第6話

 それから大騒動だった。


 オレたちが山西を呼んで、山西が他の教員を呼んで、他の教員が救急車を呼んで、救急車の隊員が警察を呼んだ。


 校長の加治かじ康介まで、女子トイレにやってきた。加治は5年前に校長として安賀多高校に赴任してきた。警察が安賀多高校にやって来るのは彼の赴任以来、初めてのことだろう。禿げた頭に汗を光らせていた。校長と一緒にやってきた男の先生の一人が、個室の上の隙間から中に入ってドアの鍵を内側から開けた。


 倒れていた男性はオレが見たことがない人だった。幸い生きてはいたが、意識がなかった。すぐに病院に運ばれていった。


 警察はすぐにやってきた。オレたちは第一発見者ということで話を聞かれた。担当の警部がオレたちに名刺を差し出した。


 名刺には『S県警 捜査一課 警部 八十八騎 孝三郎』と書いてあった。


 八十八騎 孝三郎・・・変わった名前だ。オレは思わず口に出した。


 「はちじゅうはちき こうざぶろう?」


 「とどろき こうざぶろう です」


 八十八騎とどろき警部は名前を間違えられるのに慣れているのだろう。オレが警部の名前を間違えても嫌な顔ひとつしなかった。警部は、背はそれほど高くないが、がっちりした体型をしている。実直そうな大人しい顔だ。ちょっとくたびれた背広を着こんでいた。いかにもこの道何十年のベテランといった雰囲気と落ち着きがあった。テレビで見るスマートな刑事や警部とはだいぶ印象が違っている。


 八十八騎警部がさっそく夏美に聞いた。問題の個室の前だ。警部の渋い声が女子トイレの中にひびいた。


 「中で倒れている男性を発見したときのことなんだが、トイレの個室は中から鍵が掛かっていたんで、天井と個室のドアの隙()間から個室の中をのぞいたんだね。そして・・・」


 あっと思ったがもう遅かった。オレの身体が勝手に動いた。


 オレは身体の前に左手でデッキブラシを立てた。タッ、タッ、タッ、タッとリズムをきざむ。右足でデッキブラシの先端を軽く蹴るふりをする。左手を起点にしてデッキブラシを270度回転させて頭上に持って・・・いこうとした。


 デッキブラシの先が八十八騎警部のあごにアッパーカットで当たった。ウッとうめいて、警部が後ろにひっくり返った。ブラシから警部の顔に汚水の水滴が飛び散った。倒れた警部の背中に当たって、後ろに置いてあった掃除のバケツが宙に飛んだ。バケツの中から便器の中をこすった雑巾が飛び出した。同時にバケツから汚水が飛び散って、無数の水滴になって宙に舞った。


 トイレの照明に水滴がキラキラと光った。汚水の水滴が、女子トイレの中にいる警察と高校の関係者全員の頭の上からまんべんなく降りそそいだ。口を開けて上を見ていた校長の加治の口の中に何滴もの水滴が吸い込まれていった。


 たっぷりと汚い水を吸い込んだ雑巾が宙を舞って、倒れている八十八騎警部の顔に落下した。びちゃっと大きな音がした。警部がまたウッとうめいた。その衝撃で雑巾から周りの関係者にまた汚水が激しく飛び散った。校長の加治の禿げた頭に汚水がビチャッと跳ねた。


 オレのダンスは止まらない。


 オレは両手を使ってデッキブラシをくるくると三回転させた。オレの横で校長の加治が口を開けて、オレを見ながら立っていた。女子トイレの中でのオレの突然のダンスに茫然とした顔をしている。オレがデッキブラシを回転させると・・・ブラシについていた汚水の水滴が女子トイレの中にいる関係者の顔に遠慮なく飛び散っていった。またも加治の口にも無数の汚水の水滴が吸い込まれていった。


 オレはブラシを頭上で水平に静止させた。左足を大きく上げて、右足を軸にして身体を一回転させる。


 勢いよく回転したデッキブラシのブラシの部分が、ちょうど起き上ろうとした八十八騎警部の顔を水平に直撃した。警部がまたウッとうめいた。警部の身体が横に吹っ飛んだ。そして、警部の身体は、横でふたを開けていたピンクの洋式便器の中に、頭から突っ込んでいった。


 オレは前を向くと、身体の前に今度は右手でデッキブラシを立てた。トイレの床がトンと鳴った。オレの口から言葉が出た。


 「はい、ポーズ」


 ポーズを決めたオレの真ん前には、頭をピンクの便器の中に突っ込んで、逆さになって空中で両足をバタバタさせている八十八騎警部の姿があった。


 女子トイレの中に静寂があった。誰もが息を飲んで、オレと逆さになってピンクの便器に頭を突っ込んでいる八十八騎警部を見つめている。


 すると、トイレの入り口からパチパチパチパチと拍手が起きた。八十八騎警部以外の全員がトイレの入り口を振りむいた。学校が契約している清掃会社のおばちゃんが立っていた。掃除のおばちゃんの声が女子トイレの中に飛んだ。


 「ブラボー」


 以下はその後、オレが警察から聞いた話だ。


 女子トイレに倒れていたのは梅西和夫さん、46才。心臓の発作らしい。梅西さんは以前から心臓に持病があったという話だった。幸い一命はとりとめたが、意識は戻らず入院中だ。オレと夏美は梅西さんを発見したということで、梅西さんのご家族から感謝された。


 梅西さんは安賀多高校で警備員をしている。その日も安賀多高校で警備をしていたが、夕方から姿が見えなくなり同僚が探していた。倒れていた体育館横の女子トイレは巡回コースではなく、警備会社の同僚もどうしてそんなところで発見されたのか見当もつかないらしい。


 警察は事件と事故の両面で調査中のようだ。しかし、当日梅西さんを見たという目撃者がおらず、捜査は難航しているらしい。そもそも梅西さんがどうやって、オレと夏美が掃除をしている女子トイレの個室の中に忍び込んだのかもわかっていなかった。


 八十八騎警部からはその後オレたちに連絡はなかった。事件の捜査は難航しているようだった。


 そんなとき、オレと夏美は山西に呼ばれた。


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