第13話 ……『今はまだ』、ね

 我が親友の出し物を見物けんぶつし終えた午前12時と少し過ぎ。


『ちょっとワガハイ達のクラスの様子を見てくるのじゃ』と言って、2年D組へと帰って行ったうさみんと別れて30分。


 俺と古羊は出店で適当に腹を満たしながら、あてもなくグルグルと校舎の中を散策していた。



「そう言えば、そろそろ体育館でミスコンの予選が始まるんじゃねぇの?」

「あっ、もうそんな時間なんだね。なんだか今日は時間が経つのが早いなぁ」



 左手にしていた腕時計を確認しながら「はふぅ~」と、ため息ともつかない吐息を溢す古羊。


 よほど時間が経つのも忘れて楽しんでいたのだろう、その澄み切った空のような瞳が驚きに見開かれていた。


 う~む、コレはかなりイイ兆候じゃないか?


 俺がとなりに居ても楽しめているってことは、もう結構な割合で男性恐怖症も改善されつつあるってコトで……うん。


 協力した甲斐かいがあったってもんだ!


 確かな手ごたえに人知れず笑みをこぼしながら、体育館に向けて歩を進める。



「芽衣の応援がてらに、ちょっと寄ってみようぜ? まあアイツのことだから、応援なんていらないと思うけどさ」

「…………」

「うん? どったべ古羊?」



 突然、隣を歩いていた古羊の足がピタリと止まった。



「…………」

「はやく行かねぇと、いい席が取れねぇぞ?」



 行こうぜ? と声をかけるものの、古羊の足は根が生えたかの如くピクリとも動かない。


 おいおい、動かざること山の如しかよコイツ? 


 まあ確かに『とある』身体の一部は、山というよりエレベストですけどねっ!


 ほんと、コレの半分でもいいから、我らが虚乳生徒会長さまに分けてあげたいですよ。


 いやマジで。 


 なんて孫の成長を見守るオンジの気分に浸っていると、古羊がどこか責めるような視線で俺を見上げてきた。



「ねぇ、ししょー。ずっと気になっていたんだけどね……? ボクを含めて、他の女の子は『名字』で呼ぶのに、なんでメイちゃんだけ『芽衣』って下の名前で呼ぶの?」

「あぁん?」



 いきなり突拍子もないことを言われて、変な声が口から漏れる。


 見ると、古羊の瞳は『ボク、不満があります!』と絶賛大主張していた。



「『なんで』ってそりゃ……芽衣にそう呼べって言われたからだよ」

「芽衣ちゃんに? いつ?」

「1学期の中ごろだから、中間テストくらいからかなぁ」



 記憶の底を漁り蘇るは、もう2度と思い出したくない黒歴史認定された1学期中間テスト前の廊下でのやり取りだ。


 不意に芽衣の笑顔が脳裏をよぎり、今さらながらドキッ、としてしまう。


 そんな俺の心の動きを見透かしたのか、古羊はぷくぅ! と頬を風船のように膨らませ、



「……ズルい」



 と不満全開で言った。



「メイちゃんだけズルい! ボクも名前で呼んでほしいっ!」

「ど、どうどう。落ち着いて、よこた~ん? ホラ見て? 周りのお客さんの迷惑になってるでしょ?」



 廊下を歩いていた生徒たちが『なんだ、なんだ? 痴話喧嘩か?』と俺たちを注目し始める。


 その視線に「なんでもないですよぉ?」とジェスチャーで合図を送る俺。


 そんな頑張る俺に対して、古羊はさらに不満気な瞳で噛みついてきた。



「『よこたん』じゃないよ! ちゃんと『洋子』って呼んでみて! せーのっ!」

「めっちゃグイグイくるじゃん、コイツ……」

「はぐらかさないでっ!」



 むぅぅぅぅっ! と子犬が威嚇するように、小さくうなり声をあげる、なんちゃってギャル。


 なんだろう、この気持ち?


