反抗期だよ、京介君
その日の晩、食卓の話題は、時生による学校生活初日の報告会だった。
少し変わった美術の先生の話、神滝晶と言う優しそうな先生の話、そして緋夏という友達ができたという話。それらを時生は楽しそうに話して聞かせた。
食べることも忘れてずっと口を動かしているせいで、京介の皿からハンバーグもポテトサラダも消えようとしているのに、彼女の皿にはまだ半分しか手のつけられていないハンバーグが横たわっている。
冷えるから早く食べたほうがいいのに。
京介のいらぬ心配など露知らず、時生はあれこれと話を聞かせた。
「へえ。緋夏ちゃんから小学校の頃の話聞いたのかい」
「おじ様、緋夏ちゃんのこと知ってるんですか?」
「まあな。あの事件がきっかけで二人ともクラスの男子共にイジメられてなあ。俺、京介がなんも言わないから気づいてやれなくてよ……担任の先生から連絡が来たときはそりゃあ驚いたよ」
「父さん、もしかしてまだ気にしてるの? あれは僕が迷惑かけたくなかったからで」
「そうなんだよなあ。京介は昔からそういうとこがあっから危険なんだよ」
京介はグイと麦茶を喉に流し込み、
「あの。それでイジメはどうなったんですか?」
「ああ。会社のトラックをデコトラに改造して社員総出で運動場に乗り付けてやったよ」
「え、ええっ?」
「あれはちょっと衝撃だったよ……」
「ガチムチ兄貴十人が褌一枚で教室に突撃して来るなんて誰も予想きてなかったろうなあ。あん時のガキ共の間抜け面ぁ未だに忘れらんねえぜ」
「大人気ないんだよ父さんは……」
京介はため息をつき、箸を置く。
あれは今から三年前。
京介と緋夏がまだ小学六年生の頃のことだった。
それまで仲の良かった数少ない友達が、あんな些細な事がきっかけで離れていくとは思わなかった。
緋夏は掃除をサボるなと注意しただけだ。そして京介は理不尽に責められる彼女を庇っただけだ。
それがきっかけとなり二人はクラスから孤立した。
でも絶対に、康介には言えなかった。
言ったら心配をかけてしまうとわかっていたからだ。
だから我慢しよう、そう思っていた。
なのに、ある日の授業中、力強い歌声が爆音で鳴り響いてきて、驚いて外を見ると康介率いる褌姿の男達がデコトラを背にずらりと並んでいた。
校長が怒りながら走り出てくるのが見えた。
だがすぐに、康介が校長を軽々と小脇に抱えてしまった。降ろせと言っているのだろうか、両手両足をバタつかせて必死に身を捩っている。
男子生徒は興味津々で、興奮気味で窓の外に身を乗り出す者までいた。
だが、そんな楽しい気持ちも後数分で終わりを告げる。彼らはまだそれを知らない。
『京介と緋夏ちゃんが世話になってるらしいじゃねえか。ちぃっと礼を言わせてくんねえかなぁ』
褌姿の筋骨隆々とした男達が教壇にずらりと並び、しかもその内の一人は校長を小脇に抱えている──その光景は僅か十二歳の子供達には恐怖でしかなかったのだろう。誰もが青ざめて声も出せずに震え、目に大粒の涙を溜めていた。
『と、父さんなんて格好してるのさ!? 僕なら大丈夫だからっ』
思わず京介が叫ぶと、クラスメイト達がビクッと肩を震わせた。
校長を抱えた男が京介の父親だと気付いたのだろう。
『悪いねえ、うちの息子が何か悪さでもしたかねえ』
だが、誰も、言葉を発することができず固まっている。
『あ、あの! 阿賀波さん、こういうやり方は良くないと思います。相手の親御さんと話し合いの場を設けますからどうか今日のところはお帰りください。あと、なんで褌なんですか!』
担任教師は冷静に、至極まっとうな説得をする。
『どうした、お前ら何にも喋らないんだな。聞いてた話と違うねえ。京介と緋夏ちゃん、お前らに意地悪されてるって話だけどなあ』
『ち、違う……お、俺達なにもしてな……』
『聞こえねえなあ』
康介は黒板に拳を叩きつけた。
黒板がへこみ、放射状に無数の亀裂が走る。
