第十九話 みんな大好きな……アレ?

「なんだ、坊主が合流するっていう高名な動物画家さんだったのか。陛下からの知らせは届いてるよ」


 そう言って目を丸くしたのは海に落ちたクリスを助けてくれたギュンターさんだ。


「は、はい……はっ……ハックショイ!」


「ほら、これで拭いて。風邪をひいちゃうわよ、坊や」


「ありがとうございま……ックショイ!」


 この港はルモント国の北にある。秋も深まろうかというこの時期、水温はすっかり低くなっていた。

 寒さで震えるクリスにでっぷりと太った宿のおかみさんが毛布を差し出してくれた。点けるにはちょっと早い薪ストーブも点けてくれてる。


 ――このままだと風邪をひいちまう。宿まで送ってやるよ。


 海から引きあげられたあと、桟橋でブルブル震えているクリスを見てギュンターさんはそう言った。そこで調査団の人たちが泊まっているという宿の名前を出したところギュンターさんがその調査団の団長さんだということがわかったのだ。


「まさか空から降ってきて海に落っこちたヤツを助けたら待ち人だったとはな! すごい偶然だなぁ、こりゃ!」


 ハッハッハー! とギュンターさんは豪快な笑い声をあげた。


「ある意味、運命ですね……ックショイ!」


 クリスは盛大にくしゃみをした。


『良いか悪いかで言ったら最悪な運命だったと思うけどね、僕は。あいさつする前から変態型クリスを披露するってどうなのさ。どーなのさ! もー最悪の初対面だよ! こっぱずかしい初対面だよ!』


 僕は毛布にくるまってガタガタブルブル震えてるクリスの背中をお説教のつもりで鼻面でグイグイと押した。

 でも――。


「ベガ、ありがとう。心配してくれるなんて優しいなぁ。お礼になでなで、もみもみ、ぺろぺろしてあげるー」


 やっぱりクリスはいいように解釈する。


『ギャー! 心配してるんじゃなくてお説教してるんだよ! なでなではギリいいけどもみもみとぺろぺろはいらないから! それ、お礼にならないから!』


 あーもーーー言葉が通じないってもどかしい! 伝書バードのヤタガラスくんに物騒なメッセージを頼んだ〝あの人〟も僕に|ヒールの能力を付与するよりクリスと意思疎通が取れるようにしてくれればよかったのに!

 ……いや、いやいやいや! やっぱり両方つけてくれればよかったのに! クリスの子守りをするなら両方必要だし、両方あっても足りないくらいだよ!


 なんてパカパカとひづめを鳴らして地団駄を踏んでる僕を無視してクリスとギュンターさんは話を続ける。


「それにしてもずいぶんと早く到着したな。陛下からの手紙だとあと一週間くらいはかかると踏んでたんだが」


「陛下は馬車で送ってくれようとしてたんです。でも、断ってベガに乗ってきちゃったので」


「あぁ、なるほど。馬車よりもペガサスの方が速いもんな」


 そう、その通り。馬車よりもペガサスの僕の方がずっと速く移動できちゃう。馬車で二週間の道のりをペガサスの僕なら五日で移動できちゃう。

 背中から転げ落ちたクリスを空中キャッチしてどうにかまた背中に乗せたり、ヒールをかけてギリギリ〝いせかいてんせい〟人生が終了にならないようにと四苦八苦右往左往したりしなければ五日どころか二、三日で移動できちゃうはずだったんだけどね!


 なんて、またもやパカパカとひづめを鳴らして地団駄を踏んでるあいだにもクリスとギュンターさんの話は進む。


「でも、まぁ、助かるよ。早く出発できるならそれに越したことはないからな。……着いて早々で悪いが明後日には出発するぞ」


「僕としてはもちろん構いません!」


 クリスが元気いっぱいにうなずくのを僕はジトリと見つめた。クリスの考えていることなんてお見通しだ。どうせ〝早く出発してドラゴンたんを1なで、1もみ、1ぺろ! 色鮮やかな鳥たんを1なで、1もみ、1ぺろ! あれやこれやな島の動物たんたちを1なで、1もみ、1ぺろ!〟とか思ってるのだろう。

 でも――。


『ギュンターさんたちの準備は間に合うの?』


 今日、僕やクリスが到着したばっかりなのに。出航の準備ってそんなにすぐにできるものなのかな?


