神官セレナは癒したい〜戦うのが嫌なので一撃で敵を葬り去るようになった最強神官を周りは放っておいてくれません〜

シクラメン

第1話 神官セレナは討伐が嫌い

 目も開けてられないような雨の中、セレナは隣にたっている後輩に聞こえるように大きな声を出した。


「ひ、ひどい雨。これ、全部リヴァイアサンのせい……?」

「そうソルニア様は言ってたでしょ。ちゃんと聞いてたの? セレナ」

「き、聞いてたけど。こんなにひどいとは……思って無くて。カノンちゃんは、分かってたの?」


 波によって削られた断崖の上にたっているのは2人の少女。


 片やつり目で大きな聖書を手にしている少女はカノン。

 隣に並んでいるセレナよりも頭1つ高いが、彼女の1歳である。


 暗い夜の底。

 ふりしきる雨風が顔を叩きつける中、闇よりも深い海は荒れ狂い、王都の教会よりも遥かに高い波が岸辺を殴りつける。


 だが、それは海に潜む邪竜の鳴き声にかき消された。


「当たり前でしょ。私が状況を知っておかないと、セレナの力をちゃんと出せない。ちゃんと状況を押さえておくのは補佐官の仕事なんだから」

「……う、うん。そっか。ありがとね。カノンちゃん」


 一方でひどく怯えて小さく縮こまっているセレナは雨の中だというのに、何も手にしておらず……傍から見れば、いっそ不気味に見える。


 だが、絶壁の上には彼女たち以外の誰もいない。


「いつも通り教会権限で人払いは済んでる。気兼ねせず、さっさと終わらせてよね、セレナ」

「……う、うん。分かってるよ」


 セレナは海の中にいる巨大なを見た。

 

 頭だけで数百メートルは超すだろう。不気味な頭は人間の顔のようにも、おとぎ話にでてくる悪魔のようにも見える。そんな巨大な身体がぬっと海の底から現れて、こちらに迫ってきていた。


 体重はいかほどだろう。


 そんなこと分かるはずなど無いが、巨体が陸地に迫っているというだけで海の水は押しのけられて津波となって周囲に散っていく。その津波だって、2階建ての建物よりも高いのに……リヴァイアサンの巨体を見ていると、まるで幼子のようだ。


