第22話 深淵の王子様、映画館へ行く

 定期試験も終わると、夏休みに入った。

 すっかり梅雨も明け、うだるような暑さの夏がやってきた。

 気が付けば、蝉の声は当たり前のようにBGMになっている。

 休みに入れば、当然、友人たちと毎日会えなくなるが、その代わりにショッピングやカラオケの予定を立てている。

 壮馬とは毎日メールや電話をして、時々、図書館に出掛けたり、壮馬の部屋で借りてきたDVDを観たりと、一緒にいるのが当たり前になった。

 五月、壮馬が話しかけてきた頃のことを考えれば、隣にいて他愛もない会話を交わすようになったこと自体が信じられないくらいだ。しかもそれが、自分の運命の相手だと思っていた、あのソーマなのだから猶更。

 暑くて伸びてしまいそうになる気候でも、毎日が充実していて、鈴乃は日々幸せだと思いながら過ごしていた。



 そんな日々が続き、あっという間に八月も後半。

 夏休み最後の思い出に、二人は映画館を選んだ。

 桜町駅の改札付近で待ち合わせ、二人は映画館の入るショッピングモールへと急ぐ。

 まだ朝の七時半なので、駅も駅前広場にも人はまばらだ。

 気温もまだ上がり切っておらず、時より吹く風もわずかにひんやりとしている。


「この時間で良かったね」


 横断歩道の信号が変わるのを待っていると、壮馬が鈴乃の手を取った。

 そして、鈴乃の指と指の間に自分の指を入れて、いつもと違う繋ぎ方をするので、鈴乃はびっくりして壮馬を見る。


「これでも良い?」


 壮馬が優しげな瞳で問うので、鈴乃は頷くしかない。

 少女漫画で見たことがある、俗にいうと呼ばれる繋ぎ方だ。

 いつもより密着しているような気がして、何だか落ち着かないが、同時にふわふわした気持にもなる。

 信号が青になり、壮馬に手を引かれ、映画館を目指す。

 周りを見ると、小走りでショッピングモールを目指す人たちがおり、おそらく目的は同じだろうと思われた。この時間では、まだお店は開店していないので、買い物客ということはない。

 ショッピングモールの自動ドアを通り、まだ開店前で網の掛かった専門店通路手前のエレベーターに乗り込む。先に乗った女性二人組が既に映画館のある五階のボタンを押していた。

 映画館前に着くと、既にポップコーンとキャラメルの甘い香りが漂っており、十数人がチケット売り場に並んでいる。その最後尾に並び、チケットカウンターの頭上にあるモニターに表示された上映スケジュールとその混雑状況を確認する。


「あれだよね? あの8時15分の回の……」


 鈴乃たち目当ての映画は、『新訳 眠り姫』という海外の映画で、グリム童話を現代風にアレンジしたミュージカル映画だった。鈴乃が観たかった映画に、壮馬が付き合ったかたちだ。

 二人は希望通り、劇場中央の席のチケットを手に入れた。

 開場時間までもう時間がないので、急いで飲み物だけを購入して、スクリーンに急ぐ。

 壮馬が両手に飲み物を持っていてくれているので、鈴乃がチケットと座席番号を見比べ

て、指定の席まで誘導する。

 二人が腰を下ろし、座席備え付けのホルダーに飲み物を置くと、映画が始まるブザーが鳴った。そして次第に照明が暗くなる。

 鈴乃が普段慣れ親しんでいない字幕映画だったので、最初は台詞を追うのに戸惑うこともあったが、そのうち気にならなくなった。

 さすが新訳。CMで観て知ってはいたが、ヒロインである眠り姫はアメリカのハイスクールに通う女の子。王子様役も、彼女の幼馴染のバスケ少年である。

 途中、ヒロインとバスケ少年が二人でお互いの気持ちを歌うところで、壮馬の左手が鈴乃の膝の上にある右手にそっと触れ、包み込んだ。さっと壮馬を見ると、彼は微笑んでいる。

結局そのまま映画のエンドロールが終わるまで、壮馬の手は鈴乃の手を握っていた。

 壮馬が右手側にいたので、飲み物を左手で取らなくてはならず、少し難儀した。

 最初こそ薄暗い映画館で、手を握られてどぎまぎしたが、終わる頃には全然気にならなくなっている自分がおかしくなった。

 映画館から出ると、ショッピングモールに入るすべての店は既に開店しており、買い物客の姿も見られるようになっていた。開店時とはがらりと様変わりした空気に、何だか異次元世界に足を踏み入れたような感覚に襲われる。


