桜花物語*箱入り王子のやりなおし

和樹

第1話 三人の貴族

 かつて、国は 一つだった。


 中央に川を挟んだ広大な王国に、双子の王子が生まれる。


 兄王子は人の力を信じ、弟王子は神を信じた。


 しかし、王がこの世を去った時、双子の王子によってその国は分断された。


 西側は人による文明を極めた兄王子国。ガーデニア。


 東側は神を信じる事で不思議な力を手に入れた弟王子の国。オウカ。


 二つの国はそれぞれに文明を育み、争いを介しながらも現代に至る。


「ここまでが、我が国とオウカ国の中世期の歴史だ。これ以降は人々がどこから来たか、また王族がどう決められたかと言う話になるが、今は割愛する」


 オウカ国の首都にある豪華な邸宅の庭で、今、茶髪にネクタイを締めた若い男性がそう言い切った。

 彼は個人用の小型黒板に、川を介した二つの国を描き芝生へ座る二人の男性へ解説をする。

 向かいに座る二人のうち、1人は桜紋の留め具のついた白いクロークを羽織り拍手をして聞いているが、隣に座るもう1人の彼は、困惑しながらそれを見つめている。

 

「ここまでで質問あるか?」

「カナトはなんでそんな詳しいの?」

「それは歴史の質問ではないな?」


 解説する若い男性はカナト・アークヴィーチェ。彼の生まれは西側の国「ガーデニア」だが、ここは東側に川を介した隣国、「桜花(オウカ)の国」だ。

 本来ガーデニアにいるはずのカナトが外国にいるのは、彼の父がガーデニアとオウカを繋ぐ、外交大使である事に他ならない。


「私は将来、父の役割を継ぐために学んでいるだけだが、そもそも王子であるお前がなぜ知らない? ここまではガーデニアでも、小学生で習う歴史だぞ?」

「だって眠いもん。そんな子供の頃なんて覚えてないし?」


 白いクロークの男性は、まるで当たり前のように返して、横に座る彼も呆れていた。クロークの彼は、キリヤナギ・オウカ。このオウカの国を治める王族にあたり、継承権第一位にあたる第一王子だ。


「俺からしたら、よりによってなんでこの日に殿下が……」

「今日はたまたまうちの屋敷が、年に一度の大清掃で、私も今日は図書館へ出かけるつもりだったんだ。自宅に入れず悪いな」

「そうだったの? ごめん……」

「いや、いいんですけど、なんか雑なのが申し訳なくて……」


 仮にも一国の王子を、芝生に座らせているのはどうなのだろう。

 そう複雑な心境を抱えるのは、右肩に赤のサー・マントを下ろす男性、ジン・タチバナ。彼は、国を守る騎士団に所属する近衛兵だ。ジンは、オウカの国の騎士だが、現在はこのアークヴィーチェ邸に仕え、カナトの護衛に回っている。


「連絡を寄越せば開けてもらえたが……どうせ王宮に帰りたくなかったんだろう?」

「う、うん」

「またっすか?」

「なんかここ数日ずっと喧嘩してて……」


 膝を抱えるキリヤナギに、2人は思わず同情してしまう。

 キリヤナギの両親たるオウカ王と王妃ヒイラギは、仲は良かれど喧嘩が絶えず、その度に王宮には緊張した空気が漂っていた。よって臣下達の間で、オウカ王かヒイラギ王妃かの派閥分断がおこり、どちらにもつけない王子がこうして逃げてくる。


