第16話「2022/10/08 ⑨」
コヨミのお兄さんは、比良坂ヨモツという名前らしかった。
ヒラサカグループの家電会社の携帯電話部門で、エクスの開発、特に超拡張現実機能の開発に携わっているという。
「赤いエクスのことはね、お父様もお母様も、ヒラサカグループの人たちも誰も知らないの。わたしが兄さんに頼んで作ってもらったものだから。
だから、赤いエクスは兄さんとわたしとイズくんしか持ってないんだよ」
昨晩の大型アップグレードで、土日や祝日のログインボーナスが変わったのは赤いエクスだけだということは聞いていたが、ぼくのロリコやコヨミのシヨタのようなエクスが産み出すメイドや執事の存在もまた、赤いエクスにしかない機能だという。
「イズくんも一回会ったことがあるんじゃないかな。
そのエクスをイズくんに渡した人、わたしの写真をアプリで男の人にしたみたいな顔してなかった?」
言われてみればそんなような気もしたが、一年半も前のことだからよく覚えていなかった。
「コヨミのためにこんなスマホを作るなんて、お兄さんとコヨミは仲がいいんだな」
ぼくは少しやきもちをやいていた。
そのお兄さんは、コヨミと同じ家に住み、毎日一緒にご飯を食べたりしているだけでなく、ぼくがコヨミと離ればなれになっていた3年間を彼女と一緒に過ごしていたからだった。
中学生だった頃のコヨミを、ぼくは写真や動画ですら見たことがなかった。
「兄さん、わたしのこと大好きみたいだから。
血が繋がってなくても、年の離れた妹ってかわいいんじゃないかな」
きっと優しい人なんだろう。それに頭も相当いいに違いなかった。そうでなければ、超拡張現実機能の開発に携わることなんてできない。スマホ一台でこんなに生活を豊かにするものを作ることはできないだろう。
そのお兄さんがコヨミに対して恋愛感情を抱いていないことをぼくは祈るばかりだった。
「もしかして、イズくん、やきもちやいてる?」
「やいてる」
ぼくが素直に答えると、コヨミは嬉しそうに、意地悪そうに笑って、
「わたしが好きなのはイズくんだけだから、イズくんは何にも心配しなくていいんだよ」
ぼくにキスをした。
はじめて舌を絡めるキスをした。
最初は歯がぶつかってしまったりしたけれど、すぐにうまくできるようになり、脳がとろけてしまいそうなほど、そのキスは気持ちがよかった。
その後はお互いの透過型ディスプレイでサブスクの動画アプリを立ち上げて、交互におすすめの映画を観たりした。
コヨミの好きな映画は、CGやワイヤーをふんだんに使った派手なアクション映画が好きなぼくには少し難しい、カンヌ映画祭に招待されたり、アカデミー賞にノミネートされるような芸術的なものばかりだった。
難しいけれど、たまにはこういう映画も悪くないなと思った。
「イズくんが好きなアメコミのこのシリーズ、全部で何作あるの?」
「30作くらいかな。連ドラもあったりするからから結構長いけど」
最近は、デスティニープラスで配信されてるドラマシリーズも観ていないとついていけないのが玉に瑕だった。
「そんなに!? でもこれは全部一気に観ちゃいそう」
コヨミもぼくが好きな映画を楽しんでくれていた。
「わたし、キャプテンが好きだけど、イズくんは?」
「トニーとピーターかな」
「ピーターは確かにかわいい。イズくんみたいだし」
トニーは女癖が悪いからだめ、と言われてしまった。結構一途なところがあるんだけど。
映画を観ながら、途中何度かキスをしたりしていると、18時間はあっという間に過ぎてしまった。
ログインボーナスの24時間が終わると、まだお昼すぎだというのに、予定通りコヨミは家に帰っていった。
ぼくはオハバリ駅の改札口で彼女を見送ると、その足でショッピングモールに向かった。ぼくの後ろをロリコがうつむきながらとぼとぼとついてきた。
いつもなら、どうしたの? と訊くところだったけれど、今日は理由がわかっていたから訊けなかった。
コヨミとのことをロリコに謝るのはおかしいと思った。
だからといって、ロリコに何と声をかければいいのかもわからなかった。
コヨミにぼく以外の男が現れて、イチャイチャしてるのを見せつけられたら、ぼくはどんな気持ちになるだろう。
ロリコはたぶん、ぼくに置き換えたらそういう状況にいた。
自分に置き換えたら、死にたい、消えてしまいたい、そんな気持ちにさせられた。
ぼくの場合は仮定の話でしかなかったけれど、ロリコをそんな気持ちにさせてしまっている自分を、ぼくは許せなかった。
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