第9話『紫蛇③』
紫蛇は自分の頭部を殴り抜け、今は眼前に立つ少年を危険視した。
紫蛇は魔力感知を会得している。故に少年か空を飛んでやってきたことも理解していた。
少年の莫大な魔力。空を駆けるほどの魔法技術。自らの肉体を壊す魔力出力。そして全身の血が沸騰するかのような怒り。
それらの要素が、紫蛇の中で少年の認識を餌から敵へと変化させるに至った。
そして紫蛇が敵を目の前にして最初にとった行動は……距離をとることだった。
後ろに後退し、少年と10メートルほど距離を確保する。
その行動は紫蛇の知性と集中を表すものに他ならない。
アルティスは紫蛇を睨みながら、さらに集中力を上げた。
「……マフィ、クリス。2人はトゥエフに走ってギルドに向かって。僕の名前を出せばS級が出たことも信じてもらえるはず」
左腰の刀を抜きながら、アルティスは胸中に満ちるざわめきを収めようとしていた。
しかし。
「……ごめん、アルティス……」
クリスの震える声がアルティスの鼓動を早めた。
「さっきマフィに飛びかかった時、牙が左脚に掠って……もう、腰から下の感覚が無いの……」
アルティスは目を見開き、振り返った。
クリスはマフィにもたれかかるようにして倒れており、身じろぎしている。しかし動いているのは腕と首だけで、肉体は脱力しきっていて動かない。まるで枷のように、クリスをこの場に留めている。
恐らくは残り数秒でクリスの体は完全に動かなくなり、死ぬかも分からない。マフィはこの毒に対処できる魔法を会得していないだろうし、毒をなんとかしてもクリスを抱えて逃げることも難しいだろう。
だがクリスの命を救うためにまずしなければならないのは解毒だ。心臓や肺、脳まで動かなくなってはアルティスですら治療は難しい。
それらの思考が、言語化を経ずにアルティスの脳内を駆ける。
アルティスは振り返って屈み込み、クリスに魔法を施した。クリスの体に両手を掲げ、緑がかった白色の光でクリスを包み込む。
この色は聖属性の魔法だ。聖属性は「肉体に害を成すものの排除または中和」を行う魔法。回復魔法が外傷を治す魔法なのに対して、聖属性は病気や毒の治療をする魔法だ。
クリスの下半身に感覚が戻り始める瞬間、彼女は見た。
アルティスどころか、自分やマフィすらも喰らおうと口を開ける紫蛇の姿を。
愚挙。クリスを助けようととったアルティスの行動はそう呼ばざるを得ない。
何故ならば……クリスの全身に感覚が戻ったのとほぼ同時に……紫蛇の巨大な牙が、アルティスの肩を貫いたからだ。
アルティスの左肩から侵入した牙は、彼の左の肺を貫き、心臓を掠め、その他複数の臓器に傷を負わせた。次いで牙と接触している血管から毒が侵入。すぐさま周りの細胞に吸収され、アルティスの半身から力が抜け始める。
「ッ‼︎ エル……セイントっ、ウェア‼︎ エル・ファイア・スフィア‼︎」
直後、アルティスの身体が淡く光り輝いた。さらに体全体を包み込むように、炎が球状に生成されていく。
口内という鋭敏な箇所に炎が現れ、紫蛇は堪らず頭を振り、牙に刺さっていたアルティスを振り解いた。
地面を転がるアルティスの肩から悍ましいほどの血が溢れる。草花は紅く染まり、アルティスの口からは悲痛な呻きが漏れる。
しかしすぐさま体勢を立て直し、刀を構える。同時に肩の傷口が紫色に輝き、治癒されていく。
(今の状況、どう動くのがベストだ……⁉︎ 最善はこいつを殺すことだけど……今の僕じゃ絶対無理だ‼︎ ……考えろ……エーミール学院の生徒がほとんど殺され、恐らくトゥエフにいる冒険者ではこいつに対処できない……こうなった以上、時間稼ぎは意味を成さない。すべきは誘導! こいつの注意を引きつけて森に逃げる!)