『いいか、よく聞け。お前らは弱いものを指差して笑って強くなった気になってるだけの弱虫なんだよ。そんなのはただの卑怯者だ。本当に強い人間はな、弱い者いじめなんてしねえ。強い人間はな、守るんだよ。弱い者を。大切なものを。力がなくても、勉強ができなくても、足が遅くても、容量が悪くても、不器用でも、鈍くさくても、それでも全力で守ろうとするもんなんだよ』
康介は校長を開放すると、黒板から拳を離して教卓に両手をついた。そしてゆっくりと生徒の顔を見回した。
『なんだ、やっぱり俺の息子が一番かっこいいじゃねえか』
そう言って、ふっと不敵な笑みを浮かべた。
「うわあああ! もう、思い出すだけでも恥ずかしいよっ」
京介は両手で顔を被って深く俯いた。
「なんで!? 京介君、すっごくかっこいいよ!」
「だって父親が褌一枚で学校に乗り込んできたんだよ? そりゃあ父さんには感謝してるし、あれ以来誰もいじめてこなくなったけど……」
「結果オーライじゃねえか」
康介はガハハと笑う。
やることが極端なんだよなあ、と京介は心の中でため息をついた。
★
京介はベッドに転がり、スマホを見ていた。
写真投稿サイト・インスタントスカイに投稿された風景写真を眺めては素敵だなという思いと共に羨ましさを感じ、小さくため息をつく。
「そういえば今度の日曜どこに行くんだろ……」
京介は起き上がると勉強机に近づき、引き出しから赤いデジカメを取り出した。少し古くて小さな傷も目立つ、けれども汚れは一切なく、大切にされていることが窺える。
電源をつけ、これまで撮影した風景や道端の草花を見返してみる。
奈良の御所で撮影した彼岸花の群生は暮れかけた空を背に炎の様な紅を一面に広げている。
これは中学の夏休みに叔父に連れて行ってもらって撮影したものだ。
群生地までの道のりは遠く、バスを降りてから三十分程歩かねばならなかった。
並の体力がある者ならなんてことはない距離だろう。だが途中足場の悪い道もあったりと、体力が平均以下の京介には少々厳しかった。
だがその分辿り着いたときの達成感と群生地を目の当たりにした時の感動は一生忘れられないだろうと思えた。
「また、行きたいな……」
ぽつり呟く京介。
と、その時、誰かが扉を叩いた。
「は、はい!」
京介は慌ててデジカメを引き出しにしまった。
「京介君、今いいかな?」
時生がひょこっと顔を覗かせた。
「う、うん大丈夫だよ」
「えへへー。実は京介君と見ようと思ってタブレット持ってきたんだー。ね、日曜日のお出かけ先一緒に決めよ?」
「ああそうか、そういえば……」
「もー、さっきその話ししてたばっかなのに。酷いなあ」
時生はぷうっと頬を膨らませてそっぽを向く。
「あ、ご、ごめんっ……」
が、すぐに、時生はいたずらっぽい笑みを浮かべるのだった。
「冗談だよ。もー、京介君は真面目だなあ」
時生は楽しそうにクスクス笑う。
「か、からかわれた……」
「そんなことよりほら、日帰り観光スポット色々検索してみたんだよ」
時生は小走りでベッドへ駆け寄り、ちょこんと腰を掛けた。
なので京介も時生の隣に座ることにした。
「ねえ京介君はどこ行きたい?」
「僕は……」
「うんうん!」
「見たい景色はあるけど……まだ、季節じゃないから無理かな……」
「あーそっかあ。自然の物はそれがあるもんねえ」
「うん。だから時生さんの行きたい場所でいいよ」
「だめ! 京介君と決めたいの!」
「でも……」
「だって。せっかく家族になれたんだもん……楽しいこと、一緒に分かち合いたいよ」
時生は寂しそうな目をして上目遣いで京介を見る。
「あ、ご、ごめんっ」
「もー、謝らなくたっていいってばあ」
「ごめん……」
「だから、もう」
時生はクスクスと笑う。
表情がコロコロ変わるなあ、と、思わず見惚れてしまう。
「ん? どうかした?」
「あ、いや、なんでもないよっ」
「そう? それじゃあ、京介君、さっそくだけど、どこ行きたい? どこでもいいはナシなんだからね」
「そうだなあ……」
あ、と京介は何かを思い出した。
「水族館なんてどうかな。前にネットで見たんだけど、きらめき水族館のクラゲコーナーが凄く綺麗で幻想的なんだって」
「調べてみる!」
時生は嬉しそうに検索を始めた。
