第9話 キルユーベイベー

 古羊のサイン会が始まって15分後の渡り廊下にて。


 ひとしきり森実祭の写真を見終えた俺が、元の場所へ戻ってくると、まだ古羊と芽衣は生徒相手にサイン会という名の『おこづかい』稼ぎをやっていた。



「……いつになったら終わるのかなぁ、アレ?」



 輪の中に入ることも出来ず、ボケーと廊下に突っ立っていると。


 ――トントン。



「んにゃ? むぎゅっ!?」



 突如、何者かに肩を叩かれ、反射的に振り返ると、クニュっと誰かの人差し指が俺の頬に突き刺さった。


 それと同時に、クスクスと耳に残る静かな笑みが耳朶を甘く叩く。



「だ~れだ……?」

「丸見えですよ、メバチ先輩?」

「あっ、やっぱり……?」



 クスクスと扇情的せんじょうてきに笑うメバチ先輩。


 なんだよ可愛いかよ……お持ち帰りしてやろうか?



「先輩も来てたんですね?」

「うん……。欲しい写真があったから、ね……」



 メバチ先輩はパッ! と一瞬だけ俺から離れると、すぐさま子犬のように。


 ――ピトッ。


 と、俺の腕にくっつかんばかりに距離を詰めてきた。


 ……仲良くなって分かったのだが、この人、若干、人との距離感がバクっているのか、よく俺に引っ付いてくるのだ。


 おかげで俺の純粋培養岡山県産のチキンハートは、今にも口からまろび出そうで、あばばばばばばばばっ!?



「大神くんは、どんな写真を買ったの……?」



 そう言って、俺のメモを覗き込んで来て――いけないっ!?


 こんな女の子だらけのちょっぴりエッチな写真番号たちを、メバチ先輩にお見せするワケにはっ!?



「せ、先輩っ! あの写真、よくないですかっ!?」

「んっ……? どれ……?」



 あらぬ方向に指先を向けると、メバチ先輩が素直にそちらを見てくれる。


 先輩の人を疑うことを知らないピュアピュアハートに感謝しつつ、コッソリとメモを尻ポケットに突っ込み隠蔽いんぺい完了☆


 あとはこのあと『日本の少子化問題に、僕たちで終止符を打ちませんか?』と軽快なトークを展開しつつ、先輩をホテルに連れ込み、翌朝、夜明けのコーヒーを一緒に飲めば、ミッション・コンプリートだっ!



「あっ……この写真……」



 メバチ先輩の声が、何故か不意に詰まる。


 おや、どうしたんだろう先輩? と思い、意識をメバチ先輩に向けると、先輩は前髪で隠れた大きな瞳をこれでもかと見開きながら、俺の指さした方角を凝視していた。


 ん~ん? 一体なにが先輩の視線をそんなに強く惹きつけているんだ?



「後夜祭の写真……こんなところにあったんだ……」



 後夜祭? と心の中で首を捻りつつ、俺は自分が適当に指さした方角に視線を向け、先輩と同じく目を見開いた。


 それはグラウンドの中央で、ごぅごぅと燃えるき火の横で、俺と先輩が手を繋いで笑い合っている写真だった。


 なんで手を繋いでいたのか、自分でも覚えていない。


 ただ覚えている事と言えば、あのとき握った先輩の指の熱さだけ。


 きっとあの熱だけは、俺がオッサンになろうが、爺さんになろうが、一生忘れることはないだろうと思う。


 不意にあのときの熱が指先に蘇り、自然と頬が赤くなってしまう。


 それは先輩も同じだったらしく、どこか照れたような笑みで顔を真っ赤にしながら、手に持っていたメモに1つの番号を追加した。



「ねぇ、大神くん……? この写真、一緒に買わない……? き、記念に、さ……?」

「そ、そうですね。買いましょうか、記念に……」



 そのハリのある胸元で抱くようにメモを握り締める先輩から目を逸らし、尻ポケットから取り出したメモにシャーペンを走らせる。


 お互い、バカみたいに『き、記念に……』とつぶやきながら、繰り返し頷く。


 な、なんだ? この背中がムズムズするような甘い雰囲気は? 