アルティスが思考を回転させている間、紫蛇はゆっくりと振り向き、アルティスを見つめていた。
しかし瞬間、紫蛇は顔を正面へと向けた。そして口を開け、そこにいたクリスとマフィに向けて体を全身させる。
「ッ‼︎」
ほとんど同時に、地面が揺れた……そう錯覚させるほどの鈍い音が周囲に響き渡る。
マフィは目を瞑っていた。死そのものよりも、自らを死に至らしめる怪物の方が怖かった。
自分はこれからどうなるのだろう。牙で貫かれるのか、生きたまま胃液で溶かされるのか。
そんな想像が刹那に駆け回り、胸中の恐怖がさらに勢いを増す。
今はまだ痛みが無い。ならば次の瞬間か。痛くない。なら次か……そんな断続的な思考を幾度となく繰り返し……マフィは自身が攻撃されていないことに気づき、目を開いた。
そこには、紫蛇の頭部を右の拳で殴り抜けるアルティスがいた。背中には爆発によるものだろう炎が見え、砕かんとばかりに歯を食いしばっている。寸刻前までマフィ達を捉えていただろう紫蛇の目は、虚空を捉えていた。
「グッ……‼︎ ああああッ‼︎」
アルティスの身体の周りに炎の球体が生成された。それらを瞬時に起爆し、自身の肉体を無理矢理に動かす。アルティスの体は横に吹き飛ばされて地面に落とされ、さらに体が吹き飛ばされクリスとマフィの元へと移動。すぐさま2人を背にして紫蛇に立ち塞がる。
(こいつ……僕が2人を守るということを学習したのか……‼︎ 判断が遅れた‼︎ 最初の一撃から誘導を始めるべきだった……‼︎)
その時、3人の頭上で光が瞬いた。銀色に輝く細長い金属……刀が、3人の元へと落下してきている。
刀は真上に伸ばされたアルティスの右手を収まり、すぐさま紫蛇に向けられた。
「……マフィ、動ける?」
「……うん……!」
マフィの涙は止まっていた。口は引き結ばれ、目は決意に満ち溢れている。体にはしっかりと力が入り、クリスを抱き締めていた。
彼女の心は晴れていた。
魔法祭から始まり、エーミール学院への魔物の侵入、そして今も尚続いているS級モンスターとの戦闘。かつて下に見ていた1人の少年に対する信頼は、これ以上無いほどに高まっている。
生来真面目なマフィは、信頼を寄せる男から課される役割を全うしようとしていた。
「クリスを連れて街まで逃げてくれ。こいつは僕が2人を守ることを学習している……襲われるだろうけど僕が守る。……こいつは既に満腹だと思う……2人街に入りさえすればさすがに僕を狙うはずだ……!」
それはつまり、最終的には自分を囮にするということ。
マフィは目線を鋭くし、一瞬息を詰まらせた。
しかし。
「……いいのね?」
それがアルティスの役割だということを、マフィは理解した。
「うん。注意が僕に向いたら森に逃げる。あっちにはボートさんもいるから今よりマシだよ。……それも無理なら……こいつを殺す」
「……分かったわ……」
直後、立ちあがろうとしたマフィは動きを止める。
光の無い目でアルティスの背中を見つめる腕の中のクリスに視線を落とし、自身もアルティスの背中へ視線を投げる。
「……アルティス」
「何」
「……死んだら許さないわよ。クリスのためにも」
「……分かってる。……こんなクソ野郎に殺される気なんてさらさら無いしね」
アルティスの体に、僅かに力が入った。
……だがその後数秒、膠着が続いた。
紫蛇とアルティスら3人。互いに相手の隙を探り、攻撃のきっかけを欲している。
膠着はアルティスの最後の発言からも約12秒間続いた。
そしてその時。ほんの少しの空気の揺らぎ、花を揺らすだけの風が、アルティスの前髪を揺らし……僅かに視界を遮った。
瞬間、紫蛇は尻尾を全力で繰り出した。体を捩って尻尾を前に寄せ、持ち上げて地面に叩きつける動き。森でのA級冒険者やアルティスとの戦いで、噛みつきや飲み込みは体内を攻撃されることを学習したが故の攻撃だ。
一瞬後、アルティスは目線を動き出した尻尾に向ける。その落下地点を瞬時に予測し、地面を蹴る。
紫蛇が動いてから約1秒後、マフィがクリスを抱えて立ち上がった。同時にアルティスが魔法を発動し、突風がマフィの背中を押す。
僅かに早まったマフィの移動。一瞬前までマフィがいた場所でアルティスが立ち止まり、ほとんど同時に紫蛇の尻尾がアルティスを上から叩きつける。
「ガアッ‼︎」
咄嗟に腕を交差させたものの、その一撃でアルティスの
「馬鹿かよッ‼︎ この力ァ……‼︎」
