第18話 深淵の王子様、抱擁する

 壮馬の気持ちを受け止めて、鈴乃は深く息を吸った。

 今度は自分が話す番だと、隣の壮馬の方に体を向ける。

 壮馬もそれに気が付き、どこか虚ろな表情で鈴乃に向き合おうとしたが、体からすっかり力が抜けてしまったようで、先程までそうしていたように背凭れに体を預けて、半ば眠るように目を瞑った。


「ソーマ……あのね、私……あなたほど、うまく話せるかわからないけど、私の気持ちも聞いてほしい」


 壮馬は軽く目を開け、首だけ動かし、鈴乃を見た。


「ごめん、酷く疲れてしまって。でも、ちゃんと聞いてるよ。話してくれる?」


 そう答える彼の声は、掠れていて、先程まで鈴乃に自分の思いを吐露した時のような勢いは感じられなかった。余程、胸の内を言葉にするのが負担だったのだろう。

 公園の前を、スーツ姿の男性の自転車がゆっくり走っていって、近くの屋根付き駐輪場で止まった。団地の住人のようだ。男性がぎちぎちに並ぶ自転車の間に何とか自分のものを停め、足早に団地の階段に吸い込まれるのを見届けてから、鈴乃は頷いて、口を開いた。

 辺りはすっかり夜の空気を纏い、頭上の電灯がぼうっとふたりの姿を浮き上がらせている。


「私も、私もずっと、ソーマに会いたかったんだよ。あの日は、私にとってずっと特別で、ソーマはとても大切な人で、私は勝手に、ソーマをなんだと思ってたの。恥ずかしい奴だと思われそうだけど。ソーマがくれた葉っぱ、私にとっては宝物で、ソーマに繋がる唯一のもので。あの公園も特別な場所。……ソーマも公園に行ってたんだね。私もなの。私も何度もあそこへ行って、もらったトウカエデの葉っぱを持ちながら、ベンチで待ってたんだよ。でも、一年は三六五日あるわけだし、一日だって二四時間だもんね。会うほうが難しかったんだよね」


 鈴乃はふう吐息を吐いて、頭上に広がる夜空を見上げた。


「私、ソーマが男の子だってわかってたよ。はじめは、どっちだろうって思ったけど、男の子だってわかって遊んでたよ。それなのに、私はクラスで一緒でも気づかなかったんだよね……何となく、ソーマが苗字なのかと思っていたからかも。それとも、鈍いのかなぁ。忘れてわけじゃない。今でも探してるつもりだったけど、どこかで諦めかけてたのかな……会えるわけないって……だから、嬉しい。もっとたくさん嬉しいって気持ち、伝えたいんだけど。伝えきれる気がしない」


 鈴乃は壮馬を見た。壮馬と目が合う。壮馬はいつのまにか、鈴乃の方に体を向けている。彼女を見つめるその瞳が、わずかに揺らぐ。


「……ソーマは私を必要だと言ったよね? その言葉の意味を、もしかして私は勘違いして受け取っているのかもしれないけど……そう想ってくれているのが嬉しい。私にとっても、ソーマは大切で、必要な……」


 その刹那、壮馬の腕が鈴乃の体を引き寄せて、鈴乃はそれ以上話すことができなくなった。

 見た目と反して、逞しい両腕が鈴乃の頭と背中に回り、鈴乃は彼の胸に押し付けられる。

 突然のことに、どうしたらよいのかわからず、反射的に体を離そうとするが、壮馬はそれを許さず、抱き寄せる力がさらに増す。鈴乃の鼓動が最高潮に速くなる。体中が熱くなり、壮馬にも鼓動が聞こえてしまうのではないかと思うと、彼の体が自分に密着していることを強く意識してしまい、思わず目を瞑った。

どれくらいそうしていただろう。きっとほんのわずかな時間だったのだろうが、鈴乃には酷く長く感じられた。

ふいに壮馬が、鈴乃の包み込むように優しく両肩を掴み、ゆっくりと自分から引き離した。


「ごめん……」


 そう呟く壮馬の顔は真っ赤で、鈴乃を直視できないのか、鈴乃の肩越しに公園のブランコ辺りに目を彷徨わせている。


「こんなことするつもりは……なかったんだけど」


 火照った体に、風が当たって、少しだけ冷静になる。

 鈴乃はどこか子供みたいな表情を浮かべる壮馬の顔をしげしげと眺めた。

 壮馬はぱっと鈴乃の肩から手を離し、おもむろに立ち上がった。

 鈴乃には背中を向けている。


 「今日はもう遅いね、帰ろうか」


 どうにか平静を装おうとしているが、いつもの彼らしい余裕を感じられない。

 鈴乃は壮馬の背中を見て、自分だってどんな顔をしていれば良いのかわからないはずなのに、彼を少しからかいたいような衝動に駆られた。

 足の横に下ろされた彼の左手に、そっと右手を伸ばし、ぎゅっと掴む。

 壮馬は見るからに動揺した。

 いつもは自分から勝手に手を繋いできて、何てことのないような顔をしていたのに。


「帰ろう」


 鈴乃はその手を握ったまま立ち上がり、彼の隣に並ぶ。

 見上げると、壮馬は鈴乃の視線を感じ、反対方向に視線を泳がせる。

 今までの余裕はどこへ行ってしまったのか。


(でも、この方が、昔のソーマみたいかも)

(あのときも、私から手を繋いだんだよね)


 きっと、明日にはまたいつもの彼に戻ってしまうだろう。

 だから、今だけは、この動揺して、子供みたいに恥ずかしがる彼を見ていたいと、鈴乃は思った。

 二人は手を繋いで夜道を歩いていく。

 夜空には、月が顔を出し、二人の行く手を優しく照らしてくれていた。


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