 例えるなら、メチャクチャ可愛がっていた飼い犬に手を噛まれた気分だ。



「まあまぁ、落ち着けよ古羊。まずは俺の話を聞いてくれ」

「むぅぅぅぅぅ。……なに、話って?」

「いいか? 午前中、あの占いの館の女子生徒が言っていたことを、思い出せ?」



 古羊の頭の中に、パチモン臭い魔女の格好をした女子生徒の姿が浮かび上がったことだろう。


 あの女子生徒は、俺にこう言っていた。




 ――『お兄さん……童貞ですね?』と。




「あの女子生徒が言っていたように、恥ずかしながら、俺はサクランボーイだ。Bボーイじゃねぇんだ、チェリーボーイなんだよ。まだ俺の息子は駄菓子屋でキャッキャしてんだよ。そんな俺に女の子の、しかも同級生を下の名前を呼び捨てにするだなんて……。ハードルが高すぎて、ヘソからタピオカミルクティーが出てくるわ」

「でもししょー、メイちゃんの名前だけは呼び捨てにしてるよね?」

「あ、アレはホラッ! 俺のデリカシーの無さを矯正するための特訓の一環だから。古羊だって知ってるだろ?」

「それって、ししょーを女の子に慣れさせて、デリカシーを覚えて貰う話だよね? ……あっ、そっか。だからメイちゃんを下の名前で呼んでたのか……」

「ほっ……。分かってくれたか、我が弟子よ?」

「うん、理由は分かったよ。でもそれなら、ボクの名前で練習しても問題ないよね?」

「そ、それはっ!? そのぅ……えへ♪」

「笑って誤魔化さないで。メイちゃんはOKなのに、ボクはダメなの?」



 とうとう瞳をウルウルさせ始める古羊。


 うぐぅっ!? そ、その瞳には弱いんだよなぁ、俺。


 そもそも芽衣の名前を呼ぶにしたって、色々と一悶着があったんだぞ? と言おうとしたが、きっと言ったところでコイツは納得しないだろうし……。


 う~む、どうしたものか。


 うんうん唸りながら悩んでいると、俺の脳内に住む小さなシロウたちが『いい加減、覚悟を決めろカス!』と本体に発破をかけてきた。


 呑気でいいなぁ、おまえら。



「ボクも名前で呼んでほしいなぁ……」

「うぐっ!?」

「ねぇししょー……ダメ?」



 芽衣とはまた違ったベクトルのアプローチに、つい心が揺れ動いてしまう。


 控えめに、けれど絶対に退かない! という強い意思を感じさせる瞳を前に、俺はボリボリと頭をかいた。



「よ、ようこ……さん」

「~~~~~ッ!?」



 言った瞬間、お互いに、これでもかと顔が赤くなる。


 うがぁっ!? な、なんだコレ!?


 は、恥ずかしいやら、こしょばゆいやらで、よく分からん感情がマグマのように溢れてくるぅぅぅっ!?


 胸の奥から濁流のように溢れ続ける感情の津波に、激しく翻弄ほんろうされているのは、どうやら俺だけではないらしく、古羊もカァァァァッ! と頬を真っ赤にさせながら俺から目を逸らし、顔を伏せていた。


 せ、背中が痒いっ!


 なんだこの甘酸っぱい雰囲気は!?



「や、やっぱり名前呼びはナシで! ナシナシの方向でお願いしまふっ!」

「は、はひっ! 了解しました!」



 俺が訳の分からないことを口走って、この甘酸っぱい雰囲気を打ち消そうとした矢先、古羊の方が先に耐えられなくなったらしく、両手をパタパタさせながら「あはは……」照れたようにはにかんで見せた。


 お互いバカみたいに笑うものだから、通行人たちに『なんだアイツら……ヤバい薬でもキメてんのか?』みたいな目で見られ、2人ともむっつりと黙り込んでしまう。


 なんとも気まずい沈黙が俺たちの間を支配した。


 く、苦しい……っ!?


 なんで俺は古羊とこんな雰囲気にならねばならんのだ!?



「と、とりあえずっ! こんなところでボーッとしてるのもアレだし、体育館に移動しよっか!」

「そ、そうだなっ! 行こう、行こう! 体育館へ行こう!」



 頬を赤くしたまま歩き出す古羊の後ろを、ヒョコヒョコとついていく。


 きっとこの甘酸っぱい雰囲気も、時間が洗い流してくれるだろう。


 未来の自分に期待しながら、芽衣を応援するべく体育館へ移動する俺たち。




「い、今はまだ早いかな。……『今はまだ』、ね」




 こっそり呟いた古羊の言葉は、流れる人混みに紛れて、どこかへ消えていった。

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