第10話 「お前、やっぱり性格悪いや」

「しかし、災難だったな。あの執事」

 ビールが並々と注がれた大ジョッキを傾けながら、アルが言う。


 イーアはその向かいで、焼いた豚肉に齧り付いていた。こちらはしっかり香辛料を効かせていて、おそらく酒に合うのだろう。残念ながら彼はまだアルコールを飲める年齢ではないので、傍には果実水がある。

「災難は執事ではなく僕らだと思うけど」


 ささやかな反論はふんと笑い飛ばされた。

「肋数本やられてたらしいぞ。あのお嬢様は薬で眠っていただけらしいが」

 うげぇ…と唸ったのは、イーアの隣に座るチルだった。

「お前、すげぇ力あんのな」

 呆れたようにしながらサラダをつついているチルは、相変わらずの少食だ。イーアは無言で自分の皿から切り分けた豚肉の香草焼きを、チルのサラダに乗せた。


「う……」

「チルはもう少し食べた方がいい。軽すぎる」


 チルは肉を忌々しそうに見下ろしながら、唸った。

「いくらなんでも、俺を片手で持ち上げられるお前がおかしすぎるよ」

「まぁなぁ。本気で怒ったイーアに対峙したら、俺でも負ける自信はある」

 アルが苦笑いした。

「変な自信持たないでよ、アル。それよりあの後どうなったの?」


「ああ」

 アルは手を上げて店のスタッフに合図し、空のジョッキを掲げた。いつもながらペースが早い。

「あの木の根元に埋まっていたのは、男爵の母親マルゴットだった。殺したのはあの執事、どうにもよろしくない経歴持ちだったようで、それが当時家を取り仕切っていた彼女に露見して殺した、とのことだったな」


 それが約10年ほど前のことだという。

 殺された女性が、精霊の愛し子だったと言うことだろうか。イーアは咀嚼しながら首を傾げる。


「痩せて消えて、ってもう死んでんじゃん」

 イーアの疑問を代弁するようにチルが言う。

「まぁ死んで10年も経てば、骨だけになってたからなぁ。一見やせっぽっちのがりがりだろうな」

 アルが苦笑いしながら骨つき肉を掲げ、チルは心底嫌そうな顔をした。


「精霊の認識は人間と違うから、愛し子……男爵家の血統の彼女しか見えていなかったのかもね。生きているか死んでいるかも、精霊には判断がつかなかったんじゃないかな」

 イーアは話しながら、じゃがいもがいっぱい入ったキッシュに手を伸ばす。


「男爵家の祖先が、いつのことかわからないけど、あの精霊と契約を交わしていたのだと思う。それにあの鏡が関係してたのだろうね」

「……契約?」

 チルが首を傾げた。


「人間と精霊で特別な関係を結ぶこと。契約内容は色々だからわからないけど、あの精霊にはあまり力が無いから大したことでは無かったと思う。実際力が弱まっても、鏡を通してメッセージを送ることしかできなかったし」


