祝福の女神 紫水晶の乙女 ~私の推しの声を聴け!~

雨宮こるり

第1話 出会い

 枕元で鳴るスマホのアラーム音で目が覚めた。

 今日の講義は一限目からだ。

 とりあえず、ベッドから下りて、カーテンを開ける。

 その瞬間、眩しいくらいの真っ白な光に包まれて、私の意識は吹っ飛んだ。


◇◇◇◇◇


 次に目を開けたとき、そこは見慣れた自分の部屋ではなかった。


(どこ、ここ……?)


 まず最初に感じたのは、甘ったるいお香の香り。咳き込みそうになるくらい部屋に充満している。薄暗い室内はやはりお香のせいなのか、白い靄がかかったようで見通しが悪い。

 三畳ほどの狭い空間の中央には、細かな彫刻が施された丸テーブルが鎮座し、その上には金色の台座に置かれた見事な水晶玉があった。


(占い……?)


 壁に備え付けられた燭台の炎が揺らめいたのか、部屋の中で黒い影が動く。


「おい、聞いてるのか?」


 すぐ目の前から声がして、顔を上げる。


「俺はお前の返事待ちなんだが」


 男がいた。

 テーブルを挟んで向かい側に、赤銅しゃくどう色の髪を無造作にかきあげながら、髪よりも少し茶色みがかった赤い瞳でこちらを睨みつけるように見てくる青年が。


「時間もないし、そろそろ答えを出してほしい」


 精悍な顔立ち、毛先の跳ねた赤銅色の髪、そして、鳶色とびいろの瞳。

 何より、この体に響く低音ボイス!

 私はこの人を知っている。


「ギルベルト・ヴォルフ!」


 私は叫びながら、立ち上がった。

 その声音は、聞き慣れた自分の声ではなかったのだけれど、目の前にあのがいるという非現実的な状況ゆえに全く気がつかなかった。


「どうした? いきなり」


 ギルベルトは突然の大声に、腕を組みながら顔を顰める。

 その仕草も、その声も、ああ、ギルベルト……!

 体から力が抜けて、すとんと椅子に腰を落とす。

 ギルベルトは、怪訝な顔をしている。

 ギルベルト・ヴォルフは、私の大、大、大好きな乙女ゲームの登場人物である。

 ゲーム名は、『祝福の女神~黄金色こがねいろの乙女の章~』。


 主人公ヒロインの少女(公式では、ティアナ)は、ある日突然、聖女候補に指名される。

 聖女候補たちの集まるエターニア学院に放り込まれた彼女は、聖女になるための勉強や鍛錬を積んでいく。その中で、数々のイケメンたち——王子様、神官見習い、敵国のスパイなどと出会い、最後ラストは、〈聖女となって民を救うのか〉、〈運命の相手との愛に生きるのか〉——重要な選択を迫られるのである。

 その乙女ゲームに登場する、攻略対象の一人が、私の大好きなギルベルト・ヴォルフなのだ。彼はゲームパッケージでも、王子の次に扱いが大きく、いわゆる幼馴染的ポジションのキャラクターで、聖女に仕えるエターニア騎士団の若き騎士。主人公と同郷ということもあり、彼女を何かと気に掛ける役どころ。

 そんな彼に私は一目で恋に落ちた。

 その声にも惚れている。

 最初に、ギルベルトの声を聞いたときは、見た目のわりにはずいぶん低い声だなと思ったものだが、ずっと聴いていると、それがかえって癖になり、低音で響いてくるその声が、何より素敵に感じた。キャラクターソングを何度繰り返し聴いたことか。彼の胸の内を繊細に描き出したその歌詞は、切ないメロディーと相まって、胸の奥をきゅんとさせてしまうのだ。

 とにかく、私のスマホの待ち受け画面は、主人公をバックハグするギルベルトの画像だし、夜寝る前のBGMは彼のキャラソンなのだ。


「おい」


 その声に、はっと我に返る。

 やはり目の前にはギルベルトがいる。

 ギルベルトは本来、二次元世界の住民で、三次元世界の存在ではない。

 でも、目の前の彼は、画面から飛び出して来たらこうだろうなと思わされるだろうほど、正真正銘のギルベルトだ。


「大丈夫か?」


 うっとり見とれていると、ギルベルトは頭を掻いた。


「お前、人の話聞いてるか?」


 これは夢なんだろうか。

 そうだよね、夢に決まってる。

 目の前に本物のギルベルトが現れるなんて、現実なわけがない。

 月並みだが、頬をつねってみる。


「あの、ギルベルトさん、何か御用ですか?」


「何か御用ぉ?」


 ギルベルトは眉根を寄せて、ため息をついた。


「いくら何でも、お前、おかしくないか? まさか、自分の名前も忘れてるなんてことないよな」


 ギルベルトが馬鹿にしたように言うので、思わず反論しかけたとき、ふと水晶玉が目に入って、そこに映った自分の姿が眼に飛び込んできた。


(……あれ?)


