第24話 誰にも届かないアタシの声

 バシャンっ! と冷水を頭からぶっかけられた衝撃で、羊飼芽衣は目を覚ました。



「ゴホッ、ゴホッ!? ……ここは?」

「おはよう芽衣。よく眠れたかな?」

「メイちゃんっ!?」



 冷たい床の上で飲みこんでしまった水をむせるように吐き出していると、上の方から愉悦ゆえつにまみれた声と泣きそうな声が降ってきた。


 芽衣は気怠い身体を動かし、声の主の方へ意識を向け……息を飲んだ。


 そこには7人ほどの男を従え、用意していたパイプ椅子に腰を下ろし、喜悦に歪んだ瞳でコチラを見下している少年が居た。


 瞬間、芽衣の頭は真っ白になった。


 まるで精緻なアンティーク人形のような容貌に驚いたから……ではない。


 その見知った人間が再び自分の前に現れたことに恐怖してしまった。


 な、なんで? なんでアナタがここに居るの……?



「……佐久間、くん? どうして――グゥッ!?」

「メイちゃんっ!?」



 芽衣が疑問の声を口にした瞬間、近くに居た男の1人がそんな彼女の柔らかなお腹を思いっきり蹴り上げた。


 途端に苦悶の表情を浮かべる芽衣の隣に転がされていた洋子の悲痛な声が鼓膜を叩いた。


 彼女の心配そうな視線が身体に絡み合うのを感じながら、芽衣は「ガハッ!? ゴホッ!?」と何度も咳き込む。


 その姿を見て、佐久間の唇の端がニッチャリと邪悪に吊りあがった。



「ダメだよ芽衣? ぼくの許可なく勝手に喋っちゃ?」

「さ、佐久間さん? 流石にコレはやり過ぎじゃ?」

「うるさい、黙ってろ」

「は、はい……すみません」



 いつか遊園地で見た勉強が出来そうな男と言い争っている間に、芽衣はようやくここ数十分ほどの記憶を取り戻し始めていた。


 そうだ、確かアタシは洋子と一緒に大神くんから自宅に帰っている途中で、いきなり後ろからハンカチで鼻と口を覆わされて、それで気を失ったんだった。


 おそらくあのハンカチには何か薬品が染みこんでいたのだろう。若干、今も頭がクラクラする。



「大丈夫、メイちゃん!?」

「洋子……大丈夫、ちょっとビックリしただけだから」



 手足を結束バンドで結ばれ床に転がされている洋子を安心させるべく、芽衣は笑みを顔に張りつけるのだが、いつもよりもその笑顔がぎこちない。


 おかげで余計に洋子の蒼色の瞳が不安気にゆらゆらと揺れた。


 芽衣は「失敗した」と心の中で舌打ちしつつ、身体を動かして彼女のもとへ近づこうとして……気がつく。


 どうやら自分の手足も結束バンドで結ばれているのか、身体が自由にいうコトを聞いてくれない。



「ねぇ洋子? ここがどこだか分かる?」

「うん、町はずれにある廃ビルだよ。多分、2階か3階だったと思うけど……怖くてあんまり覚えてないや……ごめんね?」

「ううん、そんなことないわ。ありがとう」



 洋子にお礼の言葉を口にしながら、芽衣は1人頭を悩ませた。


 とりあえず分かったことは2つ。


 自分たちは佐久間くんたちによって、この廃ビルへと誘拐されたこと。


 そして、誰も助けには来てくれないという絶望的状況であるということ。




(……いや、この期に及んで『誰か』に助けてもらおうと思っているのアタシは?)




 瞬間、芽衣の脳裏にあの赤髪のアホ面の少年の顔がよぎった。


 きっと数時間前に変な会話をしたせいだ。


 まったく、甘ったれな自分の思考が嫌になる。


 この世の中、ドブに落ちた犬を助けてくれる人間なんていない。


 そんなこと4年前に痛いほど学んできたクセに、今さら助けなんて。


 心の隅っこの方で小さな自分が何かを叫んでいるような気がしたが、芽衣の思考をぶった切るように佐久間がその口を開いた。



「ほんとおまえを探すの苦労したんだよ芽衣? ぼくの許可なく勝手に星美の町から居なくなって……またお仕置きされたいのかい?」

「ぁ……」



『お仕置き』という言葉を受け、芽衣の脳裏に中学時代のトラウマがフラッシュバック。


 途端に身体中から力が抜け、反抗する気力を根こそぎ奪われてしまう。



「ふふっ、そう心配しなくてもまだお仕置きはしないよ。芽衣の彼氏が到着したら、彼の目の前でメチャクチャにしてあげるから。まぁ、彼氏の方は今頃ボコボコのボロボロになっているだろうけどね」

