第12話
その翌日だ。ダンス部の練習の後で、みんなで用具を片付けているときに、瀬本茜がオレのところにやってきた。
「副部長。私、副部長にお話したいことがあるんです。着替えたら体育館の裏に来てくれませんか?」
そう言うと、茜はオレの返事も聞かないで向こうに行ってしまった。
レオタードを着替えて、オレは言われた通り体育館の裏に行った。茜が制服に着替えて既にオレを待っていた。制服のスカートが風に揺れている。夕陽に照らされて茜の顔が赤く染まっていた。夕日に赤く染まった茜の顔を見ているとオレの脳裏に、オレンジ色の灯火の中で揺れていた昨夜の夏美の美しい顔が、一瞬浮かんで消えた。
オレの方から茜に声をかけた。
「やあ、瀬本。いったいどうしたの?」
「あっ、副部長・・・実は私、『おくねさん』を見たんです」
「えっ、『おくねさん』を・・・」
「ええ。そうなんです・・1カ月ほど前でした。ダンス部の練習が終わって、部室で服を着替えてから帰る前に、私一人で部室の隣の女子トイレに行ったんです」
「・・・・・」
「用を足した後で、トイレを出ようとしたら、奥で水洗の音が聞こえたんです。最初は奥の個室に誰か入ってるんだろうと思ったんですが、よく考えたら、私がトイレに入ったときは中に誰もいなかったし・・・私が個室に入ってから誰もトイレにやってきてないんですよ。それに私が個室の中に入っているとき、トイレの中には人がいるような物音は何もしませんでした。それで、おかしいなと思って、奥に行ったら、一番奥の個室のドアが半分開いていたんです。私、何気なく、ドアを開けたんです。すると、個室の中に女の人が立っていました」
「お、女が・・・」
「ええ、女です。白いワンピースのような服を着ていました。下を向いていたのと、髪の毛が顔に掛かっていたので、顔はよく見えませんでした。そして、その女が私に言ったんです。『見たな』って」
「み、『見たな』だって・・・」
「ええ、その女ははっきりとそう言いました。手には包丁を持っていました」
「包丁を・・・持っていた・・・・・」
「私、もう、怖くなって、トイレを飛び出したんです。すると、後ろから、また水洗の水音が聞こえたんです。えっと思って振り返ったら、女の姿は見えませんでした。それで、私、もう一度、トイレの中に戻ってみたんです。そうしたら、個室の中にも女はいませんでした・・・女子トイレの中で女が消えてしまったんです」
「女が女子トイレの中で消えた・・・・・そんなバカな?」
「でも、本当なんです。その白い服の女は消えてしまったんです。それで、そのことをダンス部の1年生に話したら、みんながそれは『おくねさん』だって言うんです」
「その女が、『おくねさん』なのか・・」
ということは・・『おくねさん』は、やっぱりいたのだ。実在するのだ。オレの背中に冷たいものが流れた。
「みんなが言うには、『おくねさん』が『見たな』と言ったら、『見てません』とか『何も言いませんから見逃してください』と言うと見逃してくれるそうなんです」
「そう言うと、『おくねさん』がほんとに見逃してくれるの?」
「みんなはそう言っていました。だけど、私、いつまた、『おくねさん』に襲われるかと思うと怖くなって・・・どうしたらいいか、わからなくなってしまったんです。そんなとき、副部長が女子トイレで不思議な体験をしたって聞いたんです。それで、副部長なら、女が消えたっていう私の話を信じてくれて、私を助けてくれるかもしれないって思ったんです」
「うん。オレは、『おくねさん』が女子トイレで消えたっていう瀬本の話を信じるよ。オレたちも誰もいない女子トイレで急に警備員の梅西さんが現れたのを経験してるもんなあ」
オレは体育館の壁を背にして立っていた。
ふいに、茜がオレの前に立った。
「副部長」
茜が壁に片手をついた。
「ん?」
「私を守ってくれませんか?」
「えっ」
茜がもう片方の手を壁につく。オレは茜の両手にはさまれた形になった。
「私、怖いんです。誰かに助けてもらいたいんです。副部長、私の味方になってくれませんか?」
「ああ・・・もちろん・・・オレでよかったら・・・味方になるよ」
「うれしい」
そう言うと、茜が両腕を曲げた。茜の身体がオレに迫ってきた。オレはストップというつもりで、左手を身体の前に出した。指が茜の胸に当たった。やわらかいものがオレの指を押した。
「瀬本・・ち、ちょっと、待って・・・」
オレはそう言ったが、茜は構わずオレに迫る。オレの眼の前に茜の顔がきた。
「副部長、私、副部長のことが・・・好き・・・」
オレの身体が勝手に動いた。
オレは足をそろえて、両手をグーにして腰に構える。軽くひざを曲げてリズムをとる。イチニ。イチニ。イチニ。イチニ。
茜が驚いて両手を引いた。一歩後退する。オレを見ながら眼を見開いている。
オレはステップタッチをする。イチニ。イチニ。両手を頭の上で大きくタッチする。次に左手を上に突き出す。「オー」。今度は右手を上に突き出す。「オー」。両手をⅤの字に大きく頭の上に広げる。手の平をヒラヒラさせる。声が出た。
「ガンバレ、ガンバレ、アカネ」
「ガンバレ、ガンバレ、アカネ」
両手を前に突き出して、手の平をそろえる。足をそろえる。軽くひざを曲げてリズムをとる。
「ガンバレ、ガンバレ」
ひざを曲げて大きくジャンプ。両手はV字に頭の上に上げて、両足はそろえて後ろに蹴り上げる。
「アカネ」
足をそろえて、両手はグーにして腰に構えて着地。ひざを横に曲げ腰をひねる。両手をふくらはぎにおいて、色っぽく尻を前に突き出した。
「はい、ポーズ」
茜がパチパチパチと拍手した。眼には涙が浮かんでいる。茜が感極まって言った。
「ありがとうございます、副部長。そんなに私のことを応援してくれるなんて・・・」
そう言うと、茜は背中を向けて体育館の角に走っていった。角を曲がるときに、オレを振り返った。片手を大きく振り上げて、「ありがとうございます」と大きな声で笑った。夕陽に照らされた笑顔がまぶしい。
茜の姿が体育館の角から見えなくなった。オレは茫然と茜を見送った。
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