第2話 変態8号
「――はぁ? 下着泥棒ぅ?」
オレンジ色にデコレーションされた生徒会室に、俺の間の抜けた声音が木霊した。
羊飼が満を持して最初に言った台詞、それは「下着泥棒を捕まえたい」というものだった。
「えぇ、そうよ。アンタも聞いたことあるでしょ? 今、この近辺で若い女性ばかりの家を狙って下着を盗むクソ野郎がいるって」
「そういえば今日、帰りのホームルームでヤマキティーチャーがそんなことを言っていたっけ」
俺は筋肉の化身である2年A組の担任、山崎先生ことヤマキティーチャーの姿を思い返しながら適当に相槌を打った。
正直、そこらへんは聞き流してたからちゃんと聞いてないんだよなぁ。どうしよう?
俺の反応が
「えっとね、実はその下着泥棒さんなんだけどね、ウチの学校の女子生徒も結構な人数被害に遭ってるんだよ。しかもね、それだけじゃなくてね……その……」
「あぁ、なるほど。そういうことか」
俺は古羊が何を言いたいのか理解し、その言葉を継ぐように口をひらいた。
「つまりまた羊飼の胸パッドが盗まれたんだろ? って、あれ? ということは、その胸の
「離して洋子! じゃなきゃあのバカの頭をかち割れないっ!」
「お、落ちついてメイちゃんっ!? バッドはマズイ、バッドはマズイよ!?」
一体どこから取り出したのか、木製バッドを振りかぶり俺の頭でティーバッティングを試みようとする羊飼。
そんな親友の細いウェストに抱き着いて、慌てて宥めにかかる古羊。
おっとぉ? これはもしかしなくても、俺、死んだか?
「大丈夫、1回だけっ! 1回だけだから!」
「い、1回も何もそんなことをしたらししょーが死んじゃうよ!? あ、謝ってししょーっ! はやくメイちゃんに謝ってっ!」
「す、すまん羊飼! 別にバカにするつもりはなかったんだ! ただパッドが盗まれたのに何でおっぱいが盛ってあるんだろうと思って、つい……」
「はい殺す。絶対殺す……ぶっ殺す!」
「ひぃぃぃっ!?!?」
「デリカシーっ!? ししょーにはデリカシーがないのっ!? もうっ!」
「スンマセンッ!」
古羊に謝りながら、彼女と一緒に
ようやく落ち着きを取り戻した羊飼が、俺を5回は殺せそうなほどの怒気を発しながら「チッ……」と短く舌打ちを溢した。
ふぇぇ、胃に穴が開きそうだよぅ……。
「……盗まれたのは予備のパッドよ」
「予備のパッド?」
「そっ。普段用のパッドが何かしらのトラブルで使えなくなったときのための保険用パッドよ。それが盗まれたの」
「つまりメイン・ウェポンは無事だったワケだな。よかったじゃん」
「よかないわよっ! こちとら身体の一部をもぎ取られたのよ!? クソッたれがッ!」
もはやパッドを「体の一部」と言い切ってしまうあたり、彼女のパッドへの並々ならぬ執念を感じる。
それにしてもチミの胸パッド、よく盗まれるね。
もうプチ旅行感覚で盗まれてんじゃん?
前世はピーチ姫か何かだった?
「この世は等価交換で成り立っているわ。ヤツの心臓を
「汚ねぇ人体錬成だ……」
パッドの錬金術師と化した羊飼がギリギリと奥歯を噛みしめる。
気づいて会長?
「というか、なんでまたおまえの胸パッドが盗まれてんだよ? 管理どうなってんの?」
「ち、違うんだよ、ししょー。あの日はたまたま生徒会で帰りが遅くなっちゃって、洗濯物を干しっぱなしにしていたのが悪かったんだよ。家に帰ったらボクたちの下着が全部無くなってて……その中にメイちゃんのパッドさんも」
「な~る。そういうことね」
古羊の補足説明でようやく事態を正しく飲みこめてきた俺は、改めて羊飼と向き直った。
「要はアレだろ? 下着泥棒を捕まえたいから、俺も協力しろってことだろ?」
「違うわ」
「えっ、違うの?」
羊飼はどこまでも澄んだ曇りなき
「下着泥棒を捕まえたうえで、パッドを盗んだ犯人を血祭りにあげたいの」
「もう発想がアマゾネスで発言が殺し屋なんだよなぁ」
相変わらず
「さぁ大神くん、ともにクソ野郎をぶっ殺しに行きましょう?」
「そんな駄菓子屋へ行く感覚で殺人を
笑顔で殺人教唆してくるクラスメイトを尻目に、俺は少しだけ
正直に言えば、別に羊飼たちに協力するのもやぶさかではない。
ただ前回下着泥棒を捕まえようとした際に、古羊が男どもに襲われかけていたのがどうしても気にかかる。
う~ん、流石にもう危ないことはして欲しくないし、ここは穏便に済むように話を誘導していくか。
「なぁ羊飼。前回のこともあるし、今回は素直に警察に任せようぜ?」
「ふざけんじゃないわよっ!? こちとら乙女心を
「気づいて羊飼さん、ソレはきっと乙女心じゃない」
おそらくソレは乙女心という名の皮を被った悪魔の囁(ささや)きに違いない。
犬歯どころか
もうこの時点で乙女じゃない。
乙女の概念がゲシュタルト崩壊しかけていると、古羊までもが
「お願いししょー、みんなのためにも下着泥棒さんを捕まえるのを手伝って?」
「んんん~……」
「お願い……」
古羊の蒼色の瞳が大きく揺れる。
その顔は不安でいっぱいといった様子で……ハァ。
「分かったよ。手伝う、手伝うよ」
「あ、ありがとうししょーっ!」
「……大神くん、アンタなんか洋子に甘くない?」
パァッ! と顏を華やかせる古羊と、何が気にくわないのか冷ややかな視線を俺によこす羊飼。
チミに言われたくないんだよなぁ、と心の中でつぶやきつつ、羊飼の視線から逃れるように顔を逸らす。
いや別に意味は無いんだけどさ、何となく……ね?