遊びに出かけるのは久しぶりなのだろうか。日曜日はまだ先なのに、待ちきれないとばかりにはしゃいでいる。
そんな彼女の姿もまた可愛らしく、それを間近で見ていることが贅沢に思えてきた。
「わあ! ほんとだ、凄い綺麗だね。うんうん、じゃあ一つ目はこれにしよう」
「一つ目?」
「うん、そうだよ。だって水族館だけじゃ物足りないでしょ? 周辺の施設調べて見るね」
「でも次の日父さん仕事だからあんまりウロウロするのは……」
「あ、そか……」
時生はハッとして、あからさまに落ち込んだ様子で項垂れてしまう。
「ご、ごめん! そうだよね、せっかくだしもっと遊びたいよね!」
「違うの。私、自分のことばっかり考えてたなあって」
「あああ僕の方こそごめん、せっかくの楽しい気分に水挿しちゃって。ていうか別に自分のことばっかり考えてるわけじゃないと思うっ」
「あはは、京介くんは優しいなあ。ありがとう」
「いや、別に優しくなんか……」
言いかけて、京介は何かを思いつく。
「あ、あの。それじゃあ、水族館行った後は二人で遊びに行く?」
「いいね、それ! じゃあじゃあどこ行く?」
「え、と、そうだなあ……」
と、京介はスマホの電源をつけた。
「あれ、京介君もインスカやってるの?」
「うわ! いや、これは違っ……」
「ねえねえ、じゃあフォローしていい? 京介君に私のもフォローしてほしいな。アドレス送るね」
「や、でも、僕のなんて面白くないし」
「いいからいいから、ね?」
「う、うん、わかった」
京介はスマホやデジカメで撮影した景色や空の写真ばかり投稿していて、誰かと撮影した物は一枚もない。美味しそうな料理もキラキラした日常もなく、ただ淡々と写真を載せるだけのアカウントだ。
フォロワーも一桁だし、反応を貰えるのも本当に稀な事だ。そんな、時生とは真逆の位置にいる自分が少し恥ずかしかった。
時生はどんな投稿をしているのだろう?
自分とは真逆のキラキラした人生が広がっているに違いない。
そう思いながら時生のアカウントを確認してみると。
今日はフタバの新作フラペチーノを飲んだよ☆
今日はCMの撮影!夏頃放送予定なんだって!楽しみー☆
明日はいよいよ『ラブベリー』の新作コスメの発売日だよ! うさぎちゃんといちごのデザインがすっごく可愛いよ☆
今日は雑誌の撮影! アン&リーの新作ワンピめっちゃ可愛い! まっしろふりふりー♪似合うかな?
同じ地球に住んでるとは思えないくらい世界が違い過ぎる。ああ、本当に時生は芸能人なんだ、と思い知らされる。
画面の向こうでキラキラと笑顔を振りまき、何十万人ものフォロワーから『イイネ』を貰い、延々と続くと思われるほど大量のコメントを貰い……そんな現実を目の当たりにし、京介はますます自分が恥ずかしくなった。いや、現役トップアイドルと比べるのがそもそも間違いなのだろうが、でも、彼女はもう画面越しの存在ではなく現実に目の前に存在しているのだ。
とは言え、違いを見せつけられて落ち込むということはなかった。多少は恥ずかしさを感じてしまうものの、比べて落ち込むほどではない。彼女と同じ世界にいて、立場が近ければ落ち込んだかも知れないし、彼女のような眩しい世界を夢見ていたなら嫉妬もしたかもしれないが。だが、京介は立場も違えば住む世界も違い、眩しい世界を夢見ているわけでもない。だから、驚きこそすれ落ち込む事は一切なかった。
「ん……?」
京介はふと、あることに気がついた。
彼女のフォロワーは五十万人。対してカノジョがフォローしている人数は、一人だ。そう、京介ただ一人……
「ぶわあああああああ!」
「うわ! なになにどうしたの京介君!」
「待って、僕しかフォローしてなくないっ?」
「あ、うん。お仕事用のアカウントだから、事務所からもフォローしちゃだめって言われてるんだ。ちょっとくらい交流したっていいと思うんだけど、トラブル防止なんだってさ。プライベート用のアカウントも禁止されてるんだよ? 酷くない?」
時生は不満そうに口先を尖らせる。
