ちょっとでも楽しみたいじゃないか

Nekome

なにも悪いことなんてない

雪が溶け、晴れやかな空気が漂っている町中を歩く。

今私は病院へと向かっているのだ。

隣にはしかめっ面をし、私の手を握る友人がいる。

 

「ねぇ、ほんとに行かなきゃだめ?」


「今更ごねても逃げれないからな」


「逃げる気はないけどさぁ……行く意味ないって」


私はこの友人の強い勧めで精神科に行き、カウンセリングを受けることになってしまったのだ。

それもこれも先週私が犯した失態のせいである。


「幻覚、幻聴が聞こえるって泣きながら助けを求めたのはお前だぞ?行くべきだろう」


それはそうだ。確かに私は先週酒の場でこの友人に助けを求めた。だがそれは一時の脳のバグにより零してしまった言葉であり、幻覚も幻聴も実際に起きていることではあるが、それに困っているということはないのだ。

友人にもそのことを伝えたが、『嘘をつくな』と一括されてしまった。嘘などついていないというのに。


「酔っ払いの戯言なんて、気にしなくていいのに」


「あれが戯言?俺はそうは思えない」


「行った本人が戯言だったって言ってるのに、疑う理由はないよ」


「ある」


そうすっぱりと言い切られてしまっては、反論もできない。

しばらくして私達は病院につき、受付をすませる。


「__さん」


私の名前が呼ばれた。


「じゃあ、行ってくるよ」


そうして私は診察室へと足を踏み入れる。こんにちは、と私が言うとカウンセラーの先生は暖かく私を出迎えてくれた。


「初めまして、そこに座っても大丈夫ですよ」


そういって先生は椅子を指さす。私はお言葉に甘えてその椅子に座る。

緊張してきた。

 

「暑い中疲れたでしょう。お茶をお出ししましょうか。……冷たいのと温かいの、どっちがいいです?」

 

「じゃあ、冷たいのをお願いします。今日は暑いですから」


どうやらこの病院は無料でお茶をだしてくれるらしい。至れり尽くせり、親切で素晴らしい。


「はい、どうぞ」


先生は私にお茶を渡し、目の前に座った。

沈黙。

先生は何も話さない、てっきりいきなり話を聴いてくるかと思っていたのだけれど、どうやらそんなことはないらしい。


「あの……何を話せばいいんですか」


沈黙に耐え切れず、口を開いてしまった。


「何を話しても良いんですよ、あなたが話したいことを話せば」


「そうですか」


「ええ」


先生は何もしゃべらない。会話する気がないのか……いや、私から話を聴こうと、待っていてくれているのだろう。


「今日は、友人に言われてきたんですよ、カウンセリングを受けた方が良いって言われたので」


できるだけ明るい口調で話してみる。そうすると、幾分か緊張が解けて来た。


「そうなんですか、友人の方は、どんな人なんです?」


「優しいやつですけど、ちょっと心配症すぎるんですよ。仲は良いんですけどね」


「喧嘩したこととかはあるんですか?」


「あるような気もしますが……長い付き合いなので、覚えてないですね」


また、沈黙。


「最近、幻聴とか幻覚とかが酷くて寝れていないんです」


ちょっとだけ、声が震える。


「なるほど、……内容をお聞きしても?」


私が目を泳がせたことに気づいたのだろう。先生は『無理に話さなくても大丈夫ですよ』と言ってくれた。

まあ、話すのだが。


「ありきたりですよ、幻聴は死ねとか生きてる意味なんてないよとか、暴言が中心です。幻覚の方は……そうですね、あいまいな表現になってしまうのですが、白いもやみたいな何かが見えて、そのまま終わることもあれば首を絞めてきたり、急に爆発したり……」


「爆発?」


「ガラスが飛び散るみたいな見た目で、白いもやが私に降りかかって……って言っても、伝わらないですよね、すみません」


「いえいえ、大丈夫ですよ、ちゃんと伝わりましたから」


「見えたり聞いたりしたのはいつからなんですか?」


「幻覚は数年前から、幻聴は……もう、ずっと前からです」


「なるほど……そういったものが聞こえたりする原因に心当たりはありませんか?」


「それが、わからないんですよ先生」


思考がうまくまとまらない。涙が出てきた。

先生は私の手をそっと握る。


「わからない、わからないんです。いや、心当たりはあります。でも……」


「落ち着いて、ゆっくりしゃべってください」


大きく息を吸って、吐く。そうしていくうちに、私の心の中はひどく冷静になった。


「学校でいじめられたことがあります。幼いとき、母が死にました。私は母に捨てられたと、そう思いました。受験も、第一志望には行けなかった。心当たりはいくらだってあります」


体が冷たい。寒い。今は夏だというのに。


「でも、どれもちっぽけなものばかりで、こんな風に悩むことではないんです。いじめられていた時も、私には友人が大勢いた。母が死んだときも、父は付きっ切りで私を癒してくれた。受験も第二志望には行けたし……どれも、気に病むことなんかじゃない。本当です、本心ですよ?」


そう早口で言った後、私は胸の中がすっきりした気がした……しただけだ。

先生の目を見る。


「いつ、幻聴や幻覚が聞こえたり、見えたりするんですか?」


先生は慎重な性格のようだ。下手に踏み込もうとはしないらしい。


「主に寝る前ですね、静かな所とか……」

 

それからの会話は覚えていない。

薬の話やこれからの通院の話をされたような気がする。


「今日はありがとうございました」


そういって私は診察室をでた。

行く意味はあったかというと、あったような気もするし、無かったような気もする。


「ああ、終わったのか、どうだった?」


友人は律儀にも私のことを待っていてくれたようだ。


「どうだったかって……普通のカウンセリングだったよ」


泣きもしたし、初めてのカウンセリングにしては沢山話した方だと思うが、幻聴が聞こえなくなったというわけでもない。普通だったという感想が適当だろう。


「そうじゃなくってだな……少しでも楽になったか?」


「楽になったかと言われても、幻聴や幻覚のことについて、悩んでいるわけではないのだから。何も変わらないよ」


そう言って笑うと、友人は明らかに嫌な顔をする。


「嘘をつくな、泣いたんだろ」


ああ、この友人は何故涙が本心の証だと思っているのだろう。

 

「まあ、一応ね」


「一応ってなんだ一応って」


「言葉の通りだよ」


この優しい友人は私に安らかに生きて欲しいのだろうが、そんなことは叶わないだろう。


それならばせめて


「……まあ、少しはすっきりとした気分になれたから、また来ようかな」


「それは良かった」


少しばかり嘘をついて、この友人を安心させた方が良いのだ。

 

嘘をついたところで、私は何も変わらないのだから。


泣いて赤くなった目を細め、私はにっこりと笑った。

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ちょっとでも楽しみたいじゃないか Nekome @Nekome202113

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