小紫君、ダンスを踊ろ

永嶋良一

第1話

 昼休み・・・オレが恐怖する時間だ。


 食堂の横の売店で牛乳とアンパンを買うと、オレは急いで教室に戻った。席に着くと、アンパンを半分に割って口に放り込んだ。牛乳で一気に流し込む作戦だ。オレの横でクラスメートの相良さがらみゆきと森谷もりや和美がタッパーに入れた弁当を広げていた。みゆきが和美の弁当を覗き込んでいる。


 「わっ、和美。今日は手作りのデコ弁なの?」


 和美が手作りのオムライスにケチャップでハートを描きながら答える。


 「そーよ。このオムライス、おいしいわよ。みゆきに一口あげるよ」


 「わーい。いただきまぁれいねえ、この黄色」


 みゆきが箸でオムライスを一口とると、眼の前に持ち上げて卵の黄色をほめた。大きく口を開けて中に放り込む。


 オレの口からアンパンが飛び出した。身体が勝手に立ち上がった。両手を頭の上に上げると横をキッとにらむ。昨日テレビのコマーシャルでやっていたフラメンコだ。変なものを見てしまった。後悔したが、もう遅い。オレは足を踏み鳴らした。ドンドンと教室の床が鳴った。オレは顔の横でパチンと手を打つ。声が出た。


 「オーレ」


 みゆきと和美がポカンと口を開けて、オレを見つめている。オムライスがみゆきの口から机の上にこぼれ落ちた。和美が机にケチャップでハートを描いている。ケチャップが弁当箱から外にはみ出しているのだ。


 和美が心配そうにオレに聞いた。


 「どうしたの? むらさき君」


 「いや、ちょっと・・・何でもないよ」


 オレはあわててパンをひろって口に入れた。和美とみゆきが怪訝そうにこちらを見ている。またやってしまった。オレは真っ赤になりながら牛乳を流し込んだ。


 オレは小紫良一郎。S県の県立安賀多あがた高校の2年生。2年1組だ。安賀多高校は略してこうと呼ばれている。身長は1m65㎝。体重は内緒だ。太ってはいないとだけ言っておこう。自分で言うのも嫌になるがハンサムではない。女にもてたこともない。それどころか、女の手を握ったこともなかった。成績は中の上といったところだ。部活はしていない。要するに、どこにでもいる平凡な高校生だ。


 そんなオレには一つ大きな弱点があった。大きな悩みといってもいい。それは「」という言葉を聞くと、身体が勝手に踊り出すことだ。別に『love』の「好き」でなくてもよかった。「す」と「き」がつながっていたらいいのだ。さっきは、みゆきの「わーい。いただきまぁ」の「」と、「れいねえ、この黄色」の「」で反応してしまったのだ。なぜか自分の言葉には反応しない。人の言葉にだけ反応するのだ。


 踊りはそのとき印象に残っているものが、オレの意志とは無関係に勝手に出てくる。さっきのフラメンコみたいにだ。


 物心ついたころから、オレは「」という言葉を聞くと踊り出していた。オレには姉が一人いる。姉とオレの二人姉弟だ。姉の咲良さくらがバレエを習っていたので、小さいころはオレが踊り出しても、「お姉ちゃんのダンスの真似をしているのよね」で済んでいた。


 しかし、大きくなるとそうはいかない。オレは人の話し声が聞こえる場所を避けるようになった。人と接するのを嫌うようになった。だから、オレには友人はいない。こんな悩みは人には言えない。オレの悩みは家族も含めて誰も知らなかった。このため、オレは孤独に悩むこともしばしばだ。


 アンパンを始末すると、オレはイスにもたれこんだ。深く息をついて、窓の外を眺めた。校舎を取り囲む満開の桜が眼に入った。俺の口からため息が漏れた。


 「桜はいいよなあ。『すき』という言葉で踊り出すことはないものなあ」


 オレはヘッドホンをつけて眼をつぶった。別にヘッドホンで音楽を聴くためじゃない。まわりの声が耳に入らないようにしただけだ。


 背中を誰かがたたいている。ヘッドホンを取って後ろを振り向くと、後ろの席の倉持くらもち夏美だった。


 「小紫君。今日、文化祭の実行委員会よ。放課後、3年3組の教室ね」


 倉持夏美はクラス委員長だ。オレと二人で2年1組の文化祭の実行委員もやっている。1m70㎝で女子としては背が高い。容姿端麗、性格温厚、成績優秀、運動万能とまるで漫画のヒロインだ。ダンス部に入っている。ダンスもうまく、また後輩の面倒もよく見るので、ダンス部では部長をしている。整った目鼻に柔らかそうな唇。口にはいつも微笑み。ショートボブの黒髪がまぶしい。


 オレは「ヘイ」と返事をすると、前を向いた。夏美がさらに背中をつつく。


 「何だよ」


 「小紫君。あれ、持ってきてくれた?」


 そうだ。すっかり忘れていた。オレはカバンからCDを取り出した。姉の咲良から借りてきたものだ。夏美がリクエストしたダンス曲の『Cups(カップス)』が入っている。アメリカの女優のAnna Kendrick(アナ ケンドリック)の英語の歌だ。ダンス部でダンスミュージックとして使うらしい。


 オレはダンスには全く興味はない。オレの聞いたこともない曲だった。姉の咲良は大学でダンスのサークルに入っているので、ダンス音楽をたくさん集めていた。姉が持っている『Cups』が入ったCDを貸してほしいと夏美から頼まれていたのだ。


 オレがCDを渡すと、夏美が礼を言った。


 「サンキュー」


 そのとき、午後の授業の始まりのチャイムが鳴った。地理の教師の香田が教室に入ってくるのが見えた。地理に歴史をからめた授業が得意なので、生徒たちからは『地歴の香田』と呼ばれている。夏美がCDのジャケットを見ながら言った。


 「私、この曲、なの」


 いかんと思ったときには、オレの身体が勝手に動き出していた。


 オレは立ち上がった。両手を頭の上に上げて横をキッとにらむ。足を踏み鳴らした。教室の床がドンドンと大きく鳴った。クラスのみんながその音に驚いて、オレの方を振り向いた。オレはみんなが見ている中で、顔の横に両手を持ってくるとパチンと手を打った。声が出た。


 「オーレ」


 クラス全員が黙ってオレを見つめていた。みんながあっけにとられている。何人かはポカンと口を開けたままだ。誰かがボールペンを床に落としたらしい。カランという乾いた音が教室に響いた。


 香田がオレを見ながらパチパチパチと手をたたいた。教壇から言った。


 「小紫、歓迎のフラメンコをどうもありがとう。フラメンコは、スペインのアンダルシア地方発祥の民族ダンスだ。では小紫、アンダルシア地方の地理と歴史について説明をしてみてくれ」

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