第24話 それでもピエロは笑い続ける

 目の前で俺に告白してきた鹿目ちゃんが、見知らぬ男と抱き合っている光景を前に、頭の中が真っ白になった。


 ……な、なんだこれ? どういうことだ?


 なんで鹿目ちゃんはあのとっつぁんメガネと抱き合っているんだ?


 気が付くと俺は、すぐ傍の木陰こかげに身を隠して、2人の行動を見守っていた。




「それで、喧嘩狼は言うことを聞きそうか?」

「うん。多少邪魔は入ったけど、もう少しで完全にワタシに惚れると思う。そしたらあいつ、もうワタシたちの言いなりだよ」

「そうか、そうか! よかったぁ~っ! それじゃもうクズ高の奴らに金を無心されることは無くなるんだな!」

「うん。これで上手く喧嘩狼をそそのかして、ダイちゃんにカツアゲする奴らをボコボコにしてもらえば、万事解決だね」




 ……鹿目ちゃんの言っている意味が分からなかった。




 俺を唆す?


 カツアゲ?


 ボコボコにする?


 な、なにを言っているんだ彼女は……?



「けどさ窓花、その後はどうするんだよ?」

「その後って?」

「喧嘩狼とのことだよ。どうするんだ? そのまま付き合うのか?」

「まさかっ!? そんなワケないでしょっ! ダイちゃんがいるのに。適当な理由をつけて振るに決まっているじゃん」



 だから安心して? と俺には向けたことがない笑みを浮かべる鹿目ちゃん。


 そんな彼女の返答に満足したのか、とっつぁんメガネが、にへらっ、と緩んだ笑みをたたえた。



「だ、だよなっ! だよなっ! そうだよなっ!」

「そうだよ、それにこの計画を立てたのはダイちゃんでしょ? ほんとは嫌だったけど、ダイちゃんのためにワタシ頑張ったんだからね?」

「――なるほど、そういうことでしたか」



 笑い合っていた2人の顔が、突如聞こえてきた凛とした声音によって固まった。


 鹿目ちゃんととっつぁんメガネは弾かれたように声のした方向に視線を向ける。


 そこには……2匹の鬼が居た。



「ひ、羊飼センパイ!? こ、古羊センパイも!?」



 慌てたように目を見開く鹿目ちゃんの瞳の先には、静かに生徒会長の仮面を被る芽衣と、これでもかと眉根を寄せて2人を睨む古羊の姿があった。


 突然の2人の登場に呆気あっけとられ、身動きが出来なくなる鹿目ちゃんととっつぁんメガネ。


 そんな2人に対して、芽衣はいつもの張り付けた笑顔でゆっくりと語りはじめた。



「おかしいと思ったんですよ。今まで士狼と何の接点もなかった鹿目さんが、いきなり告白だなんて……。どうにも腑に落ちなかったんですが、これでようやく合点がいきました」

「シカメさん……ボクたちを騙してたんだね?」

「だ、騙してたなんてっ!? とんでもないです! ワタシはなにも騙してなんてっ!」



 古羊の言及に対して、首を激しく左右に振る鹿目ちゃん。


 そんな彼女に、芽衣は笑顔で、されど突き放すような冷たい声色で言った。



「別に否定しなくてもいいですよ。もう大まかな内容は理解しましたので」

「り、理解って、何を理解したんですか?」

「もちろんあなたたちの計画ですよ」



 そこからはただ淡々と、事務的に事の詳細を口にした。



「鹿目さんはそこの彼……確か『ダイちゃん』さんでしたっけ? その方とお付き合いをさせてもらっている。でも彼はここ最近、九頭竜くずりゅう高校こうこうの生徒相手にカツアゲにあっていた。おそらく日常的に暴力を振るわれていたんでしょうね、その顔の傷が何よりの証拠です」