「前までは、母さんが夕食に唐辛子大量にいれたり、父さんの布団をわざとクリーニングにだしたりして、父さんが謝ってたからよかったんだけど……」

「つ、強いっすね……」

「最近のは、よくわかんなくて……」

「わからない?」

「2人とも原因を教えてくれないんだ。僕絡みなのかなぁ……」


 妥当な推理だとカナトは納得する。どちらかが悪いなら、愚痴や原因を聞かされてもおかしくないのに、あえて話されないのは、知らない方がいいとされているからだ。


「思い当たる節があるのか?」

「うーん、一回生の歴史学の試験で追試になったからかな……?」

「そんなんで……?」

「なるほど、だから歴史か」


 頷くキリヤナギに、ジンとカナトは呆れていた。カナトのこの講義は、午後にキリヤナギが突然現れ、教えてほしいと言われて始めたものだ。

 成績の悪さを心配しての喧嘩なら、確かに学び直したいと言う気持ちも理解できる。


「僕、一人息子だから昔から教育方針? でモメてたって聞いたし」

「それでも……殿下何歳でしたっけ?」

「19だけど……」

「もうほぼ成人してるじゃないすか……」

「親からすれば、子供はずっと子供だとは言うが……」


 首を傾げるジンは22歳でカナトは25歳だ。

年齢が上の2人だが、キリヤナギにとっては長く付き合いのある友人でもあり、思わず聞き返してしまう。


「2人はどうなの?」

「私の母はいないが、父上はあまり干渉してこないな、勉学も得意なものを伸ばせばいいと」

「へー……ジンは?」

「うち? うーん、適当かな……」

「気楽そうでいいなぁ……」

「そもそも赤点が理由ではないと思うが……」


 キリヤナギからすれば、ほかに原因が思い浮かばない。先月までは仲良くしていて、喧嘩をする気配もなかったからだ。

 「うーん」とほかに記憶を辿っていると、屋敷から清掃業者が出てゆくのがみえて、カナトが片付けをはじめる。


「とにかく、今日はこのぐらいにしよう。続きが必要ならまた声をかけるといい」

「うん、わかりやすかった。ありがとうカナト」


 そんなカナトを手伝っていると屋敷の入り口から、女性が1人こちらへと歩いてくる。シンプルなドレスを纏う彼女は、肩上で切り落とした髪を流して笑みをこぼしていた。


「ご機嫌よう王子。こんな所にいたのね」

「ククじゃん、どうしたの?」

「そんな気安く呼ばないでよ。私にはククリールと言う名前があるんだから!」


 ククリールと名乗った彼女は、キリヤナギをまるで蔑むように見ていて、後ろにいたジンは驚いていた。

 キリヤナギが学生になったとは聞いていたが、まさかガールフレンドがいるとは思わなかったからだ。

 キリヤナギの知り合いなら身分が上の可能性があるため、状況を察したカナトが口を開く。


「ご機嫌よう、ククリール嬢。失礼ですが、フルネームを伺っても?」

「あら、ごめんなさい。私はククリール・カレンデュラ。このオウカの首都から東の領地を収めるカレンデュラ公爵家の長女よ」

「婚約者なんだ」

「まじっすか……」

「それはまだ決まってないんだから、勝手に言わないでくれる!?」

「え、ご、ごめん」


 強気な女性だと思うが、細く可憐な印象があり、ジンは思わず見惚れてしまう。

 彼女はそんなジンの目線に気付きながらも、手にひらひらとたなびく紙を持ち、キリヤナギを嘲笑っていた。


「この王子様はもう知ってるけど、貴方達は初めて見る顔ね」

「申し遅れました。私はカナト・アークヴィーチェ。この大使館の管理者たるアークヴィーチェ家の長男です」

「あら、ガーデニアの? 通りでここだけ雰囲気が違うと思った」

「今日は何故こちらへ?」

「そこの間抜けな王子に、わざわざテストの答案を持ってきてあげたの。優しいでしょ?」

「え、本当? ありがとう」


 床に落とされたそれを、キリヤナギが拾いにゆくと表情が一気に硬くなり真っ青になってしまった。

 ジンが覗き込むと、科目は歴史学で30点と書かれている。


「赤点……?」


 無言で頷いて項垂れてしまった。

 追試になったとは聞いたが、ここで赤点なら今後の授業にも響く可能性がある。この王子の歴史学の無知さは、想像以上に深刻なのかもしれない。


「将来国を治める王子様が情け無いわね。そんなんで本当に王様になれるの?」

「苦手なんですね……」

「うん、人の名前とか覚えるの苦手で……」


 項垂れるキリヤナギにククリールはかなり強気だ。しかしこれは、そう言われても仕方ない点数だと思う。


「さっきからちらつく貴方はなんなのかしら? 騎士さんみたいだけど」

「あ、申し遅れました。私は宮廷騎士団所属、アークヴィーチェ家管轄のジン・タチバナです……」

「『タチバナ』? 貴方が噂の……」

「そうだよ。すごく強いから僕もここに来ると安心しちゃって」

「なんでそんな人が? 『騎士団』にいるんじゃないの?」

「えーっと……とりあえず、カレンデュラ公爵令嬢。勝手に入られては困ります。ここは外国なので」


 オウカ国の首都に在るこのアークヴィーチェ邸は、ガーデニアの大使館の役割をもち、敷地内はガーデニアの法が適用される。よってここだけ外国になるが、キリヤナギの場合、カナトと付き合いが長く幼馴染で、立場上よく出入りするため、許されている間柄でもあった。