肘から先の力が抜け、激痛が走る。その苦痛に苛立ちを覚えながらも、アルティスは魔法を発動。両の肘から炎の鞭が伸び、紫蛇の尻尾を拘束する。
……一方、マフィとクリスは全力でトゥエフを目指して走っていた。と言っても、クリスはほとんどマフィに引っ張られている状態だ。
ふとマフィがクリスを見れば、その目は後方……アルティスを見つめていた。
その視線の先で繰り広げられていたのは、蹂躙であった。
齢14の少年が、巨大な蛇になぶられている。尻尾で体を殴られ、地面に叩きつけられ、時には跳躍した蛇の体に押しつぶされる。毒の中和のための聖属性魔法と回復魔法が常時発動されており、少年の体は僅かに緑がかった白色の光と紫色の光に包まれている。血が噴き出し、口からは悲痛な声が漏れ、それでも尚少年は立ち上がる。
「……やめて……」
「え……?」
クリスの口から、震える声が漏れた。
「いやだ……アルティス、やめて……それ以上……傷つかないで……」
瞬間、クリスの体から力が抜けた。始めに足が脱力し、崩れるように倒れていく。突然体重をかけられマフィの手が緩み、クリスはうつ伏せに倒れ込んだ。
「クリス!」
すぐさまマフィが助け起こすが、クリスはただ涙を流しながらアルティスを見ていた。
マフィに起こされて座り込み、クリスはただ1つ、絶望だけを灯した目をアルティスに向ける。
「アルティス……! やめてっ‼︎」
クリスの澄んでいるが湿った声が、戦場に響く。
「もういや……アルティスが傷つくとこ見たくない……‼︎ 無理だよもう‼︎ こんな化け物に勝てるわけないよ……‼︎」
その悲痛な叫びと同時に、アルティスは紫蛇の尻尾の打撃により宙を舞った。掬い上げるような攻撃が上半身を直撃。骨が砕けると同時に、アルティスは目線をクリス達の元へと投げる。
(……あぁクリス……いつもならこんな時でも勇気を出して行動できるはずなのに……。……いや……13歳の女の子に、僕は何を期待してるんだ……友達がほとんど殺されたんだぞ……むしろ錯乱せずに動けてるマフィがおかしいんだ……)
アルティスの体が地面に落下する。血が撒き散らされる。体を包む魔法の光が僅かに弱くなる。
(……クリスはまだ13歳の少女……こんな惨状で壊れてしまうのは仕方ない……それとも僕が来る前に、今以上の、クリスが壊れてしまうほどの地獄があったのか……)
紫蛇の尻尾が、倒れているアルティスに繰り出される。上から叩きつけるように、アルティスの頭を砕くために。
しかし瞬間、アルティスは跳んだ。
尻尾の軌道を僅かに逸れ、紫蛇のさらに上……10メートルを超える高さで、アルティスは紫蛇を睨みつけた。
「……どちらにせよお前はクソゴミ野郎だよ‼︎」
アルティスは両手を突き上げた。ほとんど同時に、両手の先に炎の球体が作られる。それは一気に大きさを増し、直径が30メートルほどにまで膨れ上がる。
「……マフィ‼︎ 君だけでも走れ‼︎」
アルティスの目線が、マフィとぶつかる。
その指示は、明確にクリスを置いていけと告げていた。精神が壊れたクリスを目の前に、本来マフィはその指示に従うことができないはずだった。
しかし……アルティスのあまりにも真っ直ぐな目が、それを許さなかった。
マフィがトゥエフに向けて走り出すと同時に、火球は投げられた。その落下地点は、紫蛇の10メートルほど前方。
紫蛇は体を振り返らせた。初めて見た時に感じた少年への危機感が間違っていなかったことを確信しながら。
火球は1秒弱で地面へと着弾。熱の塊が弾け、熱風が辺りに吹き荒れる。圧縮してなかったが故爆発こそしなかったものの、着弾地点の植物は燃つき、土は弾け、岩は赤熱する。
アルティスもまた爆発に巻き込まれ、肉体を破壊しながら吹き飛ばされた。
アルティスの落下地点は、クリスの隣。服は燃え尽き、全身の骨が砕け、皮膚が爛れたその無惨なその肉体が晒される。
「あ……あぁっ……‼︎」
クリスの口から声が漏れる。
黒焦げになった体はすぐさま紫色の光を発した。ひしゃげ、焼けたその肉体はみるみるうちに再生していき、ものの数秒で元のアルティスへの体が作られた。
「グッ……‼︎ 熱いし痛い……ッ‼︎」
悪態を吐きながら、アルティスは体を起こし、炎の海と化した草原を見た。
否、草原の奥から迫ってくる巨大な影を見た。