「んじゃあ、ちょっくら船に行ってくる。大急ぎで水やら食料やらかき集めて、商品の積み込みも終わらせないとだからな。こりゃあ、今日明日は徹夜だな」


 やっぱり簡単にはいかないらしい。ギュンターさんはガリガリとえり首をかいてため息をついた。

 水や食料はわかるけど――。


「商品、ですか?」


 きょとんと首をかしげる僕とクリスを見てギュンターさんはうなずく。


「目的の島に直行するわけじゃない。航路の途中途中でルモント領の港に立ち寄って食料や水、必要なモノを補給する。そのとき、商品を買うだけじゃなくて売りもするんだよ。タバコ、綿花、砂糖にコーヒー、それから香辛料や調味料だ」


「香辛料や調味料!?」


『……香辛料や調味料?』


 動物にしか興味のないクリスが目を大きく見開くのを見て僕は首をかしげた。

 香辛料も調味料もヒトが料理に使う香辛料と調味料だよね? それとも〝てんせい〟前の世界では〝コウシンリョウ〟とか〝チョウミリョウ〟って動物や空想動物がいたとか?


「ベッドに横になってるか、絵を描いてるか、本を読んでるかでろくすっぽ勉強なんてしなかった前世の僕だけど!」


『クリスってば〝てんせい〟前も授業をすっぽかして家庭教師のセンセイ、困らせてたの?』


「そんな僕でもなんとなくは知ってる! 船に乗って新たな島を発見! タバコ、綿花、砂糖にコーヒーに香辛料や調味料とくれば……!」


『……とくれば?』


 頭の上にクエスチョンマークを大量出現させてる僕をよそにクリスの目がキラキラと輝く。


「大航海時代!」


『大後悔・・時代? 黒歴史的な?』


 きょとんと首をかしげる僕だけどもちろんペガサスな僕の言葉はクリスには伝わらない。だから、クリスは大興奮のまま話し続ける。


「大航海時代のみんな大好き香辛料や調味料と言えばアレしかない!」


「ったりめえだろ、坊主! もちろんアレだ! しかもうちで扱ってんのは東方から運んできた特別に質のいいやつだ!」


「うちの宿にも卸してもらってるけど本当においしいのよ~」


 毛布を渡したあと、クリスが泊まる部屋を準備しに行ってくれていた宿屋のおかみさんがひょっこり顔を出した。おかみさんの満面の笑顔にクリスはますます目を輝かせる。


「アレと言えばアレですよね!」


「そうだ、アレだ!」


「ええ、アレよ!」


 三人は顔を見合わせ、ついでに呼吸も合わせて同時に言った。


「みんな大好き、コショウ!」


「「みんな大好き、ソース・オタフークー!」」


 なんだかあっという間に仲良しさん、心が通じ合ったなーなんて思ってたけど僕の気のせいだったみたい。

 違うこと言ってるよ。クリスだけぜーんぜん違うこと言ってる。


「え? ソ、ソース・オタ……コショウじゃなくて!?」


「ソース・オタフークーだ、当たり前だろ!」


「そうよ、これよ! これがソース・オタフークー!」


 予想外の答えにおろおろしてるクリスを尻目にギュンターさんもおかみさんも笑顔でどこからか取り出した縦長の四角いビンを見せびらかす。


「そんな……テレビショッピングのオネエサンみたいなポーズで……いい笑顔で……!」


『うん、動揺してるのはわかるけど〝てれびしょっぴんぐ〟がわかんないから。どんなポーズでどんないい笑顔なのかさっぱり伝わらないから。とりあえず落ち着いて、クリス』


 おかみさんが持つビンに貼り付けられた紙にはソース・オタフークーという商品名と白くてしもぶくれてて小さな唇の多分、女の人の絵が描いてある。中身は黒に近い茶色のとろりとした液体。ビンのフタはきっちり閉めてあるのにそれでもちょっと甘くて、ちょっとスパイスのにおいがするとってもおいしそうな匂いがただよってる。


「ソース・オタフークー? 黒いダイヤ、コショウじゃなく!? ていうか、これ、オタフクソ……」


『だから、ソース・オタフークーだって言ってるじゃん。コショウじゃなく。オタフクなんとかでもなく』


 うろたえるクリスの背中をグイグイと鼻面で押してるとギュンターさんが腰に手を当ててニカッと笑った。


「俺は航海士だし商人でもあるが探検家じゃない。ソース・オタフークーを売ることに興味はあってもソース・オタフークーを手に入れるための新たな航路探しにはまったく興味がない。航海も商売も手堅く行くから大船に乗ったつもりで海の旅を楽しみにしてろよ、坊主!」


 〝実際に大船に乗るんだけどなー!〟と言って豪快に笑いながら船に向かうギュンターさんを見送りもせずにクリスはいまだにおろおろしていた。


「コショウじゃなくてソース・オタフークー? オタフクソースでもなくソース・オタフークー?」


『そうだって。コショウでもオタフクなんとかでもなくソース・オタフークーだよ、クリス!』

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