「あら、ごめんなさい」

「ジン、ごめんね。ククは僕が歴史学の教授を苦手なの知ってるから、わざわざ届けてくれたんだと思う」

「へ?」

「そうなんですか?」

「今日取りに来いって呼び出されてたから、怖くて憂鬱だったけど助かったよ。ありがとう」


 笑顔で返され、ククリールはぽかんとしていた。婚約者なりの優しさなのだろうかと思ったが、彼女は顔を真っ赤にしてしまう。


「勘違いしないでよ! 誰がこんな間抜けな王子の為に……」

「持ってきてくれたじゃん?」

「持ってきたけど、そんなつもりはなくて……」

「ククって歴史学すごく強いんだよ。ノートすごく綺麗だし」

「あんたのノートが汚すぎるから見せつけてあげたの! これぐらい取れなきゃ、復習もできないじゃない!」


 聞けば聞くほど仲のいい夫婦にしか見えず、2人は途中から黙って見ていた。高飛車な態度の彼女だが、全く悪い人間には思えず安心する。


「出ていけって言われたし、私はもう帰ります!」

「え、そう言う意味じゃ……」

「クク、送ってくから、一緒にどっか寄ろうよ。僕帰りたくなくて……」

「嫌です! 婚約者なんてまだ暫定なんだから夫面しないでよね! バカ!!」


 吐き捨てるようにククリールは帰ってしまった。かなり効いたのかキリヤナギは座り込んで凹んでいる。


「またククに嫌われた……」

「ただの虚勢にしか見えなかったが……」

「というか、帰りたくないんですか?」

「うん……晩御飯には帰らないとだけど」

「仕方ない、少し出かけるか。私もククリール嬢に興味がある」

「カナトは門限大丈夫なの?」

「むしろ何故あるんだ……?」

「晩御飯までに帰らないと母さんが怖くて……」


 頭を抱えるキリヤナギに、2人は返す言葉もなかった。その後三人は、王宮付近の喫茶店へと向かう。

 高度な文明を持つとされる隣国ガーデニアとの交易により、このオウカの国にも多くの文明機器が輸入されていた。街には何層にもなる高層ビルが立ち並び、道は舗装されエンジンを搭載した自動車も走っている。

 また都市のあらゆる場所にはアンテナが立ち、国民一人一人がもつ機器の通信を担っていた。

 そんな文明が発達した国家であるにも関わらず、この国が「神の国」と呼ばれるのは、他ならぬこの国を支える「異能」が神によって下され、その力を受け取った「王」が人々へ「貸与」しているからでもある。

 ククリール・カレンデュラのカレンデュラ公爵家もまた、「王」よりその異能を与えられた7つの公爵家の中の一つにもあたるため、キリヤナギの婚約者として名前が上がった女性でもあった。


「お見合いの写真、たくさん見せられたけど全然わかんなくて」

「そうだろうな」

「とりあえず会ってみろって言われた人が5人居て、ククはその時からかな? だから三年ぐらい?」

「カレンデュラ領は、果樹の栽培が盛んだと聞いているが、私も詳しくはわからないな……」

「ククは初めて会った時から、ずっとあんな感じで、首都にくるなら王宮にホームステイしたらいいよって誘ったけど、全力で拒否されちゃって今は首都にあるカレンデュラの別宅いるって」

「そ、それはデレカシーなさすぎじゃ?」

「え……」


 どこから突っ込めばいいか分からず、2人は思わず顔を見合わせる。この王子は素直なだけで、自分のできる最大限の気遣いを相手にしているに過ぎない。


「……ククリール嬢が好きなのか?」

「え、うん……優しいし。大学から突然入学してびっくりさせちゃったから、みんなに気を遣わせて申し訳なくて……。でもククは最初からずっとあんな感じだから、逆に安心したんだよね」