煙と炎から、紫蛇が顔を出す。鱗は僅かに傷つき、牙が無くなっている。それは明確なダメージの現れであったが……限界を超えたアルティスの力すら、S級の前ではその程度だと誇示するようにも見えた。
アルティスは立ち上がった。周囲の空間から紫色の光が発生し、立ち上がりながらそれを吸収していく。
(……もう僕の魔力ですら尽きかけてる……けど今なら……元の120パーセントぐらいの魔力を周りの空間から吸収できるはず……集中しろ……出力を上げろ……‼︎)
無意識に力が入っているのか、アルティスの腕が震え出した。
その時。
「……アルティス……行かないで……」
小さなクリスの声を、アルティスの耳は聞き逃さなかった。
「……ごめん、できない」
「……なんで……? なんでアルティスはそんなに……」
「……単純な話だよ。クリスといる時間が好きだから。……大好きな時間を奪うあいつが許せないから……‼︎」
震える右腕が、紫色に光り輝いた。
その輝きは時間と共に力を増していく。まるでアルティスの感情とリンクしているように。
「……僕は生きて、また見たい……クリスが笑って、今を幸せだと思えている瞬間を……‼︎」
アルティスは一歩を踏み出した。
「もうやめてよ……無理だよ……‼︎ 私達はここで……もう……‼︎」
「いやだ……絶対に……‼︎ 僕が苦しいだとか痛いだとかは関係ない‼︎ 2人が死ぬか生きるかなんだよ‼︎ そして、2人とも生き残るためには、目の前のこいつを殺さないきゃいけないんだ‼︎」
アルティスは走った。地面を踏み締め、怪物に接近していく。
そして怪物のすぐ側まで辿り着き、跳躍する。
アルティスは繰り出した。光り輝く右の拳を。
「……アアアアアアアア‼︎」
アルティスの小さな拳が、紫蛇の鼻先に衝突した。
瞬間、稲妻が走った。
拳と体表が衝突した瞬間、拳から尋常でないほどの電気が発された。それは枝分かれするように、物質を通って広がっていく。
当然、最も多くの電気が通ったのは紫蛇の肉体だった。紫蛇の体表を覆う体液、体表、体内を電気が駆ける。その軌道が黒く焦げ、紫蛇の身体には黒い稲妻が走る。
そして体内を通過した巨大な
紫蛇の体から力が抜ける。気色悪く動いていた胴体は動きを止め、焦げた眼球はあらぬ方向を向いている。
「……ハア……ハア……ハア……ハア……」
激しい倦怠感、疲労感、虚無感に襲われるアルティスは、呆然と紫蛇……否、紫蛇の死体を見つめていた。
肉体どころか周囲の魔力すら全て消費したのだ。今アルティスはあらゆる魔法が使用不可能。故に息を整えることもままならず、酸欠で何かを考えることすらできないでいる。
しかし、時間と共に酸欠状態も治まり、アルティスは現状を把握しだした。
目の前には、感電死した紫蛇の死体。自分の拳から、莫大な電気が流れた。体にも周りの空間にも魔力は無く、その全てが紫蛇を死に至らしめた。
アルティス・ガパオは、紫蛇を討伐したのだ。
その事実に辿り着き、アルティスは目を見開き、歯を食いしばり、両の拳を握り締め……
「……オオオオオオオオオオオ‼︎」
勝利の雄叫びを上げた。
「……では8月18日の紫蛇襲撃の件について、要点をまとめます。まず人的被害ですが、エーミール学院の生徒429名、教師7名、警備担当のA級冒険者1名が死亡。生存した生徒のうち19名が何かしらの精神疾患を発症。他は紫蛇を討伐した少年が全身骨折。ですがこちらは本人の回復魔法で完治済み。毒による後遺症もありません」
そこはギルドの会議室。大きな机にはギルドの上層部や上位A級冒険者が並び、鋭い眼差しを放っている。
資料を手に報告をするのはボート・アルフォートだ。
「次に何故紫蛇が旧都街付近にまで移動してきたかですが……全くもって不明です。そっち方向の専門家によれば、紫蛇は別に繁殖期でもなければ飢餓状態でもなかった。A級冒険者10名以上が紫蛇がいたであろう場所を調査しても、天敵や自然災害の跡は全く無し。わざわざ数十キロも移動してくる理由が無いんです」
会議室の面々は顔を歪めた。
人間ほどの知性が無いとはいえ、突拍子のない行動で数百人の犠牲が出るなど理不尽極まりない。S級相手では対策もとりづらく、防ぎようがない。
「……ただ……」
そこでボートは資料を下げ、顎に手をやった。その考え込むような仕草に、面々がボートへと注目する。
「……俺が見た時は一目散って感じだった……餌が目的じゃないなら……何かに引き寄せられているような……」
