劇場奇譚

多聞

舞台上

 舞台上にいる役者は全部で四人。女性客三人は舞台の真ん中で喋っており、店員役の男は片隅でコーヒーカップを磨いていた。

 どこにでもある喫茶店で繰り広げられる、ありきたりな会話劇。ただ、役者の顔に関する演出だけが話に似合っていなかった。なにしろ全員がのっぺらぼうなのだ。

「ちょっと待って、これ飲みきっちゃうから」

「そんなの残しておけばいいのに」

「でも元を取らなきゃ損よ」

 そう言って女性客三人組はコーヒーを飲み干した。口もないのにコップが空になる。どういう仕掛けになっているのかさっぱり分からなかった。

「じゃあここは私が払うわ」

「そんなわけにはいかないわよ。私チーズケーキまで食べちゃったし」

「あなたプリンも食べてたわよね」

 三人組は支払いで揉めているようだった。どこにでもある光景のはずなのに、顔がないというだけで不気味な印象になる。

 結局割り勘という結論に落ち着いたらしい。店員を呼ぼうと上げた手がカップにぶつかった。

 ガラスの割れる音が劇場全体に響く。ぴたりと動きを止めた三人組に、店員役の男がテーブルに歩み寄った。

「お怪我はありませんでしたか?」

 これは台本にない展開なのだろう。女性客三人組は動きを止めたまま、何も返せずにいるようだった。

 生の舞台にハプニングはつきものだ。通常なら同情できたのだろうが、静かにパニックに陥っているのっぺらぼう三人組の姿はただただ不気味だった。

「ここはどうかお気になさらず。恐れ入りますが、お会計はあちらでお願いできますか?」

 店員役の言葉に、のっぺらぼう三人組はぎこちなく動き出す。店員役の男はカップのかけらを手早く片付けると、舞台袖に姿を消した。


 周囲のおざなりな拍手で幕が下りたことに気付く。カーテンコールを見届ける勇気はなかった。逃げるように劇場の外に出る。

 平日の午後三時、この時間でも駅前まで行けば一杯引っかけられるだろう。今見たものをアルコールでごまかそうと歩き出したところで、歩道橋にのっぺらぼうを見つけた。黒いTシャツにジーパンという格好だったが、あれは間違いなく店員役を演じていた男だ。

 これ以上関わりたくない、と思っていたはずなのに、気付けば男のあとを追っていた。背中が間近に迫る。思わず手を伸ばしたところで男が振り返った。何でしょう、とでも言うようにのっぺらぼうは首を傾げた。

「もしかして先程舞台を?」

 一体どこから声を出しているのだろう。卵のようにつるんとした顔に、仕掛けは何も見当たらなかった。何とか頷き返すと、男は愛想よく右手を差し出した。

「よろしければまたお越しください」

 のっぺらぼうと握手など、恐ろしくてできるわけがない。じりじりと後ずさり、そのまま身をひるがえす。

 歩道橋を降りたところで振り向くと、のっぺらぼうは未だこちらを見つめていた。もう劇場には行けない。

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