 それで困った彼は何とかカツアゲ犯をどうにかしようと、彼女である鹿目さんに『ある計画』の相談をした、と芽衣は続けた。



「その計画というのが喧嘩狼、つまり士狼を使ってカツアゲ犯を撃退しようという案です。確かに士狼なら、そこらへんにいる不良なんか目じゃないでしょう。ここまで分かれば、あとはもう簡単です。あなたは自分の彼女を使って、士狼を色仕掛けで籠絡ろうらくしようとした」



 そして彼女に惚れた士狼に『自分の|従兄弟《いとこ』がカツアゲに遭っているの、助けて』とかなんとか適当なお願いでカツアゲ犯を懲らしめさせて、用が終わればさっさと別れて、再び自分の彼氏とヨリを戻せばいい。



「――といったところですかね。どうですか、合っていますか?」

「「…………」」

「何も言わないところを見るに、正解だったみたいですね」



 ベテラン刑事さながらの推理を披露し終えた芽衣は、ふぅ、とその場で小さく息を吐き捨てた。


 その吐息は4人の間を駆け抜ける生温かい風によってどこかへ運ばれていく。



「ただ、どうしても分からない点が1つだけあります。どうして士狼に頼るんですか? 警察に行けばいい話じゃないんですか?」

「け、警察なんかに行ったら、あとでアイツらに殺されちまうよ!」



 叫ぶようにそう口にしたのは、今の今まで沈黙を貫いていたあのとっつぁんメガネだった。


 とっつぁんメガネは、ガクガクと身体を震わせながらも敵意の籠った視線で芽衣を睨みつける。



「お、おまえはアイツらの、クズ高の怖さを知らないからそんなことが言えるんだ! アイツらに手を出したら、もうこの町じゃ生きていけねぇんだよ」



 だから絡まれたときは大人しく1回だけのつもりで金を払ったんだ、とメガネは言った。




「殴られるのは嫌だから、お金を渡せば大人しくなるだろうって思って。でも気がついたら毎週たかられるようになって……。それでなんとかめさせようと、ビビらせるつもりで『オレは喧嘩狼と友達なんだぞ、いい加減にしろよ!』って言ったら、『なら連れてこい』って言うんだもん」

「それでししょーを……」

「事情は分かりました。けどそんなあなたの都合に、勝手に巻き込まれた士狼には悪いとは思わないんですか?」

「しょうがないじゃないか! 来週の水曜日までに3丁目の空き倉庫まで喧嘩狼を連れて行かないと、またオレが殴られるしっ!」

「それでは、あなたの代わりに士狼が殴られてもいいと言うんですか?」

「別にいいだろ! 喧嘩強いんだし! ちょっとくらいケガしようが問題ないだろ!?」



 そうとっつぁんメガネが口にした瞬間、芽衣の隣に居た古羊がツカツカと歩きだした。



「洋子?」

「こ、古羊センパイ……?」

「な、なんだよアンタ……?」



 古羊は困惑するとっつぁんメガネの目の前まで静かに移動するや否や。




 ――パァンッ!




 と、乾いた音が公園内に響き渡った。



「ブッ!?」

「だ、ダイちゃんっ!?」



 いきなり古羊に顔面をビンタされたとっつぁんメガネが、変な声をあげながらその場で尻もちをついた。


 慌ててそんなメガネの傍に寄り添う鹿目ちゃん。


 最初こそ呆然としていたとっつぁんメガネだったが、自分がナニをされたのか理解し始めると、すぐさま顔を真っ赤にさせ、古羊を睨みあげ――固まった。




「ふざけないで」




 そこには、碧い瞳を涙でいっぱいにした古羊が、憤怒ふんどの形相でとっつぁんメガネを睨みつけている姿があった。




「アナタが誰と策謀さくぼうしようが、悪いことをしようが、アナタの人生だもん、好きにすればいいと思う。でもっ! そんな私的な理由なんかで、自分勝手なエゴイズムで、誰よりも優しくて温かい、あの人の心を、想いを、気持ちを踏みにじるのだけは許せないっ!」

