第9話死神の戯れ


 ついに少女が使用人の男性に腕を掴まれた。

 走っていた少女はその拍子にバランスを崩し、地面に膝をつく。すでに息も絶え絶えになっており、とても掴まれた腕を振り払う力など残っていなかった。


 使用人はさらに少女をうつ伏せに倒し、そのまま足で背中を踏みつけた。衝撃でゲホッと少女が咳き込む。その様子を面白そうに見下ろしながら使用人はニヤリと笑った。


「残念でしたね、お嬢様。どうやって抜け出したのかはわかりませんが……これはもっと厳重に閉じ込めて差し上げなければいけませんね」

「ケホッ、そ、そんな……」


 せっかくチャンスを貰ったというのに活かせなかったこと、そして今後はさらなる地獄が待っていることを思い、少女は悔しそうにギリッと歯を食いしばる。

 拳をギュッと握りしめ、瞳からは涙が次から次へと溢れていった。


「あはっ、オレが鍵を開けたんだよー」

「!? だっ、誰……」

「死神きーーーっく!」

「ぐあっ……!?」


 そんな状況下で、場違いな明るい声がその場に落ちる。

 彼女を踏みつけていた男は慌てて振り返るが、言葉を全て言い終える前にその身体が遥か数メートル先まで吹き飛んだ。声の主が尋常ではない回し蹴りを決めたのだ。とても人間が出来る芸当ではなかった。

 蹴られた男は当然ながら地面に倒れ伏して意識を飛ばしている。


「ジョイ、さん……」

「あ、殺してないからね? アニメで見た技を真似したんだよー! あはっ、いつかやってみたかったんだぁ! どう? カッコよかったでしょー?」


 ボロボロになっている少女を気にする風もなく、ジョイはそれさえも遊びと言わんばかりに無邪気に笑う。もはや、少女は状況についていけていない様子であった。


 ジョイはスッと少女の近くにしゃがみ込むと、顔を覗き込みながら声をかける。その表情は、彼女が初めて見るどこか優し気な微笑みだった。


「前金の分くらいはお手伝いしようかな、ってリーパーと決めたんだ。ねぇ、お嬢さん。このまま逃げる? それとも……話しをつけてからにする?」


 クイッと親指でジョイが示したのは屋敷の方角だ。少女はゆっくり身体を起こしてその場に座り込むと、示された先の光景に目を向けた。そして、目を見開く。


 屋敷の広いバルコニーで、リーパーが少女の義母を捕らえてナイフを首に突き付けているのだ。女性は手摺りに身体を押し付けられており、身動ぎ一つ出来ない状態である。

 少女を追い回していた使用人たちも皆が足を止めて注目している。


「こ、これもサービス、ですか……」

「んーん? これは前金の分だからちゃんとしたお仕事ってことでー。請け負ってない依頼ではあるんだけどね。例外だよ、れ・い・が・い!」


 ウィンクをしてきたジョイを見て、少女は僅かに頬を染めた。

 ジョイの顔が整いすぎているから、というのが大半の理由であろうが、絶望していた矢先に見えた希望の光に気持ちが高揚しているのもあるだろう。


「……では、改めてお願いします。私に、チャンスをくださいっ!」

「あはっ、そうこなくっちゃね!」


 少女の目には、力強い光が見えた。そういった人間の「生」の光こそが、ジョイを惹きつけるのだ。

 死を扱う死神の、渇望してやまない生きる力。生きる喜び。


「やっぱり、人生は楽しんでこそだよねー! 終わらせるなんて、勿体ない」


 けれどジョイは魂を奪わないと生きてはいけない。リーパーがいなければ、ジョイはあっという間に昔のように魂を刈るだけの死神人形と成り下がるのだろう。


「さ、そうと決まったらさっそくあそこまで行こうか」

「は、えっ、ええっ!?」


 ジョイは流れるような動きで少女を横抱きにした。少女はというと、自分と身長がそう変わらない彼がこんなにも軽々と自分を抱き上げたことに戸惑いを隠せない。


「しっかりギュッとしててねー!」

「え……き、きゃ、あああああああっ!?」


 しかし少女はちゃんと理解するべきだったのだ。ジョイは人間ではなく、死神という人知を超えた存在なのだということを。


 ジョイは少女を抱えたまま、軽い跳躍だけで空を翔けた。その姿は闇に紛れ、確認出来たのはバルコニーにいたリーパーと少女の義母くらいだっただろう。


「遅い」


 スタンと軽い足取りでバルコニーに降り立ったジョイに対し、リーパーの第一声はいつも通りであった。


 しかし、拘束されている少女の義母はそうではない。たった今、空を飛んできたように見えた目の前の青年に理解が追い付かない様子だ。


「えー、そんなに時間かけてないでしょ? あ、もう離していいよ」


 しかし、そんなことは全く気にしないジョイは、抱えていた少女を下ろすと、女性に容赦なく近付いていく。

 リーパーの手から離れた女性はよろめきながらも、驚愕に見開かれた目はジョイに釘付けである。


「ねー、おばさん。このお嬢さんが邪魔なのはどうして? さっさと理由を話してくれたらこのままオレたちは何にもしないよ? 彼にも手は出させないから」


 にこやかに告げられたあまりにも直球な問いに、女性はようやく我に返った。

 それから慌てたように少女を指差し、震える声で喚き立てる。やはり自分の命がかわいいのだろう。面白いほど素直に教えてくれた。


「こ、こいつさえいなければ、全てがうまくいっていたのよ! だっておかしいでしょう? まだ高校生のガキが莫大な遺産を抱えるなんて!」

「わ、私だって好きに相続したわけじゃ……」

「お黙りなさいっ!!」


 女性の金切り声が夜空に響く。リーパーとジョイは眉根を寄せながら耳を指で塞いだ。


「私がアイツの財産目当てで結婚したのは確かよ。でもちゃんと良い妻を演じてきたわ。不倫だって見逃したし、アンタがかわいがられるのも見逃した! ずっと我慢してようやくアイツが死んだのよ! なのに……こんな仕打ち認められるわけがないじゃない! 私の苦しみを、お前も味わえばいいのよ!!」

「なっ……!?」


 理不尽な言い分に、少女は言葉を失う。完全な八つ当たりなのだから。


「一生この屋敷の一室で飼ってあげるから。ああ、餌を忘れたらごめんなさいね。途中で飽きてしまうかもしれないから先に謝っておくわ」


 女性の目は、どこかおかしかった。そのことに恐怖を感じたのか、少女はブルッと身体を震わせる。


 修羅場とも言えるその状況で、相変わらずジョイが楽しそうにその場に割って入った。


「あはっ、いーいクズっぷりだ。オレ、そういうの結構好きだよ?」


 そう言いながら、ジョイはその手に大鎌を構える。どこからともなく現れたその大鎌を女性に向かって軽く振ると、ほんの小さな青白い炎が女性の身体から抜けていくのが見えた。

 ジョイはその青白い炎を躊躇なく口に放り込むと、ペロリと唇を舐めながらニヤリと笑う。


 女性も少女も、その光景を唖然としながら見ることしか出来なかった。


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