・彼女に凛音との事を話しました~

 第五話




 お風呂場に入った瞬間にわかる、彼女の匂いにクラクラしながら、俺はシャワーを浴びて汗を落とした。


 一日の大半を寝て過ごしていたので、そこまでは汗をかいてはいなかったが、この一時間くらいの間にものすごく汗をかいたと思う。


 主に、冷や汗を……


 風呂場から出て、バスタオルで水気を取り、下着を履いて、パジャマに身を通す。


 居間へと向かうと、北島さんがテレビでニュースを見ながら椅子に座っている。


 結婚したらこんな感じなのかなぁ……


 なんて思いながら俺は彼女に声を掛ける。


「お待たせ。今出たよ」

「はい。桜井くん用に常温の麦茶を用意してます。どうぞ」

「あはは。ありがとう」


 俺は彼女から麦茶を受け取ると、一口飲む。


「こうしてると、夫婦みたいですね」


 ぐふっ


 あ、危うく麦茶を吹き出すところだった。


「お、俺も同じことを思ったよ。でも、もう少しタイミングを選んで欲しかったかな……」

「す、すみません。思った時には口に出てました」


 そんなやり取りをして、俺と北島さんはテーブルに向かい合って椅子に座る。


 話をするので、テレビは消した。

 居間は静寂に包まれている。


「とりあえず。北島さんにはお礼を言わせて……」

「待ってください」

「……え?」


 いきなり話を止められて、俺は少しだけ驚く。


「な、何かな、北島さん?」

「それです」


 なんで苗字で呼ぶんですか?さっきのように『永久』と名前で呼んでください。


「私もあなたの事をこれからは『霧都くん』と呼ぶようにしますから。南野さんだけ名前で呼ぶのはズルいですよね?」

「あ……はい。わかりました。永久さん」


 俺が彼女を名前で呼ぶと、嬉しそうに笑ってくれた。


「話を止めてすみません、霧都くん。それでは話の続きをお願いします」


「そ、その。永久さんにはお礼を言わせて欲しい。君のお陰で凛音と仲直り出来たから。ただ、君を不安にさせるような行動を取ったことは謝罪をさせて欲しい。ごめん。今後は本当に気をつけるよ」


 俺はそう言うと、頭を下げる。

 別に彼女と付き合ってるわけじゃないんだから、誰と添い寝しようが関係無いだろ。なんて気持ちは無い。

 今後を考えるならこういう軽率な行動は慎むべきだ。


「はい。謝罪を受け取りました。許しますよ、霧都くん」

「ありがとう。じゃあ、続けるね」


「まずは、凛音の言ってた『血の繋がった家族』と言うのは『血縁関係』を指していた言葉では無かった」

「比喩表現だった。という訳ですね」


「そう言うこと。あと、他言無用でお願いしたいことでね……凛音は小さい頃に実の母親から虐待を受けていた」

「…………はい」


「血縁関係に裏切られたアイツが『血』の変わりにしたのが、大切な思い出や、過した時間、受け取った愛情、そういう物なんだ。そしてそれらで繋がった俺たちを『血の繋がった家族』と呼んでいたんだ」

「そうだったんですね」


「凛音が俺を『弟』として、自分を『姉』にしたかったのは『夫婦』だと離婚してしまうと思ったからみたいだね。兄妹や姉弟の絆は永遠不滅だから。と言っていたよ」

「…………こ、こう言ってはなんですが、なかなか独特な考え方ですね……」

「あはは、俺もそう思う。だからね、俺は言ったんだ」

「なんてですか?」


 俺は、麦茶を一口飲んでから言う。


「他人に戻ろう。ってね」

「……え?」


「俺たちは長く一緒に居過ぎたせいで、関係性がよくわからなくなってたんだよね。幼馴染とか家族とか姉とか妹とかそう言うのは全部白紙にして、もう一度他人から、俺と凛音の新しい形の関係性をこれから作っていこう。そう話したよ」

