16-16【ガルガンチュワ】
トライデントを片手に翳した俺は洞窟内を真っ直ぐに泳いで進んで行った。背後からはノーチラス号のライドが煌々と照らしている。そんな俺の周りを小魚サイズの深海魚が泳いで過ぎて行く。
「カーブだな」
俺の眼前に直角に近い曲がり角が見えてきた。洞窟の幅もだいぶ狭くなっている。これでは確かにノーチラス号では曲がれないな。
「あれ………」
俺は声を溢してから気が付いた。
水中なのに声が出てるぞ?
いや、これは声なのか?
いやいや、これは声だよな?
原理は分からないが声に似たような響きが鼓膜まで届いていた。まあ、いいか~。細かいことを考えていても仕方ない。とにかく先に進んでクラーケンの住み処を拝見しようではないか。
そう考えた俺はひたすらに泳ぎ進んだ。
曲がり角、登り角、下り角、様々なラインを抜けて洞窟の奥に泳ぎ進んだ俺は、大きな広間に出た。
俺が持つトライデントの先に灯されたマジックトーチの明かりが広間をうっすらと照らし出す。否、光は隅々までは全然届いていないな。これでは明かりが小さすぎる。
洞窟の景色は薄暗い。空間は直径で50メートル以上はありそうだ。その奥に暗闇が漆黒のカーテンのように揺れていた。奥に何かが蠢いている。ヌルヌルとだ。
「あそこに、居るな……」
直感以上の気配を感じ取れた。漆黒のカーテンの向こうに巨大な気配がある。その気配から感じられる感情は、飢え、空腹、そして食欲だ。闇の奥に潜んでいる巨大な気配は飢えている。
そして、俺の匂いを海水の中から嗅ぎ付けたのか、ユルユルと動きだした。複数の足を蛇のように動かして穴蔵から広間に姿を引き摺り出してくる。
クラーケンだ。クラーケンが姿を現した。
「タコだな……」
そう、タコだ。タコだがデカイ。巨大だ。
クラーケンは全長10メートルはある巨体な塊を奇怪に蠢かしながら穴蔵から姿を晒す。ネモ船長は泳いでいる姿を30から40メートルはあるとか行ってたから、脚の長さは今見ている以上に伸びるのだろう。
『人の匂いがするぞ──』
しゃべった!?
いや、テレパシーか!?
とにかく、人語をしゃべりやがったぞ。
『ほほう、人間が我が巣に現れるとは愉快なり。さては財宝目当ての冒険者だな』
正解だ……。
これはヤバイぞ……。
こっちはクラーケンを馬鹿な動物程度の知能しか持ち合わせていない下等な生命体だと思っていたのに……。なのに人語を理解できるほどの知能を持ち合わせていやがる。これは厄介だ。そこに漬け込むつもりだったのに……。これは作戦変更だな。一旦退避して、作戦を立て直さなければ。
そう考えた俺が体を返した瞬間である。洞窟内の水流が激しく渦巻いた。
「うぬぬっ!!」
あまりの水の流れで身体の制御が利かない。俺はバランスを崩して流れに体を任せた。すると俺の頭上を大きな影が泳いで過ぎる。それはまるで巨大な黒幕が羽ばたきながら過ぎて行ったようだった。
気が付けば俺が入ってきた方角をクラーケンが大足を広げて塞いでいた。
「やば……」
まるでクモの巣が張られたような感じに十本の足を広げて俺の退路を塞いでいる。
あれ、タコって足が八本じゃあなかったっけ?
クラーケンってイカと同じで十本なのかよ。
クラーケンが貪欲に言った。
『人間を食べれるなんて、何十年ぶりだろうか。これはこれは楽しみだぞ』
「あちゃー……。完全に食う気満々じゃあねえか」
『やはり人間か。人語を聞くのすら久々だ』
「よう、タコ野郎。俺の名はソロ冒険者アスランだ。お前にはなんの恨みもつらみも無いが、財宝目当てに討伐させて貰うぞ!」
俺は言いながらトライデントの矛先をクラーケンに向けた。人語を語ろうが語るまいが、とにかくこいつは人食いだ。故に、人間に討伐されても文句は言え無いだろう。
『財宝か──。あれは私に取っては汚物同然だ。食した人間どもが所有していた残骸に等しい。欲しければ、いくらでもくれてやる。その代わり、貴様の生肉を食らわせてもらうぞ!』
「御託が多いタコ野郎だな。まあいいさ、いざ勝負だ!!」
俺は先手を取るために片手を翳した。魔法を唱える。
「ライトニングボルト!!」
俺の掌内から放電された稲妻が海水を伝わりクラーケンに直撃した。だが、同時に俺にも電撃が感電する。
「うががががっ!!!」
『あぎゃぎゃぎゃ!!』
やーべーー……。
電撃魔法は俺にまで感電しちゃうじゃんか……。でも、クラーケンにも効いてるみたいだな。
『ちょっと待て人間!!』
「なんだ?」
『海底で普通は電撃魔法とかは使わんだろ。電気が撃った本人にまで感電してるじゃんか!』
「す、すまんかった。俺ってば、海中で戦うの初めてだから、勝手が分からなくてさ~」
