第4話 深淵の王子様、茶会に招かれる

 壮馬が入部届を出した翌日。

 一時間目の授業が終わってすぐ、鈴乃のいるA組に友人である彩香がやってきた。教室に入るのは気が引けるのか、教室後方のドアから鈴乃を呼ぶ。親切にもドア近くの生徒が伝言ゲームをするかの如く、鈴乃に彩香の来訪を告げる。鈴乃は急いでドアまで移動し、友人を迎えた。彩香は長い足を持て余すかのように交差させて、


「今日、部活行く?」


 と問うてきた。


「ううん、今日は帰ろうかなと思ってた」


 文芸部には決まった活動日がない。部誌を発行する前は招集がかかることになっているのだが、昴からの連絡はまだないので、今はその時ではないらしい。それでも、過去の部誌に目を通すために鈴乃は部室に通っていた。かつて確実に文芸部に在籍し、物語を紡いだ人たち。彼らの名前も顔もわからないけれど、その残された物語を読むと、何だかふわふわと別の世界に入り込んだような気がして、楽しかった。古代遺跡や失われた文明に想いを馳せるのと似ている。その感覚がたまらなく好きで、鈴乃は足しげく通っているのだった。


「紅茶飲みに来ない? 今日、先輩たち買い出しでいなくてさ。私ともう一人の一年の子しかいないんだ。安奈も誘った」


 彩香は紅茶部に所属している。週三度ほど、家庭科室で紅茶とお茶菓子をいただく、優雅な部活らしい。話でしか聞いていないので、一度覘いて見たいと思っていたのだ。


「行く!」

「じゃあ、放課後、家庭科室に来て。またあとで」


 彩香はそれだけ言い置くと、次の授業を気にしてか、急いで自分の教室に戻って行った。


(学校で優雅なティータイムなんてわくわくしちゃうなあ)


 鈴乃の頭の中には、中庭でお茶を楽しむ着飾ったご令嬢たちの姿が浮かんでいた。

 彼女が好んで読んでいる少女小説の世界で催されるお茶会ティーパーティのありふれた風景である。

 放課後になると、鈴乃は鞄を持って急いで教室を出た。椅子から立ち上がり、声を掛けようとした壮馬の存在には全く気付かずに。



 鈴乃が家庭科室に着くと、既にメンバーは揃っていた。


「お邪魔します」


 既に茶器を用意した机の前に立つ彩香がおいでおいでと手招きしたので、軽く頷いてからそちらに向かう。彩香は、隣に立つ前髪を左右に分けておでこを出した、耳の下で二つ結びしている少女を両手で示して、


「こちら、一年B組、西村唯にしむらゆいさんです」


 と紹介してくれた。西村唯はぺこりと頭を下げ、きらきらさせた目を鈴乃に向けている。その何かしらの期待が込められた視線に鈴乃は少々たじろいだ。


「あ、あの、私は、神崎鈴乃と言います。 よろしくお願いします!」


 あまりに畏まった挨拶に、彩香が呆れながらも笑っている。


「知ってます!」


 ものすごい勢いで唯が机越しに上半身を乗り出してきた。


「あの神崎さんですよね!」

「……、とは一体?」


 唯の勢いに気圧され、二、三歩後ずさりしたあと、鈴乃は小さな声で問う。

 でも、熱い視線を送って来る唯には、鈴乃の声は届いていないようで、返事がない。

 そこに助け舟を出したのは、もうちゃっかり座り込んで、用意された焼き菓子を次から次へと摘まんでいる安奈だった。


「ゆいちゃんって、《深淵の王子様》と同じ竹下たけした中学なんだって。すずちゃんは、その竹中たけちゅうの人たちにとってはかなり有名人らしいよ~。もぐもぐ。あやちゃん、紅茶まだ」


 クッキーを頬張りながら、彩香にずうずうしくも紅茶を催促している。


「今、蒸らし中なので、しばしお待ちを。すずもそこに座りな」


 彩香に促され、手近な椅子に腰を下ろし、鞄を足元に置いた。

 目の前には、いかにも興味津々! といった面持ちの唯が座っている。鈴乃は何だかい居心地が悪く、小さくなって、俯きがちに膝の上に両手を重ねた。


「せっかくだから、いろいろ聞いたら? 《深淵の王子様》について。そもそも何で《深淵》なんて名前がついてるのかとか、どんな性格かとか」


 彩香がポットから白いティーカップに紅茶を注ぎながら言う。


「それ、私も知りたーい! ゆいちゃん、教えてー」


 安奈が唯の方に体を乗り出した。でも抜け目ない彼女は、ココアクッキーをさっと取るのも忘れない。もぐもぐお菓子を口に運ぶ姿は、さながらリスのようだ。話を振られた唯は、少し戸惑いつつも、こほんと咳払いして、彩香が用意した紅茶をすすった。一気に顔が緩む。


「あやかちゃん、ありがとう! やっぱり、この桃フレーバー好き! いつ嗅いでも良い香り! ……ああ、いけない。神谷くんのことだよね。私も同じクラスだった中学二、三年の時しか知らないんだけど、それで良ければ」