もし万が一アカウントがバレてプライベートが暴かれたら危険というのもあるのだろう。時生程の人気者なら私生活を知りたい、見たい、と近づいてくる人間も多いだろう。危険から彼女を守るためには複垢禁止はやむなしといったところだろう。
「うん、禁止されてるならフォローしちゃだめじゃない⁉」
「反抗期だよ、京介君!」
「なにがっ?」
「大丈夫、さり気なくフォローしたから事務所にだってバレないよ!」
「いやバレるよ⁉ 普通にめっちゃバレるよ⁉」
などと京介が軽くパニックになっていると、時生のスマホから着信音が鳴り響いた。
「鈴木さんだ。なんだろ」
「いや、なんだろって……」
どう考えてもお叱りの電話だろう。
そう思っていると、時生の表情が絶望へと変わった。
「ご、ごめんなさあい! でもでも、京介君は家族だし! え? 京介君のため? ……わかりました……」
どうやら光の速さでバレたらしく、電話口で説教を食らったらしい。
わかりやすい程しゅんとしている。
「というわけで京介君、フォロー外すね……今日ほど自分がアイドルやってることを悔やんだことはないよ……」
「そ、そこまで……」
「京介君のお写真、見たかったなあ」
「そんな大した写真載せてないよ。それに、写真ならいつでも見せてあげるから」
「本当⁉ やったあ!」
「そ、そんなに嬉しい? 僕の写真」
「んー、嬉しいっていうか興味あるかなあ」
「ただの風景写真だよ?」
「うん! 京介君の世界に興味があるんだ」
「僕の世界……」
「京介君がどんな世界を見て、どんなことを感じてるのかなって」
彼女はどうしてそこまで自分のことを知りたいのだろう?
京介は不思議でならなかった。
知ったところで得にはならないし、何も面白いことなんてない。家族だから? そんな理由だけで相手を知りたいと思えるのだろうか。
正直、京介には理解できなかった。
彼はできるなら自分の世界を他人に知られずに生きていきたいと思っている。誰にも知られなければ傷つくこともなく、大切なものをずっとずっと守り続けることができるのだろうから。
だから、誰にも知られたくなかった。
触れられたくない。
見られたくない。
そうだ
自分の大切なものを、世界を、誰かに見せてはいけない。
そんなことをすれば、失ってしまう。
自分が守り続けてきた世界を。大切なものを。
見せてはいけない
そうだ
けして、誰にも、見せてはいけないのだ。
「京介君……?」
時生が心配そうに顔を覗き込んでくる。
「ごめん。忘れて」
「へ……?」
「うん。やっぱり、僕の写真なんて見る必要ないよ」
「なんで?」
「なんでもない。そんなことより、日曜日どうする? そうだ、せっかくだから甘いものでも食べに行こうか。そういえば水族館の近くに新しいカフェができたらしいよ。この間ネットの記事で見かけたんだ」
「うん……」
「日曜日、楽しみだね」
相手が誰であろうと、けして、自分の世界に、心に、触れさせてはいけないのだ。
好きなこと、大切なもの、失わないために全てを抱えて生きていくしかないのだ。他人に差し出して傷つけられて、それでも胸を張れるほど強くは生きられないのだから。
時生が心配そうな、不思議そうな、複雑な表情で京介君を見ている。けれど彼はそんな彼女に気づかないフリをして、不自然なほど饒舌に日曜日のプランを提案する。
自分の世界を守りたい
大切なものを守りたい
だから誰にも触れさせてはならない
指先が触れた瞬間それはヒビ割れ壊れてしまうから。
★
部屋を照らす明かりはパソコン画面から漏れる淡い光のみ。薄暗く埃っぽい八畳ほどの部屋には大量の書物が乱雑に積み上げられ、壁にはびっしり隙間なく烏丸時生のポスターが貼られている。
「やっぱり……君は、そうなんだろう。ようやく戻ってきてくれたんだな……」
部屋の主──沼田は画面の中で歌い踊る時生を感情のない眼差しで見つめている。そのディスプレイの横には、制服姿の女子生徒と並んで映る若き沼田の写真が飾られている。
「ああ、忘れてはいないよ。約束したじゃないか。大丈夫、今度こそ私が君を幸せにしてやろう」
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