『本当に気を付けろよ、人間。じゃあ今度はこっちから攻撃を仕掛けるからな!』
言いながらクラーケンが足の一本を頭上まで振り上げた。
そして『チョップ!』っと叫びながら足を振り下ろしてくる。それはまるで巨大な鞭のようにしなっていた。否、鞭のような大木の丸太だ。その巨大な丸太鞭の先端が俺の頭部から力任せに打ち殴る。
俺はトライデントを横にして頭をガードしたが、それを無にするパワーで押し潰された。
「重いっ!!」
全身がタコの触手にめり込みながら地面に叩き付けられる。
「がはっ!!」
俺は背中から岩の床に叩き付けられた。凄いパワーと重量だ。サイクロプスのミケランジェロに蹴り飛ばされたりもしたが、その時の衝撃を凌駕していた。
背骨が軋み、内蔵が激しく揺れて、視界が歪んだ。息が詰まる。肺の中の水が逆流して、口の中から出て行った。たったの一撃で勝負が決まりそうなほどの強打だった。
「ぬぬぬぬ………」
全身が痛む。トライデントを盾にガードをしたのにこれだ。堪らないな。
「くそっ!!」
俺は体勢を翻し姿勢を正すとクラーケンを睨み付けた。すると羊のようなタコの眼光と目が合う。
『ほほう、凄いな人間。普通の人間ならば、今のチョップで全身の骨がバラバラになって絶命しているはずなのに』
「こっちとら並みの冒険者じゃあないもんでな!!」
『ならばっ!』
洞窟の出入り口から跳ねたクラーケンが足を広げて突っ込んで来た。振り回す十本脚が手裏剣のように回転して海底の水流を激しく揺らしていた。それだけで俺はバランスを崩す。そしてバランスを保てなく浮遊してしまう俺をタコの長い脚が横殴った。
『廻し蹴りだ!!』
「ぐはっ!!」
大回転フルスイングキックをまともに食らった俺が直球のように飛んで行った。そのまま真っ直ぐ飛んだ俺は、先程までクラーケンが潜んでいた岩場の窪みに頭から突っ込んでしまう。
「いててっ……」
再び俺は岩壁にぶつかって止まった。そのまま跳ね返るように、前へ倒れ込む。
「畜生……。パワーが違いすぎるぞ……」
パワー、サイズ、ウェイト、リーチ、スピード、全部が違いすぎる。あのクラーケンは完全にミケランジェロより強いぞ。
俺は床に付けていた顔を越して前を見た。這いつくばる俺の視界には、ゆっくりと地面を這って進んで来るクラーケンの姿が映った。
寝そべる俺の周りには財宝が散らばっている。金銀財宝、宝石に黄金、マジックアイテムだと思われる武具。それらが山ほど転がっていた。今までクラーケンに食われた冒険者が持っていた遺品だろう。これはクラーケンを倒せば全部俺の物になるはずの財宝だ。
だが、今は財宝よりも生き残ることが優先だ。勝利よりも生存だ。
俺は軋む全身の痛みを耐えながら身体を起こした。
頭がクラクラする。目眩が酷い。手足の関節が痛みから上手く動かない。呼吸も乱れて息苦しい。これではまともに戦えない。戦うどころか動けない。逃げすら打てない。
しかし、余裕の動きでクラーケンが近付いて来る。もう寸前まで迫っていた。
俺は身体を起こすと地面に正座をする。更に背筋を伸ばして姿勢を正した。そしてトライデントを横に置くと片手を前に出してクラーケンに向かって言った。
「ちょっと待たれよ!!」
『なんだ、人間?』
俺の目の前でクラーケンが動きを止める。待ってくれた。
「貴公がクラーケンなのは見て分かる!」
『んん、何が言いたい?』
「だが、人語を話せるとは知らなかった」
『驚いたとでも言いたいか?』
「正直なところ驚いた。だが、コミュニケーションが取れるほどの知能があるのならば、名前を訊いておきたい。俺は先程名乗ったから知っているだろ?」
クラーケンは長い足の一本をクネらせながら顎を撫でて考え込んだ。
乗ってくれるかな?
『なるほど、名を名乗るのはマナーか──』
もう少しだ……。もう少しゆっくりと悩んでくれ。そうすれば息が整う。受けたダメージが回復できる。最初は色々と度肝を抜かれて攻撃を不用意に食らったが、ダメージが回復して体勢が整えば、一からやり直せる。もうちょっとこちらの口車に乗っててくれ……。
『良かろう。ここはたまには人間のルールに合わせてやろうではないか。のう、アスラン』
「感謝──」
ちゃんと覚えてるじゃん、俺の名前を……。こいつ、マジで記憶力が高いんじゃあないか?
そして、クラーケンが律儀に名乗りだす。
『我が名は死海エリアの王。マリンキングであり捕食者の頂点に君臨する偉大なる軟体生物、その名をクラーケンのガルガンチュワなり!!』
よし、回復完了!!
息も整ったし全身の痛みも引いたぞ。
これで戦えるかな!!
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