「お昼まではまだ時間があるし、少しお店まわろうか。どこか見たいところはある?」


 鈴乃は「雑貨屋さんと駄菓子屋さん」と言って、二人はエスカレーターを降り、お店まわる。お目当ての店を巡ったあとは、通路沿いに展示されたちゃぶ台やラグなどを見て、こういうものが部屋にあったら素敵などと話しながら、ぶらぶらとお昼までの時間を潰した。

 お昼時になると、飲食店はどこも混んでしまう。

 そう考えた二人は、十一時には一階のフードコートに下り、パン屋でそれぞれ食べたいパンと飲み物を購入し、近くの丸テーブルに座った。

 だが、壮馬が座ったそばから立ち上がり、


「ごめん、さっき見たものでどうしても欲しいものがあって。行って来ても良い? 先に食べてて」


 鈴乃の反応も見ずに、パンとペットボトルだけをテーブルに残し、壮馬はさっと行ってしまった。鈴乃は小さくなる壮馬の背中と、自分が手に持つクロワッサンを交互に見て、しばし逡巡したあと、壮馬を待つことに決めてパンをテーブルに置いた。


(そんなに気に入ったものがあったんだ……私がいると買いにくいものだったのかな? 洋服とか)


 そんなことを考えながら、鞄に入っていた読みかけの少女小説を取り出し、栞の挟んでいる個所を開く。

 栞は、壮馬にもらったあのトウカエデの葉のものだ。

 いつもなら絶対外には持ち出さないのだが、今朝急いで読みかけの本を持ってきたものだから、栞を交換してくるのを忘れていた。

 壮馬との再会を手助けしてくれたトウカエデの葉っぱ。

 鈴乃にとっては宝物だ。

 壮馬が最初に鈴乃にくれた、大切な贈り物。

 鈴乃は栞を丁寧に表紙と一ページ目の間に挟み込み、続きを読み始めた。

 十分も待たずに、壮馬が戻って来た。手には茶色の紙袋を下げている。


「お待たせ。あれ、先に食べてなかったの?」

「一人で食べるのは寂しいから」

「ごめんね」


 壮馬は鈴乃の向かいの席に腰を下ろす。

 そして、彼女の手の中にある本が気になったようで、「その本は?」と聞いてくる。

 最初に貸し借りして以来、壮馬は鈴乃が愛読する少女小説が思いのほか気に入ったらしく、熱心な読者になっているのだ。

 鈴乃が本を差し出すと、壮馬は受け取って、ブックカバーを外し、裏表紙に書かれたあらすじを読む。そのとき、栞の存在に気が付き、顔を上げた。


「これ」


 鈴乃は照れたように笑って、頷いた。


「大切なものだから、いつもなら絶対外に持って来ないんだけど、今日は間違えて持ってきちゃったの。傷つけないようにしないと」


 壮馬は嬉しそうに微笑んだ。

 そのとき、唐突に鈴乃は立ち上がった。


「ごめん、お手洗い行って来るね。先に食べていて」


 お昼時に席を離れたらすぐに場所が取られてしまうので、鈴乃はトイレを我慢していたのだ。

 壮馬が戻って来たので、やっと席を離れることができる。

 そう口にした後で、壮馬と同じことを言ってしまったとおかしくなりながら、急いでトイレに向かう。

 壮馬は鈴乃を待つ間、渡されていた小説を読んでいたが、戻ってくる彼女の姿を見つけると、さっと本をテーブルの脇に置いた。

 そして、ようやく二人が揃ったのでやっと食事を開始することができた。

 食事を終え、鈴乃がトレーを片付けに行っている間に、壮馬は鈴乃の本を自分の紙袋に入れた。その拍子に、ひらりと何かがテーブルの下に滑り込む。

 しかし、壮馬は全くそのことに気が付かなかった。

 視線を鈴乃から離さないまま、彼は急いで立ち上がり、残された彼女の荷物を持って、後片付けに席を立った彼女を追いかける。


「あ……神谷……壮馬……?」


 壮馬が立ち去ったテーブルに、一人の少女がロコモコ丼を乗せたトレーを置いた。

 少女は壮馬の後ろ姿を目で追っていたが、見えなくなると椅子に座る。

 ふと足元を見ると、何かが落ちている。


「?」


 拾い上げると、赤と黄色の混じった枯葉をラミネートしたものだった。


「なにこれ、栞?」


 少女のところに友人が同じくロコモコ丼を乗せたトレーを持ってやってきた。


「席あってよかったね。何それ? 葉っぱ?」


友人が少女のもつトウカエデの栞を見て、小首をかしげる。


「落ちてた。でも、持ち主、知ってる奴かも」


 少女は壮馬が消えた方向にまた目をやって、口元に笑みを浮かべた。


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