第2話 ヨルンの村へ

「……おかしいな」


 日の光を受けて赤みを増す赤銅色の頭を掻きながら、一人の青年が呟いた。乳白色のシャツを無造作に腕まくりし、シャツの上には深緑のベストを重ね、長い足には黒いズボン。きっちりと紐で編み上げたロングブーツという出で立ちだ。肩からは小さな革鞄を下げている。


 赤銅色の髪の青年——ギルベルト・ヴォルフ。

 私は辺りを見回す彼の背中を見て、ため息をついた。

 いきなり小荷物みたいに担がれてから早一時間程。もう四度は見たであろう、大きな円形広場の噴水の前で、彼はようやく自分が迷ったことに気がついたようだった。担ぎ上げられてから十分程で、体がつらくなり下ろしてもらったのだけど、それ以降は広い歩幅でずんずん歩いて行ってしまう彼のせいで、すっかりへとへとだ。


「あっちか……」


 顎に手を置きながら、考え込むギルベルト。

 彼は方向音痴なのだ。


 『祝福の女神~黄金色の乙女の章~』の彼の人物設定にというものがあった。ゲーム内では、そのことで他の登場人物たちに揶揄されたり、主人公と仲良くなってからもデートで、「道に迷った……だけど、これで長く一緒にいられるな」などと甘い台詞を口にするのだけど、実際、方向音痴というのは大問題だと思う。


「ねえ、道に迷ったなら、人に聞けば良いのでは?」


 しゃがみ込んでそう言うと、ギルベルトは「なるほど、それもそうだ」と得心して、広場の周りに軒を連ねるパン屋に入り、少ししてから細長いパンを二本抱えて戻って来た。


「あの通りらしい」


 指さすのは、広場から放射線状に広がるいくつもの道の中で、一際(ひときわ)幅の広い大通りだった。

 それから、一本のパンを差し出してきたので、驚いて顔を上げると、受け取れというように顎をしゃくる。


「……ありがとう」


 パンを受け取って、一口齧る。堅いが、香ばしくて美味しい。

 視線を感じて顔を上げると、ギルベルトが顔を逸らした。


「少し食ったら行くぞ」


 ギルベルトは噴水の縁まで来て、目線で座るよう指示する。

 私は大人しく座り、パンを齧った。どうやら、ミアの胃袋はかなり小さいらしい。半分以上残して満腹に。道理で華奢なわけだ。体力もないし、美少女でも苦労があるのねなどと考えていると、また視線を感じてギルベルトを見る。

 彼はさっと顔を背け、


「食えないなら、食ってやる」


 と手を差し出してきたので、一瞬躊躇ったけれど、手が引っ込みそうもないので仕方なく手渡した。

 ギルベルトは受け取った齧りかけのパンをあっという間に平らげる。


(女の子の食べかけを、何の躊躇もなく……この人は)


