王女殿下のヒットマン

マット岸田

第1話 邂逅

――――殺し屋の話だ、当然の事ながら。


 瞳が、その炎だけを捉えていた。


 ジッポライターの炎だった。

 夜の公園で、他に灯りが目に入らなさそうな一角を見付けては、そこでミニシガリロに火を着ける。そしてそのまま二十分ほどの時間を、過ごす。

 それが、夜に仕事を終えた後の習慣になっていた。


 意味がある行動では無かった。足が着く事を避けるなら、当然少しでも早く現場から離れた方がいい。

 人間の習慣とは、そんな物だ。合理的で無い物の方が、ずっと多い。


 煙草はシガリロに決めている事にも、無論大した理由など無かった。昔、友人に勧められた。それがずっと、続いているだけだ。

 煙を吸い過ぎないように、気を使いながらゆっくりと口に煙を運ぶ。その吸い方は確かに、私に性にはあっていた。


 今夜の仕事は、難しい事では無かった。相手はヤクザとも言えない犯罪組織のリーダーで、護衛などいなかった。


 そして護衛がいた所で、この日本で50mの距離で背後から拳銃で撃たれる事を警戒している人間は、普通いない。


 口から吐き出した煙を目で追いながら、拳銃を撃った時の自分の腕の感覚を思い出す。


 いつもと同じ、仕事帰りの時間。

 シガリロを一本吸い終わり、二本目に火を着けた時、それを壊す異変は起きた。


 車のブレーキの音。女の悲鳴。


 反射的にベンチから腰を上げた。そうしたのが、自分でも些か意外だった。

 悲鳴、と言うのは多かれ少なかれ必ずどこか耳障りな所がある物だが、今の悲鳴には全くそんな所が無かった。それが、私を咄嗟に動かしたのかもしれない。


 駆ける。しかし、急いではいなかった。咄嗟の事でも、警戒を怠る事は絶対にしない。


 ボックスカーが一台に、男が三人、少女が一人。公園の入り口でそれが街灯に照らされていた。

 男達の内二人が、少女に組み付いている。そしてもう一人が、右手に黒い小さな物を持っていた。

 薄闇の中に火花が散る。スタンガンだった。


 少女は悲鳴を上げながら、それでも果敢に抵抗していた。恐怖で身動きが取れなくなっている、と言うような事は全く無い。

 助けてやろう。その様子を見て、そう思った。私以外に、悲鳴を聞きつけた人間もいなさそうだ。


「待て。何をやってるんだ、お前ら」


 私は無造作に踏み込み、声を掛けた。不意を衝かれたように、四人が一瞬、一斉に動きを止める。

 近付けば、今まで影になって見えなかった相手の様子も良く見えた。


 男達は全員、黒いスーツにサングラスを掛けた大柄な男達だった。少女は、金髪で白いブラウスに緑色のロングスカートを履いた、西洋系の少女だ。肩にスポーツバッグを下げている。


 男達には、この手の犯罪をやる人間にありがちな、下卑た様子が全く無い。


 私は内心舌打ちした。


 明らかに、ただその辺りのチンピラが暴行目的で少女を誘拐しようとしている、と言う様子では無かった。思っていた以上の厄介ごとに、首を突っ込んだのかもしれない。


「たす、け」


 私に気付いて救いを求めようとした少女の口を、男の一人が塞いだ。そして別の一人が、前に出て来る。スタンガンを持っている男だ。

 少女の顔は青ざめ、目には薄く涙が浮かんでいたが、それでも取り乱し切っていない気丈な表情が浮かんでいた。


 仕方ない、と思い私はさらに前に進み出た。


「何でもない、邪魔をするな」


 男の口から発せられる言葉には、若干以上の訛りがあった。ネイティブな日本語ではない。

サングラスの間から見える人相も、東洋人の物には見えなかった。


「何でもない?こんな夜中に女の子を三人がかりで押さえ付けておいてか?」


 私がそう返答すると、男はちらりと仲間達に目をやり、それから更に一歩前に出て来た。


「犯罪をやっている訳じゃない、と言っても信じてはくれんだろうな。あまり関係の無い人間に怪我をさせたくはないんだが」


「俺も怪我をしたくはないから信じてもいいがね。後ろ暗い所が無いなら警察を呼んでも構わんか?」


 やはり、ただのチンピラではない。警察や軍隊のような、しっかりと統制された上での暴力。それを発揮するための集団だった。

 それは、男達の身のこなしを見ても分かった。何かしら格闘技の訓練を積んでいる。


 三人、と言うのは少し面倒ではあった。車の中には運転手もいるだろう。ただし一人は少女を抑えている。

 私の返答に男は肩を竦める動作をして笑顔を作り、それから無造作にこちらに向けてスタンガンを突き付けて来た。


 中々に鋭い動きだった。しかし、予想していた。軽く後方にステップを踏み、右足で下からその手を蹴り上げた。

 男がうめき声を上げてスタンガンを取り落とす。

 もう一人の男が横に回り込んでいる。私の反撃にも動じる様子は無さそうだった。私は右手に持ちっぱなしだった火の着いたシガリロを男の顔めがけて投げた。

 男が顔を手で庇う隙に、空いたボディに左で拳を叩きこんだ。


 三人目が叫び声を上げた。私に気を取られていた所で、抑え込まれていた少女が手に噛み付いたようだ。

 抵抗する少女を相手にして、男の体勢が乱れる。

 男が少女の顔に向けて振り下ろそうとした腕を飛びつくように掴み、その勢いのまま左肘を男の顎に打ち込んだ。

 恐らく、一撃で気を失っただろう。


 男に巻き込まれて倒れかけた少女の肩を掴み、体を引き起こす。


 相手の内、二人は倒れた。しかし一度膝を付いた最初の一人が右手を抑えながら立ち上がっている。

 それだけでなく、運転席からもう一人降りようとしているのが窓越しに見えた。しかも拳銃を抜いている。恐らくMP-443、9mm自動拳銃。ロシア製の軍用拳銃だった。


「逃げるぞ」


 掴んだままだった少女の肩を押し、駆け始めた。この分だと車の外の連中も拳銃を持っているだろう。

 私の銃は自分の車の中だし、仮に手元にあったとしても仕事外のトラブルで銃の撃ち合いなどごめんだった。


 少女は弾かれたように駆け出したが、足がもつれたのか転びかける。咄嗟に片手でブラウスの襟首を掴むともう片方の手で後ろから両膝をすくい上げ、猫でも抱くようにして少女を持ち上げた。


 突然首を絞められる事になった少女はぐぇ、と悲鳴を上げた。

 持ち上げてみた感触は、とても柔らかく、軽い。


 後ろから追われる気配はあった。ただ、銃声は聞こえてこない。


 そのまま公園の反対側の出口に路上駐車してあった私の車へと駆け込んだ。車に特にこだわりは無かった。ありふれた車種で、ミッションで、4WDならそれでいい。


 少女を助手席に放り出し、車を発進させる。こちらに向かって来る男の姿が二人見えた。一人は片膝を突き、拳銃を構えている。しかし、撃っては来ない。


 すぐに5速に入れた。夜の住宅街を抜けて、幹線道路に入る。そのまま時速八十キロほどで走り続ける。


「怪我は?」


 シガリロを咥え、しかし火は着けずにそう訊ねた。


「大丈夫。少し擦り傷を作ったぐらいだよ。助けてくれて、ありがとう」


 少女がはっきりした声で答えた。やはりネイティブな発音ではないが、それでもさっきの男達よりずっと流ちょうな日本語だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る