「……なるほど。つまり、まだ南野さんには霧都くんの『本当の家族』になる可能性が残ってるわけですね」


「俺の気持ちは朝にも話したように、君と恋人になって、本当の家族になりたいと思ってる」

「……はい」


「こんな家の居間じゃなくて、もっと良い場所で、俺は君に気持ちを伝えたいと思ってる。それこそ、一生の思い出になる場所で。それまで、待っててくれないかな?」


 俺がそう言うと、永久さんは少しだけ小さくため息をついた。


「はぁ……良いですよ。待ちますよ、私。本当に……霧都くんは焦らすのがお好きなんですね?」

「それは……ごめん。俺の自己満足に付き合わせるような形になって」


「私は、あなたを信じて良いのですか?」

「もちろん。俺が君を裏切ることは無いよ」


 俺がそう言うと、永久さんの瞳にようやく光が戻ってきた。


「霧都くんが私にくれる、最高のシチュエーションの告白を楽しみにしてますね?」

「あはは……期待しててよ」


 俺がそう言うと、彼女は少しだけ眠そうに欠伸をした。


「安心したら眠くなってきました。あ、霧都くんを許しましたが、キチンと二日間は私と寝てもらいますからね?」

「あ、あの……俺が床で寝るってのは……」


 俺がそんなことを言うと、永久さんの目がスッと細くなる。


「南野さんとの添い寝では、霧都くんは床で寝てたのですか?」

「い、いえ……違います……」

「なら、わかりますよね?」

「……はい」




 観念した俺は、永久さんを自室へと案内した。



「どうぞ……」

「はい。ありがとうございます。男性の部屋に入るのは初めてなので緊張しますね」


 俺も凛音以外の女性を部屋に入れるのは初めてだよ。

 毎日掃除はしてるので、汚部屋と言う訳では無い。


 部屋の壁には有名な野球選手のポスターが貼ってある。

 二刀流で海を渡ったあの人だ。


「わあ、この人私も知ってますよ!!有名な人ですよね」

「うん。賛否両論あったけど、自分を貫いて結果を出した。その姿勢がすごくかっこいいと思ったんだ」


 永久さんはぐるりと興味深そうに部屋を見ると、机の上に置いてあるグローブに気が付いた。


「触ってみてもいいですか!?」

「あはは。あまりいい匂いはしないよ?」


 野球は辞めたけど道具の手入れは続けている。

 素振りと同様に、習慣ってのは抜けないもんなんだな。


 今日は、彼女が来てるから素振りはしないけど。


 形が崩れないようにボールを入れてあるグローブを手にして、永久さんは手に填めていた。

 左投げ用のグローブなので、右手に填めている。


 そして、グローブの匂いを嗅いで、眉をしかめた。


「酸っぱい匂いがします!!」

「あはは……仕方ないよね。どんなに手入れをしても完全には消せないからね」


 俺は彼女からグローブを受け取ると、机の中から油とタオルを出してグローブの手入れをする。


「こうするとね、長持ちするんだ。もう習慣になっててさ、これをしてると落ち着くんだ」

「道具を大切にする姿勢って素敵だと思います」

「あはは、ありがとう。少年野球の時から口酸っぱく言われてるんだ『良いプレーは良い道具から。道具は大切にしなさい』ってね」

「良い指導者さんだったんですね」

「うん。良い人だったよ。たまにその少年野球には顔を出したりもしてるんだよね」


 俺はグローブの手入れを終えると、手を洗いに部屋の外へと向かう。


「ちょっと手を洗ってくるね」

「はい。待ってますね」


 俺はそう言って部屋の外に出て、手洗い場で手を洗う。


 グローブの手入れをして、少しは気持ちが落ち着いた。


 これなら何が起きても大丈夫だと思う。


 そんなことを思いながら、部屋へと戻った。


 だが、俺の認識は甘かった……っ!!


 部屋の扉を開けると、永久さんの姿を一瞬見失った。


 あれ、トイレでも行ったのかな?


 そう思っていたが、ベッドが何やらこんもりと盛り上がっていた。


 そして、掛け布団からひょっこりと顔を出して、彼女が笑っていた。


「霧都くんの匂いに包まれて、幸せです」

「……そ、そうか」


 か、可愛いな!!おい!!


 何!?あんな可愛い女の子と俺は今から寝るの!?


 無理でしょ!!どうやって我慢しろって言うんだよ!!


「霧都くんには申し訳ありませんが、良く寝れそうです」

「あはは……それは良かったよ」


 俺は苦笑いを浮かべながら、ベッドの方へと歩いていく。


 すると、彼女は掛け布団を持ち上げて、


「どうぞ、お待ちしておりました」

「は、はい……」


 俺は食虫植物に捕食される虫のように、布団の中へと入っていく。

 甘い匂いに身体が包まれる。

 理性がものすごい勢いで削られていくのがわかる。


「ぎゅー」

「……う、嘘ですよね!!」


 永久さんは俺の身体を後ろから抱きしめてくる。

 凛音には無い、圧倒的な柔らかさを背中に感じる。


「幸せですぅ……」

「そ、それは何よりです……」


 なんだか眠そうな永久さん。言葉が少しだけおぼつかない感じだった。




「……北島永久は桜井霧都くんを心から愛しています」



「……え!!??」


 突然された愛の告白に、俺は驚く。

 だが、後ろからはすぐに……



「……すぅ……すぅ……」



 と寝息が立っていた。


「……ま、マジかよ」


 時刻を見る。

 二十三時だった。



 凛音と寝たので眠気はまだ無い。

 理性を失わないように、眠ってしまう。そんな手も使えない。


 俺はこの状態のまま朝まで我慢しなきゃならないのか……



 絶対に負けられない戦いが幕を開けた。

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