 最後のひとかけをごくりと飲み込むと、おもむろに立ち上がった。


「いくぞ」


 彼は教えてもらった道へ迷いなく進みはじめる。私は急いで立ち上がり、その後を追った。

 しばらく、その幅の広い道をまっすぐ進んでいくと、今度は小さな広場に出た。

 またそこからも道がいくつも分かれている。

 ギルベルトは立ち止まり、


「……どれだ?」


 しばし腕を組んで考えていると、


「お、ギルベルトか? また道に迷っているのかい?」


 という穏やかな男性の声がした。声の主を見ると、それは酒樽を抱えた初老の男性だった。

 ずいぶん軽そうなので、どうやら中身は空のようだ。


「おやじさんじゃないか!」


 ギルベルトはその小柄だが、恰幅の良い男性に向かって、微かに頬を緩めて近づいた。


「もしよかったら、荷馬車に乗って行くかい? これから倅がヨルンの村に行くんだ。これを乗せてな」


 おやじさんと呼ばれた男は腕の中の酒樽を少し持ち上げる。


「それは有難い。荷積みは手伝うよ」


 ギルベルトはおやじさんから酒樽を受け取り、店の前に停めてあった荷馬車に積み込んだ。

 出発の時間になり、ギルベルトはつかつかと近寄って来た。

 私が彼を見上げると、ずいぶん上に顔がある。二人の身長差は三十センチ程ありそうだった。

 すると、彼はいきなり私の腰を両手で挟むようにして、


「きゃっ!」


 そのまま高々と持ち上げると、軽々と荷馬車に乗せてしまった。

 自分はというと、荷馬車の縁に片手をついてひょいっと身軽に飛び乗る。

 にこやかに手を上げるおやじさんに手を振り、荷馬車はヨルンの村に向けて出発した。

 走り出してしばらくは街の中だったのだけど、大きな石の門を潜り抜けると、次第に田園風景に移り変わる。やがて街が見えなくなった。

 空はまだ青いが、どことなく夕方の気配を感じる。


(今、何時なんだろう……)


 この世界の時間と、私の住む世界の時間は同じなんだろうか。

 そういえば、ずいぶん長い夢だなぁ。

 そろそろ起きないと、講義に遅刻なぁ。

 などと、のんびり考えていた時。

 ふと、また視線を感じて右隣を見る。立てた右膝の上に肘を乗せ、その手の平に顎を置いたギルベルトと目が合った。この体勢のまま顔を背けるのが難しかったのか、彼は視線だけを逸らす。


(よくこっち見てるよね……)


 やはりミアが美少女だからかな。

 それとも、私の行動がどこかおかしい?

 何となく気詰まりで、思いついたことを口に出す。


「……ギルベルトさんは、おいくつなんですか?」


 ギルベルトは突然の質問にしばらくぽかんとしていたけれど、そのうち面倒そうに「十八」と答えた。

 十八歳——ということは、現在は『祝福の女神~黄金色の乙女の章~』の二年前ということになる。ゲーム内でのギルベルトの年齢は二十歳。二十歳のギルベルトは、エターニア騎士団の若き騎士だ。では、目の前のギルベルトは今何をしているんだろう。エターニア騎士団に入る前は、騎士見習いのはず——


「今は何をされているんですか?」


「ヨルンに向かってる」


「……ふざけてます?」


「悪い。その敬語やめてくれないか、慣れない」


 言葉に詰まる。でも、ギルベルトが有無を言わさぬ眼力でこちらを見据えるので、私は思わず頷いた。


「あと、ギルでいい」


 言って、ギルベルトはふいっと顔を背けてしまった。

 そのあと、どちらも口を開かぬまま、荷馬車は無事ヨルンの村に到着。

 空はすっかり橙色に染まっており、時折吹いてくる風は少しひんやりしていた。

 

 荷馬車を見送ると、ギルベルトは村の奥へ奥へと進んでいった。並んでいた民家がだんだんと減り、少しずつ草原や林が現れ、そしてついにはちょっとした森のような場所に出た。そこには一本の小道があり、ギルベルトは迷いなくその道を歩いていく。周囲が薄暗くなってきたので、森の中を歩くのは非常に怖かった。ギルベルトに引き離されないように、すぐ後ろを歩く。

 親鳥にちょこちょこついていくひよこのような気持ちで歩いていたら、小石のようなものに躓き、危うく転びそうになった。


「あっ!」


 転ぶと思った瞬間、伸ばされた腕に抱き留められた。


「暗いから気をつけろ」


 そんなこと言われても、灯りもない森の中。頼りは、木々の間からわずかに漏れてくる夕日と、ギルベルトの背中だけ。


「そうはいっても見えないよな……」


 ギルベルトも周囲を見回し、改めて暗いと思ったようだ。

 そして、何を思ったかさっと私を抱き上げ、横抱きにした。いわゆる、お姫様抱っこだ。


「ぎゃっ⁉」


 突然のことに、鼓動が急激に早くなる。

 彼がぐっと抱え上げたので、息遣いが間近に迫る。

 思わず、ぎゅっと目を瞑った。


「あと少しで着く。ちゃんと掴まってろ」


 彼の響く低音の声が、耳元で囁かれ、ついくらっとしてしまった。


(この声は反則なんだってば‼)







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