壊れた黒百合村

碧海 汐音

異変

第1話 僕らの秘密基地

 ふと視線を窓の外に移す。七月二十三日の午前十時、明日からは夏休みが始まろうとしていた。目に入る景色は相変わらずで、木に溶け込んだ短命な虫たちが鳴き立てていた。


僕が先生の長話に耐えられなくなって窓の外に意識を移したその時も、真夏の暑さが感じられない教室ではいつもと何も変わらないホームルームが行われていた。


僕は夏風に吹かれるだけの夏緑樹林かりょくじゅりんの葉をしばらく見ていたが、見慣れた景色に飽きを感じ、再び先生のほうへと意識を戻した。


「それでは皆さん、ルールを守って楽しい夏休みにして下さいね~」

「はーい」

「では、これでホームルームを終わります。では日直さん号令をお願いします」

「起立、礼――」


やっと明日から夏休みだ、と心躍る気持ちで挨拶をしようとした。


「あ、ちょっと待って。リュック下ろして」


先生は日直の号令と全員の逸る気持ちを遮ってとある生徒に視線を向けた。

何事かと視線の先を大多数が一斉に見る。その視線の先が自分だと気付いた男子生徒は背負っているリュックを机の上に置いた。なぜ、挨拶をする前にランドセルやリュックを背負ったら下せと言われるのか疑問に思ったことは忘れて、前を向いた。


視線の端では、何事もなかったかのように振舞いながらリュックを静かに下ろす生徒が見えた。数名は少し冷たい視線に突き刺されながらも自分は違うとばかりに目を泳がせていた。リュックを机の上に置いたことを確認した先生は困惑している日直に合図を送った。


「……起立、礼――」

「さようならー!」

「さようなら~。皆また九月一日に――!」


号令を終えた瞬間の教室は、先ほどよりも強い風に吹かれて葉擦れする木のようにさざめいていた。

ホームルームが終わる直前に、先生に視線を向けられた男子生徒は、前にいる子で隠しながら背負ったリュックで机を払いのけて、耳障りな音を響かせながら素早く廊下に出て行った。


だが、先生の長話と一番奥の教室のクラスに振り分けられたのが不運だった。


廊下は既に人が溢れかえっていて、勢いよく出た子たちは少し顔を歪めて、その場に立ち尽くした。


あの耳障りな音の方を向くと、冷たい視線を送りながら机を戻す生徒を一瞬視界に捉えた。


そんなことは気にも留めず自分の机の上にある今日配られた宿題をリュックの中に入れて、続けて筆記用具を入れようと手を伸ばした時、友達と一緒にいた美鈴みれいちゃんに何かを思い出したかのように声をかけられた。


「しゅーちゃん、放課後いつものとこね!」

「うん、分かった! 帰ったらすぐ行くね!」

「うん!」


友達を追いかけるように急いで教室を出て行った彼女の言葉に僕の心はさらに弾んだ。彼女に話しかけられて止まった手を動かして教室を出た。心が弾んだ気持ちで帰る帰路はいつもよりも短かった。


「ただいまー!」


「おかえり、しゅーちゃん」


 玄関すぐの部屋で洗濯物を畳むお母さんの声を勢いよく通り抜け、階段を駆け上がった。自分の部屋の扉を壊れるのではないかというほど勢いよく開け、床に放り投げられたであろう青いリュックと財布を取って階段を駆け下りる。


キッチンに行ってお菓子と、冷蔵庫から引っ張り出してきたリンゴジュースを入れて、玄関の扉を勢いよく開けると同時にお母さんに呼び止められた。


「ちょっと、しゅう! そんなに急いでどこ行くの?」


「美鈴ちゃんと遊びに行ってくる!」


「そう、気を付けていってらっしゃいね。」


「はーい、行ってきまーす!」


 駐車場からスタンドが下がったままの自転車を引きずる音とともに引っ張ってきて、急いでスタンドを上げて思いっきり漕いだ。

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