「まぁいいわ。それじゃ2人とも、まずはコレを見てちょうだい」
そう言って羊飼は自分の鞄から1枚の紙切れを取り出してみせた。
ん? なんだコレ?
取り出された紙切れをよく見るべく羊飼に近づくと、何故か顔をしかめられた。
「ちょっと近すぎない? 3
「バカにすんなよ? それくらい知ってるわ。アレだろ? 1980年12月3日、秋田県横手市生まれの本名『
「それは
「ししょー、なんでそんなに詳しいの?」
何故か不機嫌そうにシラッとした目つきで古羊に睨まれる。
おいおい、壇蜜さんのプロフィールなんて義務教育で習うだろ普通?
逆に聞くけど、義務教育で一体ナニを勉強してきたんだおまえは?
とツッコミたい気持ちを我慢して、俺と古羊は羊飼が取り出したその紙切れに視線を落とし、ギョッ!? と目を見開いた。
「うわっ!? な、なにこれメイちゃん? なんだかビッシリと文字が書きこまれているみたいだけど……」
「これはアタシがこの1週間独自に調査して搾りだした犯人の出現ポイントと、好みの下着の柄を記したレポートよ!」
「お、おいおいマジかよ。盗まれた下着の色からメーカーの種類まで、めちゃくちゃ詳細に書かれてるぞ……努力の方向オンチかコイツ?」
こんなことしているヒマがあるなら、中間テストの勉強でもすればいいのに……。
「メイちゃん1人でコソコソ何をやっているのかと思ったら、こんなことをしてたんだね」
「なるほど、変態は変態を知る、か」
「窓から放り捨てるぞキサマ?」
とくに理由の無い殺意が俺を襲うっ!
殺意の波動に目覚めた同級生がこんなにも恐ろしいモノだったとは……齢16にして初めて知ったよ。
これからはなるべくコイツを怒らせないようにしよう。マジで殺されちまうよ……。
「いい2人とも? 基本犯人はランダムエンカウント制で、どこかの森の電気ネズミよりも出現率は低いわ。でも、とあるパンツを用意することによって、その出現率は100パーセントになることが調査の結果わかったの」
「さ、さすがはメイちゃんだよっ! こんなに細かく分析してるなんてっ!?」
「なんかどこかのゲームみたいだよな……?」
必ず犯人を血祭りにあげる、その執念のみで突き動いている。
さすがは森実高校が誇る
変態より変態している我らが生徒会長に、もはや尊敬を通り越してドン引きである。流石の俺も通報1歩手前だったね!
「それで? その犯人が執着するというパンツってのはどんなパンツなんだよ?」
「それは……コレよ!」
そう言ってポケットから取り出したのは、水色の縞々模様が目に眩しいストライプ型のショーツであった。
「綿95%、ポリエステル5%の水色のストライプ! これこそヤツが必ず食いつく究極のパンツよ!」
「って、ソレボクのパンツだよメイちゃん!? なんで持ってきてるの!?」
ボッ! と瞬間湯沸かし器よろしく一瞬で顔を真っ赤に染めた古羊が、ひったくりのように羊飼の手から自分のパンツを取り返そうとする。
が、もともとの運動能力に差があるのか、羊飼は蝶のようにクルリと避けた。
「我慢しなさい洋子、大事の前の小事って言うでしょ。大義を見失っちゃダメよ」
「大義を見失ってるのはメイちゃんだよぅ……。ボクのじゃなくて自分のパンツでやってようぅ」
「あの変態にアタシのパンツを触らせろっていうの!? 酷いわ、アタシたち親友でしょ!?」
「ならその親友のパンツを犠牲にしないでよぉ~」
古羊は頑張ってパンツを取り返そうとするが、羊飼はマタドールのように簡単なステップだけで躱し続ける。
もはや半分泣きが入っている古羊を華麗に無視しながら、羊飼は今回の作戦の概要を口にしはじめた。
「これをアタシたちが住んでいるマンションの中庭に設置するわ。そして犯人がきたところを全員で血祭りにあげるわよ!」
今日、俺が見てきた中で一番の笑顔を浮かべる
うわぁ、すっごいイキイキしてるやぁ。
正直、関わりたくないなぁ……。
春の妖精のような笑みを
う~ん、まさかこの短期間で同級生のパンツを何度も目撃することになるとは……ありがとうございますっ!
「うぅ……ししょーに見られた。もうお婿にいけない……」
「それを言うならお嫁じゃねぇの?」
涙目でプルプルと震える古羊の肩にポンッ、と手をかける。
しょうがねぇ、可愛い1番弟子のためにフォローでも入れといてやるか。
「古羊」
「うぅ……なに、ししょーっ?」
「ナイス・ストライプ♪」
「だからデリカシーっ!? デリカシーが無いの、ししょーっ!?」
信じられないよっ!? と握手を求めに行ったのに何故か
怒っても可愛いなコイツ、肩揉んでやろうか?
そんな俺たちのやり取りを切り裂くように、羊飼の拳が元気いっぱいに天に突き上げられた。
「さぁ2人とも、我が家に帰って準備するわよ! 大丈夫、泥船に乗ったつもりでドーンと構えてなさい!」
「……メイちゃん、それ沈没しちゃうよ?」
「誰か沈む以外の選択肢を俺にください……」
こうして哀れなお供2人は、ワガママ生徒会長の願いを叶えるために、今日も今日とてサービス残業に身を投じるのであった。
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