 カナトの知る限りでは、キリヤナギは去年まで顔に暗い影を落とす無口な青年だった。きっかけはわからないが、学生になり、少しずつ言葉が増えて今に至る。


「俺からしたら、なんで今更大学に? って思ってだけど」

「うーん、母さんが進めてくれたのと、やっぱり王宮に居たくなくて……なんか、年々喧嘩ふえててやっぱり辛かったから……」


 王子でなかったなら、何か違ったのだろうかとカナトは彼の立場を憂いた。

 カナトとキリヤナギは、年齢が一桁の頃から付き合いがある。それはお互いの父が意気投合し、個人的に何度も会う機会があったからだ。その頃のキリヤナギはとても明るく活発だったのに、年齢が二桁になった頃だろう。

 カナトはキリヤナギから、「父と母がこわい」と話されるようになった。

 しかし、居心地の悪さを感じていた場所から外に出る機会を得られたなら、それは大きな進歩でもある。


「ククリール嬢を大切にするんだぞ?」

「え、うん。頑張る……」


 お見合いで顔を合わせ、大学で再会したのなら、キリヤナギの素直なアプローチに照れていると思えて、可愛らしくすら思えてくる。お互いの想いはどうあれ、学院で顔を合わせる機会があるのは、閉鎖的な王宮で育ったキリヤナギにとって一つの幸いになるとすら思うからだ。


 ジンにテストの答案を見てもらうキリヤナギは、王子という肩書きを持ちながらも普通の学生だった。

 周りの客は、王子に気付きながらも気にも止めず微笑ましくそれを見守っている。平和な国だと、カナトは情報誌を広げながらコーヒーを楽しんでいた。


「貴族、襲撃?」


 ジンの言葉にカナトが情報誌の表紙へと戻る。

 先月から度々起こっているその事件は、首都にすむ貴族達が標的にされていて、今週で既に2人目の被害者が出ているらしい。

 ジンはアークヴィーチェ管轄で、調査状況などは知らされては居ないが、横にいるキリヤナギはそれを見て顔を顰めた。


「優秀だとされるオウカの騎士団が遅れをとるのは珍しいな」

「なんかそれのせいで、出かける時に護衛つけるかもしれないって言われて憂鬱」

「と言うか、なんで1人なんです? グランジさんと来てくださいよ」

「窮屈……」

「そういう所だぞ……」


 カナトは言葉も無いようだった。

 しかし、こうして王子が好きに歩き回るのも、この国の安全神話があるからこそであり、平和なのだろうとカナトは思う。


「何かがあってからでは遅い。落ち着くまではあまり1人になるんじゃないぞ」

「……ぇー、わかった」


 そんな彼の半信半疑な返答に、ジンは半ば呆れた様子で内ポケットへ手を伸ばす、出てきたそれは、小袋に紐がついていてキリヤナギは思わず勉強の手を止めてそれに見入った。


「これは?」

「お守り? 母ちゃんが縫ってくれたんですけどいります?」

「ジンがくれるの?」

「殿下、デバイス持ってないし」

「キリヤナギに持たせるのか? あまり好ましくはないと思うが……」


 小袋には丸い銀色のチップのようなものが入っていて、天使の羽のマークが刻印されている。

 キリヤナギが目を輝かせたそれは、隣国ガーデニア製の高度文明機器で、カナトのアークヴィーチェ家の家紋だからだ。


「それ、この通信デバイスを介して位置がわかるんですよ。殿下、よくどっかに行くし」

「へぇー」


 ジンが取り出したそれは、この国の誰もが所持する通信デバイスだ。同じくガーデニアから輸入された機器で、このオウカの国でも、一人一台以上は所持している日用品でもある。


「我がアークヴィーチェ家の叡智の結晶だが、本来、傘などの外出時に無くしやすい物につけるものだ。外国の王子の迷子札に使われるのは些か無礼にも思える……」

「このマークのとこ押すと、登録した端末に通知がくるんですよ。意外と便利だし、なんかあったら呼べるんで」

「もらっていいの?」

「ならお守りってことであげますね」

「いいのか……?」

「こう言うの持った事ないし、いいなって思って」

「本体じゃないんだぞ??」


 再三聞き返してくるカナトに、キリヤナギは首を傾げながらも嬉しそうだった。

 そんな3人で雑談をしている間に日は暮れてゆき、門限が近くなった所で三人は喫茶店を後にする。

 別れ際、その少しだけ憂鬱な表情を、カナトはジンと共に最後まで見送っていた。

 

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