第12話 公園
公園には、あまり人はいなかった。
日によっては、もう寒い季節である。日も落ち掛けている。
最近はこの国も気候の変化が極端になっていた。帰国した最初の年は、あまりの四季の移り変わりの速さに驚いた物だった。
そんな天気だと言うのに、ソルヤとイーリスは、屋台でアイスクリームを買い、二人で食べている。
半日掛けて一通り近場の観光名所を巡り、イーリスがスマホで探してきたアイスクリーム屋台を見付けた所だった。
ジェラートではないが、ひとまず王女に公園でアイスクリームを食べさせる、と言うイーリスの目的は達成できたようだ。
私は喫煙所のベンチに座って二人の様子を眺めながら、シガリロを口に咥えて火を着けた。
二人と共に行動していると、煙草を吸う暇も中々無い。イーリスは一時、私の真似をして無理に煙草を吸おうとしていた事があったが、私がしつこく諫める内にやめたようだった。
二人の姿を眺めていると、ふと思考が映画の事に向かった。
ローマの休日は、もう十年以上前に観た映画だ。かなり記憶は曖昧になっているが、それでもシーンごとに心が様々な方向に揺り動かされた事は憶えている。
当時中学生だった私は、実際に観る以前は古臭い地味な映画だと言う印象しか持っていなかった。そんな映画を最後まで観る事にしたのは、確か強引に誘われたからだった。
イーリスがどこで観たのかは、知らない。案外映画は見ないまま、聞きかじっただけの内容を語っているのかも知れない。
二人の様子を眺めながら映画のシーンを、そして映画を共に観た相手の事を思い起こそうとした時、奇妙な気配が私を差してきた。
コートを着込んだ中肉中背の男が、公園の入り口からこちらに歩いて来ている。
殺気のような強い気配は、感じない。ただ自分がこちらに向かって来ていると言う事だけを教えるような、控えめな気配だった。
その完璧とも言える気配の抑え方が、逆に私の中の警戒心を刺激していた。
「隣、よろしいですか?」
男は真っ直ぐ私の方に歩いてくると、そう言った。眼鏡をかけた、大人しそうな顔の男だった。歳は、三十程度か。地味なスーツ姿で、黒いビジネスバッグを持っている。
「公園さ。好きにすればいい」
そう言って私はシガリロを一本差し出した。しかし男は首を横に振る。
「吸わないんなら、喫煙所なんかに来るもんじゃないぜ。せっかく喫煙者が肩身の狭い思いをしているのにな」
そう言いながら私は、ソルヤとイーリスの方に目をやった。私に近付いて来た人間がいる事に、二人とも気付いてはいる。ただ今は、私一人に任せて見守る気のようでもあった。
「済みません、お話がありまして」
「セールスなら後にしてくれないかね。連れがいてね」
男は名刺を取り出すと、いかにも理想的な動作で私に向けて差し出した。
「外務省が俺に何の用かな。出入国に問題があったんなら法務省の方の仕事だと思うが」
「今現在あなたが保護しておられる、エルヴァリ王国のソルヤ王女殿下に関する事です」
鈴木は、いきなり切り込んで来た。
「ほう。やっと日本政府が引き取ってくれる気になったか」
「いえ。いきなり保護を求めて地元警察などに駆け込まれても混乱が起こりますので、事前に日本政府が置かれている状況と立場を説明しておこう、と思いまして」
鈴木は弱気そうな表情を作ると言った。いかにも作った、と言う顔の動き方だ。
「呆れた話だな。祖国を追われた子ども一人、受け入れてやる、と胸を張って言う事も出来んのか、この国は」
「誠に恐縮です」
鈴木はどこまでも型通りの小役人、と言う風だった。
敢えてそれを演じている、と言う気配が、わずかににじみ出ている。名刺の肩書を、そのまま素直には受け取れなかった。
「だがそう言う話なら、直接王女相手にした方がいいんじゃないか?」
「殿下と直接お話しする、と言う事になりますと、今まで曖昧にしていた物がそうでなくなってしまう部分もありますので。我々が置かれている苦しい立場を、ご理解頂きたい」
はっきり日本政府としての意思をソルヤに伝えるとなると、後々外交上の問題になる言質を取られかねない。私を通してであれば、人を介したが故の齟齬があった、と言う言い訳が通る。