「洋子……」

「例え神様、仏様、お天道様が許しても、ボクだけは許さないっ! 絶対に許さないっ!」 




 今にもこぼれ落ちそうな涙を必死に我慢しながら、喉から血を噴き出さんばかりの勢いでとっつぁんメガネを、鹿目ちゃんを批難する古羊。


 古羊センパイ……、と呆然としていた鹿目ちゃんが烈火の如く怒り狂う古羊の名前を呼んだ。


 そんな彼女たちに隠れるように、俺は小さく微笑んだ。


 あぁ、俺はなんて幸せ者なんだろうか。


 ありがとう古羊、その一言だけで充分だ。


 まるで今までやってきたことが全て報われたような、そんな気がして、俺はもう1度だけ微笑んだ。



「~~~~っ!? こ、このっ!? 言わせておけばっ!?」



 女の子にたれたのがよほど腹にえかねたのか、キョトンと目を見開いていたとっつぁんメガネの瞳に敵意の炎が灯った。


 暗闇でも分かるほど、カーッ! と顏を真っ赤にさせ、今にも古羊を殴り殺さんばかりの勢いで彼女を睨みつける。


 そのままギリッ! と歯を食いしばって、古羊に向かって大きく拳を振りかぶり、



「だ、ダイちゃん!? ダメっ!」

「あぶない洋子っ!」

「ッ!?」



 鹿目ちゃんの制止を無視して、とっつぁんメガネの拳がなんちゃってギャルの顔にめり込む。







 ――ことなく、古羊の前に身を滑り込ませた俺の手の中に収まった。




「ごめんな兄ちゃん? 流石に殴るのだけは勘弁してくれや?」

「し、ししょーっ!?」

「士狼っ!?」

「お、大神センパイッ!?」

「ゲッ!? け、喧嘩狼っ!?」



 青い顔を浮かべる鹿目ちゃんと、とっつぁんメガネ。


「ど……どうして?」と驚いた顔を浮かべる古羊に苦笑を返しながら、とっつぁんメガネの放った拳をそっと静かに手放した。


「こ、これは違っ!?」と慌てふためくとっつぁんメガネ。


 血の気の失せた顔で俺を見つめる鹿目ちゃん。


 その瞳には明らかに俺に対する恐怖が浮かんでいて、それが余計に俺の心を締めつけた。



「お、大神センパイ……なんでここに?」

「鹿目ちゃん、コレ、我が家に忘れてたぜ?」



 そう言って彼女のペンケースを差し出した。


 鹿目ちゃんは目を丸くしながら、おずおずといった様子で俺からペンケースを受け取った。



「ち、違うんです大神センパイ! こ、これには深いワケが……っ!」

「ありがとうな」

「えっ?」



 突然のお礼に呆けた顔を浮かべる鹿目ちゃん。


 そんな彼女に、俺は精一杯の笑顔を浮かべて再びお礼の言葉を口にした。



「こんなクソダセェ俺に、一時いっときでも夢を見させてくれて。最高の夢だった。ありがとう」

「お、大神センパイ……」

「彼氏さんに、よろしく」



 そう言って俺は古羊の手をとり、芽衣の居る方へと振り返った。


 そして彼女に背を向け歩き出す。


 愛しき人に背を向け、歩き出す。



「家まで送る。行くぞ芽衣、古羊」

「……いいの士狼?」



 俺を見上げる芽衣とは視線を合わせず、ぶっきら棒に「あぁ」と返事を返す。


 きっと芽衣の言った「いいの?」には多分な意味が含まれていたんだと思う。


 それでも構わず頷いてみせる。


 そんな俺を見て、芽衣は諦めたように小さくため息をこぼして、



「そう、わかった。……帰るわよ洋子」

「えっ? 本当にいいのししょー? だって……」

「これでいいんだよ」



 その有無を言わさない口調に、なにか言いたげだった古羊も口をつぐんで、俺に引っ張られるまま歩き出す。


 ぽっかりと胸に空いた喪失感を、夜風がねっとりと通り抜けていく。




 さようなら。




 俺はもう何度目になるか分からない恋に別れを告げ、その場を早足で去って行く。


 そんな俺の後ろ姿を、鹿目ちゃんは何を言うでもなく、ただ黙って見送ってくれた。

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