 気を抜くと、比喩ひゆではなくマジで顔から火が出そうだっ!


 そんな俺たちの初々しいやり取りを、遠く離れた生徒達の人垣の奥から、ベテランスナイパーよろしく鋭く射抜いてくる2つの視線があったのだが……身体中の血液が沸騰したかのように熱くて、気づくのに遅れてしまった。


 それが後々、命取りになることも知らないで……。



「大神くん、このあとヒマ……?」

「えっ?」

「もしよかったら……この間みたいに、一緒に夏休みの勉強、しない……? 我が家で……」



 ――痺れた。


 じゅんっ! と胸の奥で『ナニカ』が溢れ出る。


 気がつくと、上目使いで、うかがうように俺を見ていたメバチ先輩に向かって、大きく首を縦に振っていた。



「ぜ、ぜひっ! よろしくお願いしめふっ! しますっ!」



 俺がそう口にした瞬間、先輩はお散歩に行く子犬のようにパァッ! と顏をはなやかせて、安堵の吐息を漏らした。



「よかったぁ……。それじゃ、14時に駅前集合で、いいかな……?」

「はいっ! お勉強会、楽しみにしておりますっ!」

「うん……。ワタシも楽しみ……」



 ビシッ! と敬礼する俺に、控えめに手を振りながら「またあとでね?」と微笑みを残し、スキップするかのように、その場を後にするメバチ先輩。可愛い。


 きっとこの後、大急ぎで家に戻って、お部屋の掃除をするに違いない。可愛い。



「お、俺もこうしちゃいられねぇっ!」



 なんせ女の子の家に、俺のようなナイスガイがお呼ばれされるということは、つまり……そういうことなのだ。


 速く家に帰ってシャワーを浴びなければっ! 


 なんせ先輩のお家にお邪魔した瞬間、真夏の太陽に負けないくらいアチチ♪ な愛の交合が始まるのは、もはや自然の摂理っ! なのでエチケットとして、シャワーを浴びるのは男として当然ことと言えよう!


 あっ、そうだ!


 エチケットと言えば『アレ』どうしよう?


 その……『アレ』だ。


 男女間の安全を保障する『アレ』ね。


 やっぱり必要だよね?


 なんせ、どこぞのエロマンガ作品よろしく、手ぶらで行って、いきなりとなると……現実問題いろいろ危ないしさ。


 うん、やっぱりエチケットは大事だよ。


 でも、今、お金ないしなぁ……。


 ……いや、待てよ?


 確かアマゾンが『こ、コレを財布に入れておけば、お金が溜まるっていう都市伝説があって、その、あばばばばばばばっ!?』と、いかにもモテなさそうな男が口にするような台詞をまき散らしながら、財布の中にゴム的な『アレ』を忍ばせていたっけ?



「よし、強奪してから行くか」



 ぶっちゃけ、かなり抵抗感はあるが、背に腹は代えられない。


 じゃあさっそく、アマゾンを強襲しようか。


 そう覚悟を決めて背後へと振り返り――ギョッ!? と目を見開いた。


 俺のすぐ真後ろ、そこにはハイライトの消えた瞳で俺を見つめる笑顔の芽衣と古羊。


 そして頭に紙袋を装着したブリーフ1丁の男達――『めいちゃんクラブ』が立っていた。


 おやおや~? 皆さんお揃いで、どうかしましたか?



「さぁ、宴のはじまりです」

「行こっか、ししょー?」

「へっ? 行くってどこへ――」



 刹那、背後から何者かにハンカチで口元を覆われる。


 抵抗する間もなく、そのハンカチの臭いを嗅いだ瞬間、俺の意識はぶっつりと途切れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る