 本来、そこに映るのは私のはずなのに、どうしてか私の姿ではなかった。

 私は、都内の女子大に通う、ごく平凡な女子大生、さかきこと、十九歳。

 けれど、水晶玉に映るのは、潤んだ瞳が可愛らしい、陶器人形のような女の子。歳は十五歳くらい。黒いローブを着ている。

 薄暗いせいで、目と髪の色ははっきりとわからないけど、前下がりのショートボブで、顔も小さく愛らしい。どことなく憂いを含んだ瞳を持つ美少女である!


「これは誰……?」


 問うように顔を上げると、ギルベルトは明らかに呆れているようだったが、やがて、大きなため息をついて、


「占い師なんだろ? それを覗けば良い」


 顎をしゃくって水晶玉を指した。


「水晶玉……」


 私は再び水晶玉に目を落とす。今度は表面に映る美少女の姿ではなく、水晶玉の奥を覗き込むように。

すると、不思議なことに、水晶玉から光の川みたいなものが全身に勢いよく流れ込んできた。苦しくはない。けれど、目を見開いたまま動けない。体中に、光の結晶が入り込んで、いたるところでキラキラ光っているような気がした。

 水晶玉に映像が映し出される。音声も頭の中で響きはじめた。

 いじわるそうな口元のおばさんが、年老いた男と話している。


——昔は百発百中だと評判だったのに、今じゃ力が無くなっちまったのか、役立たずも良いところだよ。


 さっと映像が切り替わった。


 同じおばさんが腰に手を当てて、少女に怒鳴り散らす。


——ミア、あんたはただ飯食らいだよ! 少しはまともな仕事をしてみたらどうなんだい! このままじゃ、売り飛ばすしか道はないよ!


 次は、少女が暗い顔をして、薄暗い路地で壁に寄りかかっている姿だった。


——どこかへ行ってしまいたい。

——遠く、遠く、ここではない、別のどこかへ。

——それができないのなら、いっそ、消えてしまいたい。

——水の中の泡のように、手の平に落ちてきた雪の結晶のように。

——消えて、なくなりたい。


 ミアと呼ばれた少女の声が、想いが、全て流れ込んできた。

 薄紫の髪、アメ水晶ジスト色の愁いを帯びた大きな瞳。どこか悲しげに歪めた唇。

 ミアの顔は、水晶玉の表面に映った美少女の顔だった。

 私はミアなのだ。確かに中身は榊美琴なのだけど、この外見はミアだ。

 そして、ミアの悲しみに共鳴するかのように、遠くへ行きたい、逃げ出したいという気持ちが心の奥底から湧き上がってきて、気がつけば目に涙をためていた。

 がたっという大きな音がして顔を上げると、ギルベルトが身を乗り出すようにしてこちらをじっと見ていた。どうやら立ち上がった拍子に、椅子を後ろへ倒してしまったようだ。

 だが、ギルベルトはそんなこと意にも介さず、テーブルを飛び越えると、私を抱き上げ、軽々と肩に担いでしまった。そして、振り返るとおもむろに、水晶玉をむんずと掴み取り、肩から掛けていた革製の鞄に乱暴に押し込んだ。


「よし、いくぞ!」


 彼は言ったが早いか、今度はテーブルを駆け上がり、狭い部屋を飛び出した。


「あ、あの、ちょっと…!」


 突然、米俵のように担がれてしまい、怖いやら恥ずかしいやらで頭が追いつかない。

 肩の上の人間の気持ちなどお構いなしに、ギルベルトは猛スピードで廊下を駆け抜け、光の見える入り口から飛び出し、


「ねえ! おろして!」


 私の抗議の声も聞かず、街の人々に奇異な目で見られることを気にすることなく、賑わう大通りを走り続けた。


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