この怪盗なら推せるっ!

新みのり

第1話 探偵の推しごと

「くそっ、予告時間まであと十二分か……」


 警視庁捜査二課の警部、飯田いいだ八次やつじは腕時計を見て唸る。彼の手にはメッセージカードがあり、そこにはこう書いてあった。


『今宵二十一時、憂う女神像を頂きに参ります。怪盗エトワール』


 憂う女神像とは、ある著名な彫刻家が彫った手のりサイズの女神像だ。その表情が悲しみに満ちていることからその名がついた。

 数億円はくだらないというその美術品を怪盗が盗みにくるというのだ。


「奴め……一体どこから現れるつもりだ……」


 そして、その怪盗というのが――。


「空、でしょう」


 突然、飯田の後ろから独り言に返す人物が現れた。振り返る飯田の目の前に、ゆっくりとした足取りで男が近づく。


 栗色の髪に、緩く前髪が上げられ、半分ほど下りている前髪が目にかかっている。それが男の端麗な容姿に良く似合っている。

 ブラウンのスーツの着こなしもこなれていて、男の自信の強さが現れているようだった。


 男は髪をかき上げながら、飯田に続ける。


「この美術館は屋上が広いし、今日は風もない。何より星が良く見える……派手好きの奴ならば空からくるでしょう」

「丹葉探偵!」


 飯田は喜びの声を上げ、男はにこりとほほ笑む。


 この男、名前は丹葉たんば帝斗ていとという。

 探偵業を営んでおり、その推理力の高さから度々警察からの要請で事件を解決に導いている。凄腕の探偵だ。


「すいません、遅くなりました。前の事件が押してしまって」


 ちなみに前の事件とは、孤島での密室殺人事件である。

 たまたま居合わせた丹葉と、知り合いの警視庁捜査一課の刑事がコテージでの連続殺人に巻き込まれたのだ。


 今日は事件に巻き込まれて二日目で、昨日に続き泊まりになるかと思っていた。

 だが、怪盗エトワールから予告状が出されたことを飯田からの連絡で知り、丹葉はもの凄い早さで事件を解決し、大急ぎで戻ってきた。

 鬼気迫る様子で推理する丹葉の様子に、一課の刑事は震えたものだ。


 丹葉は何が何でも、今夜二十一時に間に合いたかったのだ。

 それには、理由がある。


「いえ、探偵殿が来てくれただけで有難い! おい、至急屋上に人を回せ! アリの子一匹中に入らせるな!」

「はいっ!」


 飯田の指示で、数十人の警察官が動き出す。

 丹葉の推理力に全幅の信頼を寄せている飯田は、警備のほとんどを屋上に回すつもりらしい。


「それでは丹葉探偵、私も上に行って参ります。ご尽力感謝します! では!」

「頑張ってください」


 飯田の背中に手を振る丹葉。その姿が見えなくなると、丹葉はさて、と辺りを見渡した。


 丹葉が現在いるのは美術館の正面玄関前。辺りには複数台のパトカーや警察官がいて、怪盗の到着を待っている。

 その中の一人の制服警官を丹葉は目に留めた。

 マスクをして口元が見えず、帽子を目深にかぶっているせいで、顔が良く見えない。


 少々怪しくも見える彼は、足早に美術館の中に入って行こうとする。

 その彼を、入り口の警備をしていた警察官が声をかけようとしているのが、丹葉にはわかった。

 持ち場はどこだ、とかそんなことを聞くつもりなのかも知れない。だが警察官が口を開きかけたところで、丹葉が間に入った。


「君は屋上に行かなくていいのか?」

「あ、はっ! 私はここの警備を預かっておりますので!」

「そうか。中を確認させてもらっても?」

「勿論です!」


 警察官は敬礼をして丹葉を中に送り出す。

 丹葉が中に入ると、前方に先ほど丹葉が目をつけたマスク警官がいた。丹葉と入り口の警察官が喋っている間に、一人中へと入ったようだ。

 マスク警官は後ろの丹葉を気にする素振りでちらりと目をやると、そそくさと階段を上って上階へと行く。

 丹葉はゆっくりと後に続き、階段の落とし物を拾い上げた。


「……鍵」


 それは小さな鍵で、丹葉はこれがどこの鍵であるのか知らないが、概ね推理することは出来た。だがどうするわけでもなく鍵をポケットに入れると、階段を上る。


 二階につくと、中は閑散としていた。ここには憂う女神像が展示されている部屋がある。

 怪盗に狙われているにしては手薄に見えるが、きっと飯田が屋上の警備に幾人か連れて行ったのだろう。


 丹葉は特に探す必要もなく、マスク警官を見つけることが出来た。憂う女神像の部屋に入って行くところだった。

 丹葉はその姿に声をかける。


「君!」


 びくり、とマスク警官の肩が揺れる。振り返りもしないその背に近づき、丹葉は鍵を差し出した。


「階段にこれが落ちていた」


 鍵を見て、マスク警官の目が見開かれる。丹葉はその目を見つめながら男の手を取った。


「何をっ!」


 男が驚き手を引こうとするが、丹葉は力強くそれを止める。そして男の手に、鍵を握らせた。


「……は?」


 解放された手に握られた鍵を見て、マスク警官は呆ける。丹葉はニコリとほほ笑んだ。


「恐らく飯田警部が落として行かれたんだろう。君、これを警部に返しておいてくれないか」