 絶望的なまでの巨体はあらゆる武器と魔法を弾き返し、どんな攻撃も通用しない。

 もはや、人類はリヴァイアサンに対して匙を投げたのだ。


「どうせ、アンタのことだから一撃なんでしょうけど……早くしないと津波がこの島を飲み込むわよ」

「うぅ……。戦いたくないのに……」

「言ってる場合? は『大神殿』を飲み込むつもりよ。そうなったら、この世界は終わり。そんなこと、セレナだって知ってるでしょ?」


 それを《厄災》と呼ぶ。

 神が世界を作り変える時にどうしても生まれる驚異的な生物のことだ。


 リヴァイアサンはその中でも特異的な怪物である。

 大きさは数百メートルから数千メートルにまで到達し、その巨体がわずかに動くだけで発生する大津波は沿岸部に壊滅的な被害をもたらす。


 そして何よりも、リヴァイアサンが存在することで最も大事な輸送手段である海路が完全に封鎖されるのだ。


「既に名のある冒険者や魔術師が挑んで、返り討ちにあってる。だからが必要なのよ」


 当然、討伐作戦は何度も計画された。

 リヴァイアサンが海の中に生まれたその瞬間から。


 高名な魔術師、力のある冒険者、そして国の精鋭を集めた騎士団。

 それらがリヴァイアサンの討伐に向けて投入され、ついぞ戻ってくることは無かった。


「わ、分かってるよぅ……。そんなこと……」


 セレナはそう呟くと、手を広げた。


「うん。分かってる。だから、私たちはここに来たんだから……」


 彼女は神官である。

 神に仕え、神に従い、神の補佐をする。


 神官の仕事として、人々に馴染み深いのは15歳で受ける“適職の儀”だろう。

 神官が神の力をもって、人々に最も向いている職種ジョブを言い渡す儀式だ。


 人々は自分の最も向いている仕事を知り、才覚を伸ばす。


「アレを倒せば、数万人って人を助けることができる。守ることができるのよ」

「……う、うん。そうだね」


 あるいは、神官は人々の癒し手と呼ぶべきだろうか。

 彼女たちは人々の怪我や傷を癒やし、病を治癒する。


 神官とは医療の担い手でもあり――15歳のセレナはそう思っていたからこそ、神官を目指したのだ。


「本当は……戦いたく、無いんだけどなぁ……」


 だからこそ、荒事あらごとからは遠く離れ……魔物が現れたときには冒険者や騎士、魔術師たちがその対応に当たると――


「【聖典サーラ太陽神の極槍ソルニア・イプシム・ハスタ】」


 セレナの詠唱によって、出現したのは真っ白に煌めく黄金の槍。

 それは槍に触れた雨を蒸発させると水蒸気をあげて、星の灯り1つない暗闇のそこで世界を照らす道標。


 セレナはその両目でまっすぐリヴァイアサンを射抜くと、詠唱。


「飛んで」


 その瞬間、槍は一筋の光になった。

 セレナの手元を離れた槍は、その直線状にあったリヴァイアサンの頭を貫いて蒸発。一瞬にして気化した海の邪竜の頭部は、その体積を数万倍へと膨張させて……爆発。


 世界の敵をたった一撃で絶命せしめると、その瞬間に生まれた衝撃波が海面を駆け抜ける迫りくる光景を見て、カノンは続けた。


「【聖典サーラ豊穣神の壁ケレニア・マルス】」


 刹那、大地が盛り上がると壁となって2人の身体を守る。

 衝撃波が破壊的なまでに吹き抜けるが、壁はどんとそこにそびえ立ってびくともしない。


 わずかに遅れて、


 セレナの放った【太陽神の極槍】が、リヴァイアサンの呼び出した曇天を打ち払ったのだ。


 そんな光景を見ながら、カノンは深くため息をついた。


「ほら、やる気になれば早いんだから」

「そ、カノンちゃん。厳しいよ」

「先輩のケツ叩かないと、仕事しないでしょ」

「お、女の子がそんなこと言ったら駄目だよ」


 すっかり晴れきった夜の元、彼女たちはそんなことを言いながら後ろを振り返ること無く島の中心部に向かって踵を返した。


 リヴァイアサンの身体は蒸発していく。消え去っていく。

 頭部を失い、形を保てずに崩壊しているのだ。


 それを成し遂げたのは神の槍。その使い手たちである。


「しっかし、相変わらず一撃とはねぇ」

「……私の一撃で死ななかった厄災はいないよ」

「だとしたら、もっと早くに撃てばいいのに」

「それは……。うん。そうだけど……」


 セレナは先ほどまでの雨の中で濡れてしまった服を絞りながら答えた。


「でも、外しちゃったりとか……。ミスしたら、大変なことになるから……」

「よく言うわ。今まで一度も外したこと無いくせに」

「……そ、そんなこと。うん。外したことは、確かに無いけど」


 神官は知恵を授け、人を導き、世界を良くする賢者たちである。

 揉め事のような争いごとを好まず、対話と叡智でもって人に語りかける賢者である。


 世間では、


 だが、違う。

 彼女たちは執行人なのだ。


 神によって生み出された世界の敵である《厄災》。

 それが人の子の領域を離れた時、武術でも、魔術でもない神秘を持って厄災を打ち払う神々の尖兵なのだ。


 しかし、セレナはそんなことなど知らなかった。

 街にいる神官はみんな優しくて、尊敬できる人たちだった。

 自分も彼らのように人の怪我を癒せる人になりたかった。


「これで《厄災》討伐が好きじゃないなんて信じられないわね」

「だ、だって一撃で倒せれば……すぐに、戦いが終わるから」


 神官が、本当は厄災と戦っていることなんて知らなかった。


「戦いが早く終わったら、色んな人を治せる……でしょ?」

「だからって普通、一撃で終わらせようとしないでしょ……」


 人を癒やすのは好きだった。

 でも、討伐は好きじゃなかった。


 


 そうすれば嫌いな仕事は短く、好きな仕事を長く出来るから。


「ううん、頑張れば誰でもできる……よ」

「出来るわけ無いでしょ。相変わらず、最強神官様は言うことが違うわねぇ。私もそんな才能が欲しかったわ」

「才能、じゃないよ。頑張っただけ。だから、いつも不安」

「嫌味?」


 セレナはぶんぶんとその首を激しく振ることで、強く否定。


「帰ったら報告書書かないとね。あれ時間かかるから嫌いなのに」

「カノンちゃん。サボるから、見張る」

「勘弁してよ、セレナ……」


 だが、原則として1つ。


 ――その存在が世界にバレてはいけない。


「帰投したらマーク堂に寄りましょ。《討伐》の良いところは帰りに買い食いが許されることよねー。いつもは教会の不味いご飯しか食べれないし」

「ちゃ、ちゃんと栄養バランスが計算されたご飯だよ。味は……。うん。確かに美味しくないけど……」

「あ、そうだ。セレナ。帰ったらマーク堂のスイーツを奢ってよ!」

「な、なんで私が……! カノンちゃんが自分で買えば良い」

「だって今日、私の誕生日だもん」

「……む。それなら、しょうがない。買ってあげる」


 かくて彼女たちは隠れて世界を救う英雄なのである。

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