「か、彼氏……?」



 彼氏って? 弱々しく尋ねる芽衣の言葉を掻き消すように、洋子の威嚇する声が部屋に木霊した。



「なんで!? なんでまたメイちゃんにこんな酷いことをするの!? こんなコトをして何になるって言うのさ!?」

「ぼくがスカッとする」



 んなっ!? と驚き声を無くす洋子。


 そのどこまでも自分本位な答えに二の次が紡げなくなった洋子を、うっとりした表情で眺める佐久間。



「おっ? いいねぇ! 実にぼく好みの顔だよぉ。ほんとはこんな三流悪役っぽいことは言いたく無いんだけど、その顔に免じて特別に語っちゃおうかなぁ! ――おい、おまえらは外に出て誰も来ないように見張っておけ」



 佐久間に命令され、7人の男たちはゾロゾロと部屋の外へと退出していく。


 その様子を遠巻きに眺めながら、佐久間はポケットからタバコの紙箱を取り出し、1本抜き取った。


 それを指の間に挟み、手慣れた手つきで口にくわえ、100円ライターの炎で先端を炙る。


 甘ったるい匂いが周囲へ漂い、洋子が嫌そうに顔をしかめた。


 もちろん佐久間はそんな洋子のことなんぞお構いなしに、嗜好しこうの香りを肺いっぱいに吸いこむ。


 肺がボゥッ! と温められ、指先の感覚が冷え込む矛盾が佐久間の心をさらに陶酔とうすいさせた。



「ぼくはね、芽衣の幸せが反吐が出る程嫌いなんだよ。まぁ当然だよね? ぼくに『あんな』ことをしでかしたんだもん、嫌いって言わない方がムリな話だよね?」



 ちょっと可愛いから遊んでやろうかと思ったら、ぼくの顔を傷つけるんだもん。


 そりゃ一生かけて償わせなきゃ割りに合わないよ、だってこのぼくの顔を傷つけたんだから。



「なのにぼくのことを忘れて生きていくだって? ハッ! させるワケないよね? 芽衣にはこの先の人生、どん底のまま一生苦しんで生きていってもらわないとぼくの気がすまないんだから」



 だから、いかにして芽衣の幸せをぶっ壊すかずっと考えてきた。


 もう寝ても覚めても芽衣のことしか考えられないくらいに、ね。


 こんなに1人の女に執着したのも初めてかもしれない。



「そうだなぁ、この気持ちを言葉にするなら……うん! アレが1番近いかもしれないね」



 佐久間はもったいぶったかのように間を作り、芽衣たちの目をまっすぐ見据えながら、熱に浮かされた乙女のごとく蒸気した顔でこう言った。





「――恋。そう、コレは恋だ。ぼくは今、芽衣に恋をしている。


 どう壊してやろうか?


 どう泣かせてやろうか?


 どう傷つけ、引き裂いてやろうか?


 そんなことを考えるたびに、ぼくはとても幸せになれる。


 芽衣の絶望した顔を思い浮かべるたびに、もう射精してしまいそうなくらい心が震えるよ!」





 恋、と聞いた瞬間、芽衣の顔に恐怖が、洋子の胸に嫌悪感が溢れかえった。


 まるで自分の中の大切な想いを穢されたようなそんな気がして、思わず顔をしかめる。


 そんな洋子たちが愉快でたまらないのか、佐久間の顔にさらに深い笑みが刻まれる。



「そうッ! ぼくが芽衣に恋して、恋焦がれているからこそ、この状況になったと言っても過言ではないね! いや、もはやコレは恋というより愛と言った方が言い得て妙かな? ぼくが居る限り芽衣は絶対に幸せになれない、させない、させてやらない! これがぼくの愛だよ!」

「気持ち悪い」

「……なんだって?」



 気持ちよく笑っていた佐久間の顔がピシリッ! と豪快に固まった。


 そのまま不自然な笑顔をキープしたまま、嫌悪感剥き出しでコチラを見る彼女――古羊洋子へと視線を向けた。



「ごめん古羊さん? よく聞こえなかったから、もう1度言ってくれるかな?」

「気持ち悪いって言ったんだよ、このストーカー」



 普段の彼女の姿からは連想できない意志の強い光を瞳に宿し、ハッキリと佐久間に向かって拒絶の言葉を投げつけた。



「……そう」



 途端に佐久間は笑みを引っ込め、ツカツカと洋子の近くまで歩いていくなり。





 ――ドスッ!





 と、力の限り彼女のお腹を蹴り上げた。



「ガ、ハッ!?」

「洋子っ!?」



 瞳に涙の粒を浮かせ、苦悶の表情を浮かべる洋子。


 それでもその瞳に宿った光は消えることなく、佐久間を捉えて離さない。


 ……それが酷く不愉快で仕方がない。



「誰の!? 何が!? 気持ち悪いって!? 言ってみろ、このクソ女!?」


 



 ――ガスっ! ドスッ! ゴスッ!