姑息なやり方だった。その姑息さを隠そうともしていないだけ、まだマシと思うべきか。
「話を聞くだけは聞いておこう」
「エルヴァリクーデター政権とどう言った外交関係を築くかは、日本政府も苦慮しております」
「知ってるよ。今は態度を曖昧にしたままで状況の変化を待ちたいが、そこにソルヤが入って来られると邪魔になるんだろう」
「今の所、クーデター政権は公的にはソルヤ殿下の引き渡しを求めてはいませんが、水面下ではかなり強い働き掛けが続いています。もっとも事実として日本政府は殿下の身を保護しておりませんので、目下捜索中である、と言う事でかわしているのですが」
「ソルヤの方が亡命を表明して保護を求めて来たらどうするんだ。クーデター政権に売り渡すのか」
「人道的見地一つ取ってもそのような対応は許されないでしょう。その場合日本政府はクーデター政権と対立する事になりますね」
「色々と面倒なのは分かるが、だから駆け込まないでくれ、と命が掛かっている相手に言うのも勝手な話だな」
「ええ。ですからソルヤ殿下が亡命の意思を示されるのは自由です。日本政府もその場合、殿下の保護に出来る限りの尽力は致します。ただそれで実際に殿下を守り切れるかはまた別の問題になります」
「日本政府が保護を表明した場合、クーデター政権がそれに対して強硬手段を取って来ると本気で思っているのか?」
「残念ながら。クーデター政権側の特殊部隊と日本警察との間での戦闘にまで発展する可能性が高いと我々は考えています」
「正気とは思えんな」
「それほどにクーデター政権の殿下に対する執着は異常で我々も戸惑っていますよ。現地で情報収集も進めてはいますが、いまだに理由は判然としません」
「それで、戦闘にまで発展すればどうなると?」
「実際には戦闘と言うよりも最初の奇襲的な攻撃で全てが終わるでしょう」
「泣けてくるな。公安外事や防衛省の情報本部だって動いてない訳じゃあるまいに」
「彼らには奇襲を察知する能力はあっても、自動火器を始めとする強力な装備を持つ特殊部隊に対応出来る戦力はありません。そして自衛隊の特殊作戦群はもちろんの事として、警察の銃器対策部隊やSATすら、実際に事件が起きてからしか動く事が出来ません」
「つまり」
私は吸い終わったシガリロを喫煙所の灰皿に放り込んだ。
「出来れば亡命者として受け入れたくないが、公に保護を求められれば受け入れざるを得ない。受け入れた場合、最善は尽くすが守り切る自信は全く無い。ついでにその場合、事はどこまでも大事になるぞ、と」
「はい。実際にこの日本で他国の特殊部隊による公的機関への襲撃事件、などと言う事が起これば政治的影響は計り知れませんね」
事件そのものが起きないのが日本政府にとっては望ましい、と言う事だった。
「ほとんど恫喝だな。面倒だから頼らないでくれ、と言ってるに等しい」
「事実をお話ししているだけです」
「で?本音ではソルヤにどうしてもらうのがお望みなんだ?」
「日本政府の苦境を理解して頂きたいだけですよ。クーデター政権が早期に倒れ、殿下がエルヴァリに戻られる可能性もかなりの確率であると我々は考えていますので」
「ほう」
「リュトゥコネン将軍は健康にかなりの不安を抱えてらっしゃるそうです。自分がいなくなった後のエルヴァリの国防はどうなるのか、と言う焦りが今回のクーデターを引き起こしたとも言われています。将軍が体制を固める日も無く病死されれば、クーデター政権は瓦解するでしょう」
「両端を持する、と言う訳か。汚いやり方だな」
「出来得る限りの非公式な支援は致したいとも思っております」
「支援ね。どんな?」
「まずは情報提供、でしょうか。場合によっては資金援助や、あなたとあちらの方に対する目こぼしなども」
鈴木がイーリスの方をちらと見た。
「外務省も偉くなったもんだ」
「恐縮です」
鈴木が頭を下げる。
やはり実際には外務省の人間ですら無いのだろう。もっと上の所の意思で動いている人間だ。
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