その後、ボートの報告と被害者遺族への金銭的補助等の会議、今後のS級モンスターの動向についての推察等が数十分続いた。
そして会議が終了し、ボートは書類をまとめ、ギルドを出た。
8月の暑さに湿気が加わる曇天。全身が不快な熱気に包まれ、その空模様も相まってどうにも気分が落ち込んでしまう。脳裏には殺されたエーミール学院の生徒達の顔がよぎり、悔恨の念が湧き上がる。
ボートはその後、トゥエフを出た。北西の門を出れば、あの現場が見渡せる。一部が崩れたエーミール学院、紫蛇が生徒達を襲った草原。
今日は8月21日。あれから3日が過ぎていた。
現場の草原には沢山の花が手向けられ、遺族と思われる人々が集まっている。蹲る者、手を握りしめる者、肩を震わせる者。その様は起こった惨劇の痕を痛々しいほど示していた。
そこから、1人の少年が歩いてくる。両手をズボンのポケットに入れ、真剣な眼差しを携えたアルティス・ガパオだ。
「こんにちは、ボートさん」
「よお、アルティスくん。……何かあったのか?」
「いや……クリスの所行っても時間が余ったので……」
「……そうか。……まあなんだ、立ってるのもなんだしどっか座ろう」
2人はトゥエフの門に程近い広場のベンチへ移動し、腰掛けた。
重い空気の中、ボートが話を切り出す。
「……クリスちゃんの様子はどうだった?」
「……心神喪失……までいかないまでも、ずっとぼーっとするか何かに怯えてる状態でした。……あと、僕が離れようとすると……凄く引き止められました」
「そうか……まあ、生きてさえいればなんとかなる。S級が動いたんだ。ギルドからの援助もかなりデカいはずだ」
「……だといいですけどね……。……それでボートさん、話って?」
「ああ……これから話すことはギルドや冒険者の中でもかなり上層部しか知らない重要事項なんだ。だがお前さんにだけは知る許可が降りた。つまるところ他言無用ってこった」
そこでボートは懐から、先程の会議で使用した資料を取り出し、アルティスに渡した。
そこには紫蛇の襲撃で亡くなった人々の名前が列挙されており、それを見たアルティスは顔を歪める。
「……紫蛇の襲撃の理由は完全に不明。だが前に話した、10年前に起こった“何か”が原因であることは間違いないだろう。10年経ってS級が動いたのは、単なる確率論なのか、S級が動くほど“何か”の影響が、10年かけて広がったのか……前者なら今後10年以内、後者ならもっと早いペースでS級モンスターが暴れると予想される。……そこでギルドは、とある部隊の編成の検討を始めた」
「部隊? 冒険者のですか?」
「ああ。それもA級最上位の冒険者だけを集めた、現人類が作れる最強の部隊だ。今後、A級冒険者がこなす依頼、任務の量の調整が入る。それが終わり次第、A級冒険者は旧都街周辺の調査を任務として与えられることになる。そこでS級モンスターが人間を攻撃する可能性が確認された場合……対特別指定魔物討伐特選部隊が編成される、というのが現在会議されている内容だ」
「長いですね……要はS級モンスターの討伐だけを目的とした部隊ってことですよね?」
「ああ。恐らくこの部隊が編成される頃には、お前さんも正式に冒険者になってるだろう。……俺が言いたいのは、お前さんにはもう一度S級と戦う覚悟を持っていて欲しいってことだ。十中八九、アルティスくんは部隊に召集されるからな」
S級。生物の頂点、絶対なる捕食者、生ける災害等と呼ばれる、人類を超越した生物達。
そんな奴らと、アルティスは正面から戦った。与えられる恐怖も、受ける苦痛も、誰よりも知っている。
……そして、奴らが罪なき人々に授ける絶望も。
「……分かりました。もしまたS級が来るなら全速力で戦いに行きます」
「……大丈夫なのか? ……お前さんは俺達が予想できないほどの苦しみを受けたはずだ……お前さんが逃げても、誰も文句は言わない」
「……大丈夫です。というより、今凄く穏やかな気分なんです。ずっと嫌ってきた僕の
アルティスは悠然と言い切り、話を閉じた。
ボートが見たその目は決意に溢れていた。だが、そこには以前には無かったものも存在した。慈愛、憐憫、自信……それが何かは分からなかったが、ボートはアルティスの目に宿った新たな光が、その内に秘めた強さと、未来の希望を表しているように見えた。
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