 それも、あの精霊の力だけだったとは考えにくい。もしかしたら、アルゴットの遺骸が、なんらかの力を及ぼしたのかもしれない。


 あの木の根元で、イーアが最も精霊の存在を感じることができたのも、チルが見つけたアルゴットのそばだった。あの時、彼女は何かの気配を感じていたのではないだろうか。

 だが、幽霊を感じられないイーアにとっては、全部憶測でしかない。


 アルが新しいビールに口をつけながら笑った。

「精霊の世界はよくわからん。イーアに関わるまで、存在すら知らんかったしな」

「俺もだ。まだ信じられねぇ」

 チルも同意した。


 自分は幽霊を見ることができるくせに。

 ちょっとむっとして、イーアはチルの皿にキッシュを一切れ置く。

 これには文句がないようだ。もしかしたら好きなのかもしれない。


「マーナはどうなるの?」

「んー、どうにもあの執事が懐柔してたっぽいなぁ。今後は男爵家の立て直しも含めて、大公家が介入する。イーアは心配することはない」


 アルの言葉に、イーアとチルは顔を見合わせる。あの無邪気な少女の今後が気になっていたので、心底安心したイーアの顔を見て、チルもにやりと笑った。

「良かったな、可愛い子に恩が売れたな」

「それの何がいいかわからないけど、とりあえず彼女の今後が平穏であればと思うよ」

 イーアもにっこりと笑う。


「お前、意外と性格悪いんじゃね?」

 揶揄うような面白そうなチルの言葉を、イーアはあえて無視する。


「まぁ、ここにいる間はイーアはお前に任せるよ、チル」

 アルはそう言うと、ひらひらと手を振って席を立つ。カウンターに座る顔見知りらしき人の方に行く。

「無責任だなぁ!」

 その後ろ姿にチルは抗議するが、返事はない。


「なぁ、お前いつまでここにいんの?」

「この夏いっぱいかな。鏡を探したり、ちょっとアルバイトっぽいこともしてみようと思っている」

 チルは顔を顰める。

「はあ!? ……だからルッソが来たのか」


 今日の午後、店に帰ると知らない男が一人、カウンターに座っていた。店長のアロイスだと思ったが、違うらしい。

 イーアに付いてチルが自由に動けるよう、夏の間は店番を彼がするそうだ。


「俺はこの夏子守かぁ」

 チルが悔しそうに言いながら、テーブルに突っ伏した。

 料理を少しずつ移動させながら、イーアは「子守言うな」と膨れる。


「まぁ、頼りになるチルが一緒だったら、安心だし、社会勉強に付き合ってくれ。」

 追加で頼んだ白身魚のフライに齧り付く。それを見たチルがうげぇと唸った。

「なんで頼む方がそんなに偉そうなんだよ」


「それに、『今年は』ではないよ。来年の夏休みも来る。成人したら忙しくなるから、動ける間にしっかり世界を見ておきたい」


「へぇ……」

 チルが顔を上げ、イーアを至近距離からまじまじと見る。その鼻先に、イーアは拳を突き出した。


「だから、えーっと。これ」 

 自分の手のひらの上に転がり落ちた宝石を、驚いてチルが見つめた。続いて細かな銀の鎖が流れるように落ちる。


「約束の証、僕がチルとの約束を果たせる時まで、持っていて」


 それは、小ぶりだが見事な紫水晶のネックレルだった。深い紫の輝きは、酒場の薄暗い灯の下でも息を呑むほど美しい。シンプルな菱形で、銀の鎖を繋ぐ冠以外、なんの装飾もない。

 それが一層この宝石の美しさを際立たせていた。


「すげぇ……きれいだな……」

 目を見開いて宝石を見つめるチルからこぼれた感想は、心の底からのものだろう。イーアはそれが嬉しい。


「うん、『ジルの瞳』って言う宝石だ。決して手放さないでね」

「おまっ、これはっ」

 宝石の名前を聞いて、チルが慌てる。だがイーアがにっこりと微笑むので、結局何も言えずに宝石をにぎしめた。

「お前、やっぱり性格悪いや」

「そうかな」


 チルは泣きそうな真っ赤な顔で、その宝石を見ている。この宝石の価値は、おそらくとんでもなく高い。それをイーアが自分に預ける意味を、チルはもう理解しているはずだ。

 絶対に、約束を果たすという誓いだ。


 握りしめた拳を額に当てて、チルは俯く。

 その瞳がちょっとだけ潤んでいるのを、イーアは視界の端に見る。


「イーア……ありがと」


 これには返事をせず、ただ微笑む。


 だってまだ夏は始まったばかりだ。

 これからいっぱい、喧嘩をしたり感謝したり、泣いたり怒ったりしたい。だから。

 泣いた顔なんて見たら絶対嫌がるだろうから。


 イーアはそっと、チルに肩を寄せた。

 涙目の彼女の気持ちに寄り添う、抱擁に代えて。

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