第89話 配信スタート

『ねぇ彰っ! ランチ行こっ!』

『次一限空くよね? 一緒に時間潰そっ?』

『あっ、トイレ行ってくるからちょっと待ってて!』


 今日も無事に一日講義を受け終えた俺は、家に帰宅し一度大きく伸びをする。

 そして思い出されるのは、今日一日ずっとテンションの高かった梨々花のこと。

 何か特別なことがあったわけではないが、心なしか以前より俺と過ごす時間を楽しんでくれている感じがした。


 まぁそれは、ぶっちゃけ俺も同じだったから悪い気はしなかった……というか、素直に嬉しかった。


 それは、大学で一番の美女と言われる梨々花だから――?

 まぁ、そうじゃないと言ったら嘘になる。


 でもそれ以上に、俺は気付いてしまったのだ。

 梨々花は俺の中で、もう既に立派なアイドルになったのだと。


 それほどまでに、この間のデビューライブは本当に素晴らしかった。

 歌って踊る梨々花の姿は、本当に輝いて見えたのだ。


 だからこそ、そんな梨々花との距離がまた縮まっていると感じられることが、純粋に嬉しかった。

 俺にだけ向けられる梨々花の様々な表情が見られるだけで、ただただ嬉しくなってしまうのだ――。


 ――なんて、もう完全に意識しちゃってるな。


 まぁ、そんなことより今日は梨々花のデビュー配信だ。

 とりあえずパソコンを起動すると、今日もチャット確認から入る。


 相も変わらず沢山のチャットが届いているが、中でもFIVE ELEMENTSのグループチャットが何やら賑わっていた。

 珍しいなと思い見てみると、そこでは初の後輩であるDEVIL's LIPのデビュー配信について盛り上がっていた。


『いよいよ今日だね、みんなもちろん観るよね?』

『当たり前だろ? 応援しなくっちゃね』

『わたしも観るよー』

『ネクロはそろそろ配信しなさい』


 俺以外の四人、そんな他愛のないチャットで盛り上がっていた。

 このように俺以外の四人も、初めての後輩ができることが嬉しいのだ。


 それは同じ気持ちだったから、俺も遅ればせながらそのチャットに加わる。


『みんな、お疲れ。俺も楽しみにしてるよ』


 よし、送信っと――。

 とりあえず、次は他のチャットの確認して必要な返事を返そうと思っていると、すぐにチャットが返ってくる。


『それは後輩だから? それとも?』

『アユム、みなまで言うな』


 アユムからのチャットに、すぐに乗っかるネクロ。


『いいじゃないか! 同じ大学に通ってるんだ、気になって当然さ!』


 そこへ、今日は珍しく俺のフォローに回ってくれるハヤト。


『まぁいいわ、今日はお手並み拝見といきましょうか』


 そしてもう一人、応援するというよりもライバルとして見ているような、謎の闘志を燃やすカノン―—。


 そんな、たった一回チャットしただけでカオスと化すチャット欄は、とりあえず一回置いておくことにした……。

 俺は他のチャットの確認を一通り済ませると、それから夕飯とか諸々済ませることにした。


 ――たしか、夜の九時からデビュー配信で、そのあと十一時から振り返り雑談だっけ?


 時計を見れば、まだ夜の七時前。

 時間的には余裕があるため、寝落ちしないように気を付けながら、やるべきことは先に全て済ませることにした。



 ◇



 時計を見れば、あっという間に夜の九時前。

 つまり、もうすぐ愛野リリスのデビュー配信が始まろうとしていた。


 待機所には、既に五万人を超えるリスナーの数。

 配信開始前からこの人数は、お世辞抜きに相当なものだった。


 ちなみに俺達の時は、十人ちょっとだった気がする。

 そう考えると、デビュー配信でこの人数というのはさすがに緊張するよなと、考えるだけでも恐ろしく思えてしまう……。


 でも、俺達配信業は見られてなんぼの世界。

 どういう理由であれ、こうして注目されることは絶対的に良いことなのだ。

 そんな思いで、俺は配信が始まるのを待った。



 そしてついに、待機所が配信に切り替わる。

 それだけで、コメント欄は大盛り上がりとなる。


 リスナーの数はあっという間に倍の十万人に膨れ上がり、とんでもない注目度だった。


 そして配信前のアイキャッチムービーが終わると、画面には物凄い速度で流れるコメント欄と、愛野リリスのLIVE 2Dが表示される。


 ちなみにLIVE 2Dとは、2Dの立体表現を可能にした表現技術で、まぁ平たく言えば、愛野リリスのイラストが動くようにする技術のことだ。


 画面では、リリスの目が左右にせわしなく動いているのが分かる。

 きっと用意した資料と、物凄い速度で流れるコメント欄を確認しながらさっそくテンパってしまっているのだろう。


 ――がんばれ、梨々花!


 慌ててしまう気持ちは痛いほど分かりながら、俺はただ見守るしかなかった。


『あっ、え、えっと……き、聞こえてますか~?』


 物凄く不安そうに、第一声を発するリリス。

 その声に、更にコメントは爆速で加速していく。

 でもみんな、『聞こえてるよー!』『大丈夫だよ落ち着いて!』と温かいコメントを送ってくれていた。


 そんなコメントのおかげで、リリスも少し安心したのだろう。

 ほっと胸を撫で下ろすと、改めて自己紹介する。


『良かった——よしっ! えっと、じゃあ、わたしはDEVIL's LIPの愛野リリスです! こ、こんばんわ!!』


 今は夜だから、こんばんわ。

 それは間違っていないし、だいたいのVtuberはこのデビュー配信で挨拶やファンネームとか決めるのが通例のため、挨拶がまだないのは分かる。


 でも何だろう――。

 緊張しながら、「こんばんわ」とあまりにも普通に挨拶をするリリスからは、何とも言えない面白さが感じられた。


『——よし、挨拶成功ぅ』


 そして一人、今の挨拶に達成感を感じて呟いたその声は、バッチリマイクに乗ってしまっていた。

 結果、その一言でコメント欄は一気に笑いに包まれていく。


『リリスちゃん、もしかしてポンコツ?』

『草』

『かわいいwww』

『こーれ、あほピンクですw』


 次々に流れていくそのコメント達に、再び慌てふためくリリス。


『えっ? な、なになに!? 何でみんな笑ってるのぉー!?』


 テンパるリリスの反応は、正直普段の梨々花そのものだった。

 真っすぐで、正直で、明るくて、そしてちょっとどこか抜けているような可愛らしい性格。

 そんな、普段から人を惹き付けて止まない梨々花の性格が受け入れられるのに、時間はかからなかった。


 こうして、本人だけ置いてけぼりになりながらも、既にリリスは多くのファンに認められていくのであった。




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