「え……わ、わかりました……」

「頼んだよ。それじゃあ」


 丹葉はマスク警官に背を向けると、近くにいた別の警察官に声をかける。


「君、向こうで物音がしなかったか。確認したいからついて来てくれ」

「はっ!」


 丹葉は二人ほど警察官を連れ立って角を曲がる。

 マスク警官はその姿が見えなくなると、素早く部屋の中に入って行った。


 一方丹葉は別の部屋に警官と入り、物音の正体を探る。警官が細かく部屋を確認している中、丹葉は腕時計を確認した。

 時刻は二十時五十六分。そろそろか。


 一人部屋から出た丹葉は携帯で電話をかける。相手は飯田警部だ。彼はすぐに出た。


「どうしました、探偵殿!」

「大変です、警部! すぐに来てください!」

「な⁉ どうしました、まさかもう怪盗が⁉」

「いいからすぐにA展示室に来てください! そこにいる部下も全員連れてです!」


 A展示室とは、今まで丹葉がいた部屋のことである。飯田は困惑した声を出した。


「え、ですがもう時間に――」

「また怪盗に美術品を奪われてもいいんですか! 早く!」

「は、はい!」


 電話の向こうで飯田が部下に指示している声を最後に、通話は切れた。

 丹葉は懐に携帯をしまうと、そっと角の向こうを覗く。ちょうどマスク警官が部屋から出てくるところだった。彼は真っすぐに丹葉のところに近づいてくる。


 まずい、と丹葉は思った。このままでは飯田警部達と鉢合わせしてしまう。

 丹葉は咄嗟に転ぶフリをして角から飛び出た。


「おっとっと」

「ッ⁉」


 驚いたマスク警官は廊下にある銅像の物陰に隠れる。丹葉は起き上がるふりをしながらそれを確認した。


「いやあ、疲れがでたかな」


 大きな独り言を丹葉が言っていると、ばたばたと大勢の足音が近づいてくる。振り返れば息を切らした飯田達であった。


「あれ、警部、階段で来たんですか」

「エレベーターを、はあ、待っている、時間が、はあ、惜しくて」

「そうですか」

「それより、一体どうしたんですか!」

「そうだ、大変なんです警部! こちらへ!」

「え、A展示室じゃないんですか?」

「さあ、こっちです!」


 丹葉は飯田の疑問の声を無視しつつ、飯田達を連れてばたばたと走り出す。

 向かったのは先ほどマスク警官が出てきた部屋。憂う女神像が展示されている部屋である。

 丹葉達はマスク警官が隠れている銅像を通り過ぎ、部屋の中へと入る。そこで見た驚きの光景に、飯田は声を上げた。


「憂う女神像がないっ!」

「そうなんです、警部。こちらを見てください」

「いや、まず部下に指示を」

「いいから!」

「は、はい」


 丹葉は飯田の肩をがっちり組むと、憂う女神像が展示されていたはずのケースをまじまじと見せる。そして開いている鍵を指さした。


「怪盗は鍵を複製して開けたようですね」

「そのようですね……」

「…………」

「…………」

「以上です」

「お前たち、すぐに怪盗を探せー!」


 飯田の指示で大勢の部下たちがわっと動き出す。飯田も慌てて部屋から飛び出した。

 残された丹葉は素早く辺りを探し、一本の髪の毛を見つけた。それを丁寧にハンカチに包むと、懐にしまう。

 そして他に何か落とし物がないか見て回り、特にないことを確認すると足早に部屋から出た。

 そのまま駆け足で正面玄関に向かう。もう時計は二十一時になろうとしていた。


「くそっ間に合え!」


 五十七、五十八、五十九。

 丹葉が美術館から出たのと、その声が響いたのはほぼ同時だった。


「はーはっはっはっはっ!」


 聞こえる高笑い。それは上からのもので、全員が上を見上げた。

 丹葉も美術館から飛び出し、屋上が見えやすい位置で上を見上げる。


 そこにはライトアップされた男が一人立っていた。

 黒いマント、黒いスーツ、黒いシルクハット、目元には銀の仮面。典型的なその恰好をした男は勿論。


「怪盗エトワール!」


 丹葉が叫ぶ。怪盗はその声が聞こえたようで、にやりと笑って手元の物を掲げた。


「予告状通り、憂いの女神像は頂いたっ!」


 その手にはなくなっていた女神像がある。と、バラバラと大きな音がして、怪盗の後ろにヘリコプターが現れた。


「待ちやがれ、エトワール!」


 飯田が屋上にたどり着いたが、時すでに遅し。怪盗エトワールはヘリに乗ると、遠く空へと飛んで行ったのだった。


「くそっ! 追え、追えー!」


 飯田の声が響き、周りの警官がばたばたと動き出す。ヘリを追って、丹葉の周りのパトカーも次々にいなくなった。

 一人残された丹葉は、口を両手で覆って、絞り出すように声を出した。


「……と、尊いっ……!」


 賢明な読者の諸君はもう気づかれていることだろう。

 そう、探偵・丹葉帝斗は、今回怪盗エトワールの盗みを阻止するためではなく、成功させるために動いていたのだった!

 ――時は十二分前に遡る。

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