 と何度も何度も、佐久間のしなやかな脚が洋子の腹にめり込んでいく。


 そんな親友のなぶられる姿を目のあたりにした芽衣は、もはや半狂乱で声を張り上げていた。



「やめて!? 佐久間くんやめて!? やめてください、お願いしますっ!?」



 もはや懇願するように情けない声をあげる芽衣に、ようやく腹の虫が収まったのか、佐久間は洋子を蹴ることを止め、芽衣の方へと向き直った。


 苦しげな声をあげる洋子と、嗜虐的な笑みで自分を見下ろす佐久間を目にした瞬間。




 ポキッ。




 と芽衣の中で大切な『何か』が折れる音がした。



「ハァハァ……ふぅっ。芽衣がそこまで言うなら仕方がないなぁ。その這いつくばった体勢のままぼくの靴を舐めるなら、特例として彼女古羊だけは助けてあげるよ」

「ゴホッ、ゴホッ!? だ、ダメだよ、メイちゃん? そんなことしちゃ!?」

「……ごめんね洋子」



 芽衣は芋虫のように床を這いずりながら佐久間の足下へと移動する。


 そのまま苺のように真っ赤な舌を「んべっ」と出すなり、洋子の制止を振り切ってゆっくりと佐久間の靴を舐めにいく。



「メイちゃん!? やめてよメイちゃん!?」



 洋子の悲痛な叫びに呼応するかのように、ふるふると舌先が震える。


 そんな芽衣を見て、佐久間は紫煙をくゆらせながら、心底楽しそうに声をあげた。



「いいよ芽衣、最高だっ! どうせおまえの存在価値はもうぼくを楽しませることしかないんだから、思う存分ぼくを楽しませておくれ!」



 佐久間の下卑た笑みが部屋へ反響する中、芽衣の瞳からポロポロと涙がこぼれ落ちた。



 ……あぁ、どうしてこんなことになったんだろう?



 アタシはただ、『居場所』が欲しかっただけなのに。


 ココに居ていいんだよ、って自分の存在を肯定してくれる『居場所』が欲しかっただけなのに。


 せっかく見つけたと思ったのに……また壊れちゃった。


 もういい、疲れた。


 芽衣がすべてを諦めたその瞬間、彼女の心の隅に居た『もう1人』の自分が、勝手に唇を動かした。



「ほら、早く舐めろよ芽衣。は~や~くぅ~っ!」



 佐久間のかす声が肌を叩く。


 そんな彼の声に押しつぶされるように、芽衣の祈りにも似た声音が地面へと転がった。



「たすけて……誰かたすけて……」



 その祈りのような小さな声は、誰にも届くことなく、佐久間の喜悦きえつにまみれた声に埋もれていった。



「プハッ!? この期に及んで命乞い!? いいねぇ、最高だよ芽衣! でもざんね~ん♪ 誰も助けになんて来ないんだよぉ!? だっておまえはいらない子――」







「――いいや。『いらない』のはおまえの方だ、このブタ野郎」








「「「ッ!?」」」



 ソレは突然やってきた。


 静かで低い声なのに、やけに耳に残るその声音。


 コツコツコツ、と入口の方から聞こえてくる乾いた靴音。


 3人の視線が開けっ放しのドアへと引っ張られる。


 そこには全身黒ずくめの大柄の男が立っていた。


 佐久間はその大柄の男を認識するや否や、ほっとあからさまに胸を撫で下ろし、すぐさま不愉快そうに目を細めた。



「おい、誰が戻って来いって言った? 外の見回りはどうした?」



 イラだったような佐久間の声が部屋に反響する。


 だが男からの返事はない。


 佐久間はムッツリと黙り込んだままの男に向かって「チッ」と舌打ちをこぼした。



「返事はどうした? ぼくを誰だと思っている?」

「女に手をあげる最低のクソ野郎だろ?」



 瞬間、大柄の男の身体が膝から崩れ落ちた。


 途端にその身体に隠れるようにして立っていた赤髪の少年が姿を現した。


 目を剥き驚く佐久間。


 だが芽衣の混乱はその比ではなかった。


 な、なんでアンタがここに居るの……?


 赤髪の少年はそんな2人を無視して大柄な男の屍を軽々超えるや否や、意気揚々と部屋へと入ってきた。



「いいかブタ野郎? 1度しか言わねぇから、そのお飾りの耳の穴を、よぉ~く! かっぽじって聞けよ?」



 誰にも届かないハズだった彼女の声は。



「テメェが『いらねぇ』ったソイツはなぁ、人を笑顔に出来るスゲェ奴なんだよ。みんなを幸せにすることが出来る、スゲェ奴なんだ」



 ちいさな、ちいさな、祈りの声は。



「人を笑顔に、幸せに出来る人間に、価値が無いワケがないだろうが」



 1人の少年に届いていた。



 不敵な笑みを浮かべる少年に届いていた。




 ――大神士狼に、届いていた。

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