暁のシクラメン

人喰い刀

第1話 シクラメンの花


 秋子はいつも通りの家に帰る途中、井の頭公園でふと空を見上げ思った。

あのまるで鉛のように重い雲は今の私の心情だわと。

そして肌に触れる風が冷たくなっていた事に気が付いた。

「秋口の切ない風ね。」ひとり呟いた。日々の忙しさの中とっくに夏は過ぎていた。

 

秋子は中学二年生の娘がいるシングルマザー。娘の名は美鈴。

負けず嫌いの気の強い娘だがぶれない芯を持っていて、誰にでも優しく接する事が出来る子だ。

離婚から一年、父親の話なんてこの子とはただの一度もしていない。

 秋子の職場は保育園。といっても保育士ではなく、厨房で調理の仕事をしている。

給料は安いが子供達のカラッとした笑い声がまるで協奏曲の様で、耳に心地よく笑顔にも元気をもらえるので不満はなかった。

 

帰宅した秋子は夕食の準備を手早く済ませると、一つ深いため息をついた。別に今の生活に不自由はない。

ひとり親である事に少し不安はあるが、あの旦那との喧嘩の日々に比べれば天国だ。

娘の心中、本心は分からないが、なぜかあまり心配する事はなかった。

無責任な訳ではない、あるいは自分でもわからないほど現実を認識していないのかもしれない。

 「美鈴~ご飯にするよ。」

スマホを見ながら気だるそうに娘がやってきた。ストリートダンスにハマっている娘は友達も多く、学校の成績も特に悪い訳ではないので、秋子は大して心配していない。

ただ、小学生の頃はまるで友達の様に仲が良かったのに、最近はろくに話すらしてくれない。

「これが反抗期かぁ」

ふと寂しさを覚えた。

美鈴は食事を済ますと、ごちそうさまと言ってそそくさと部屋へと戻って行った。

 秋子がふとテレビに目を向けると今夜は映画タイタニックがやるらしい。高校の頃に観た映画だ。映画館で観た。

そう、あれはトオル君と…懐かしいな。

トオル君とは同じクラスメイトだった。

あのボサボサの髪。

猫みたいな歩き方。

秋子はあの高校の冬を思い出した。

映画を見終わると、缶ビールを飲みながら、ゴソゴソと押し入れを引っ掻き回し、取り出したのは高校の卒業アルバムだった。

何年ぶりだろうか。

ページを開くにつれあの日々を思い出す。

映画スワロウテイルを観て主演のCHARAの真似をしてアゲハ蝶のタトゥーシールを胸元に貼り、母に叱られた夏。

大好きな祖父が癌で亡くなったあの春。ショックで卒業式に出れなかった。

まさに思い出のアルバムだ。

あの時の感情が津波の様に押し寄せた。

そして、彼の写真を見つけた。

トオル君…パタリとアルバムを閉じると

秋子はビールを飲み干し、シャワーを浴びに逃げる様に浴室へと向かった。

 鏡に映る自分の顔、疲れた女がそこに居た。あの頃には無かった影を感じた。

ほのかに赤くなった頬、ふと涙が溢れそうになったので、シャワーのお湯を顔に当てた。


浴室から出るとなんともいえない虚無感に襲われた秋子は「もう一本飲んじゃおぅ」と陽気に独り言を言って、冷蔵庫からビールを引っこ抜き、YouTubeでYenTownBandのSundayParkを流した。

あの人、今どうしているかな。きっと私みたいに結婚して、子供もいるんだろうな~友達以上恋人未満だった彼の事を考えていたら、あっという間に12時を過ぎていた。

ダメだ。気になって仕方がない…

秋子は何年も使っていないFacebookを開き、まさかね~と思いつつ、しかし微かな期待を抱き彼の名前を検索してみた。すると。はっ!これはトオル君…

間髪入れずに彼のページを開く。プロフィール欄の出身校が目に入った。そして確信した。卒業式で告白しようとしていたが、それっきり会う事がなかった彼がそこにいた。

見れる限りの彼の投稿に目を通した後に秋子は悩み出した。

連絡を取ってみたい…けれども…葛藤に強く縛られた。いきなり友達申請が来たら彼はどういうリアクションを取るか。無視されたらどうしよう。気持ち悪いと思われたら…

 何分経っただろう。ふとプロフィールを見直すと、リンクがあった。Twitter?覗いてみる。なにやらサーフィンが趣味で、ここでいろいろ投稿しているみたいだ。

秋子はTwitterはやっていなかったが、それを見てすぐにおぼつかない指で、しかし急いで自分のアカウントを作った。

Twitterなら自分と特定されずに彼と繋がれると思ったからだ。

ユーザー名何にしよう…

あっ。そうだ。シクラメンにしよう。

私の今はなき実家の花壇に咲いていて、いつだったか彼と花のやり取りをした記憶があるからだ。

 夜が明けそうだ。ベランダに出た。

ツンと冷たい空気に触れ秋子は火照った身体と心を冷ました。寝よう…

いや、待てよ。

サーファーは朝早く起きるかな?今日は日が明けて土曜日。

サーフィンに行くなら彼はもう起きる時間だろうか…

濃いめのコーヒーを作って飲み始めた秋子。コーヒーから上がる湯気は彼女の気持ちの様に、モヤモヤと登っていった。

彼の投稿に「ハートマーク」を送った。いくつか送った後にフォローをした。

そして秋子は満足すると、ソファーに横になりスマホを眺め続けた。

あれ!この写真…鵠沼海岸って所だ。

確か娘がこの夏に友達と遊びに行った場所じゃん。行った事ないな…

もう何年も海になんて行っていない。

秋子は少しふてくされると、いつの間にか眠りに落ちた。

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