 唯はまた紅茶を一口。


「神谷くんって、いつも席に座って、ひとりで本を読んでたんだよね。友達もいなくて。顔が良かったから、声を掛ける女の子もいたんだけど、絶対顔上げないの。無理に本を取り上げようものなら、睨みつけるし。本当、あの時はひやひやしたよ。恥ずかしながら、私も気になっていた時期があったんだけど、さすがに怖くて近づけもしなかった。いつも無表情で、笑ったところも見たことなくて。……でも、神崎さんに笑いかけるんだよね? それを聞いたとき、すごく驚いたの。笑う顔すら想像できなかったから」


 唯はそう言い終えると、鈴乃を見た。


「だから、神谷くんを笑わせた女の子がどんな子か気になってたの」


 鈴乃は期待の眼差しを向けられ、居た堪れない気持ちになった。自分は全く大した人間ではないのに、壮馬を笑わせたというその一点に置いて、重要人物のような扱いになっている。しかも、自分の善行の結果などではなく、彼は自らの意志で笑みを浮かべているのだから、尚のこと納得がいかない。


「私も今日はじめて廊下で擦れ違ったんだけど、髪の毛がもっさーとしてて、あか抜けた印象はなかったなぁ、よく見なかったけど。本当に顔良いの?」


 彩香が湯気の立つティーカップを片手に、唯と鈴乃を交互に見た。


「確かに最近はずっとぼさぼさみたいだね。でもそのうち切ってくると思うな! 中学の時も、鳥の巣みたいって時と、ベリーショートみたいな時があって。単純に、美容院に行くタイミングが人より遅いのかなと思ってた。短くなると、かなり印象変わるんだよね‼ 彩香ちゃんもその姿を見たら、というのは納得すると思う!」


 唯が興奮気味に捲し立てるので、彩香は若干呆れ顔で、


「ふむふむ、まあ、王子に関して、髪を切ってくればわかる、と」


 いかにも興味なさそうに相槌を打つ。その彩香の言葉を継いで、


「じゃあ、《深淵》は?」


 今度は安奈が身を乗り出した。彼女の前にあった焼き菓子はもう半分以上消え去っている。それを見て、鈴乃は慌てて近くの皿からクッキーを一枚、二枚取った。このままでは一枚も口にすることなく、茶会がお開きになってしまう。

 彩香、安奈、鈴乃はかれこれ数年来の付き合いだ。彩香は小学校、安奈は中学校からの友人で、甘い物をほとんど口にしない彩香と反対に、目の前に出されただけ食べてしまうのが安奈である。話し込んでいるうちに、皿に何も残っていなかったことなど、日常茶飯事であった。それを指摘すると、決まって安奈はごめーんと悪びれることなく、舌を出す。大食いの割には、細身なのが不思議なところ。


「それはね、神谷くんが深淵ってつく題名の本を読んでいて、その時にそれをたまたま見た女の子が辞書で調べて、勝手に《深淵の王子様》って呼びはじめたんだって。直接本人を呼んだ人はいないと思うけど……まさかこのあだ名が、高校まで続くとは思ってもなかった」


「へえ、じゃあ、そんなに深い意味なさそうだね」


 彩香はますます興味を失ったようだった。彩香がまた紅茶を入れ直すというので、唯と安奈は話をやめ、茶葉を楽しげに選び始めた。でも、鈴乃は気乗りせず、茶葉選びは二人に任せ、唯が教えてくれた中学時代の壮馬のことを考えていた。

 ひとりぼっちで孤立していた壮馬。いつも読書ばかりしていた男の子。話しかけてくるのも、自分の顔で近寄ってきた女の子ばかり。

 今の壮馬を思い浮かべる。机で一人本を読んでいるのは変わらない。他の誰かと談笑しているのも見たことがない。ただ——笑顔が浮かぶ。中学時代、表情を動かさなかった少年が、今笑っている。ぎこちなさのない、自然な笑顔で。

 その時、ドアをノックする音がして、鈴乃の意識が一気に現実の家庭科室に戻った。


「誰だろ?」


 彩香が首を傾けながらドアを開けに行こうとしたが、その前にガラリと開いた。

 そこに立っていたのは、神谷壮馬その人だった。


「突然すみません、神崎さんに用があったもので」


 彩香以外の三人は一斉に立ち上がった。壮馬は鈴乃を見つけると、嬉しそうに手を上げる。その壮馬の様子を見て、唯の顔はみるみるうちに赤くなり、両手で口を覆った。


「ごめん、お茶会中だった?」


 鈴乃が何も言わないので、壮馬は鈴乃を手招きした。鈴乃は安奈に背中を押され、気乗りしない足を無理矢理動かした。


(もう! タイミングが悪すぎるよ、神谷くんっ!)


「ごめんね、部活のこと聞きたくて。今日は活動しないってことで良いのかな?」


 どこか申し訳なさそうに頭を掻く壮馬を見て、鈴乃ははっとする。


「あ! 私、何の説明もしてなかったよね⁉ ごめんっ! 文芸部って、基本的には活動なくて。いろいろ詳しく話さないといけなかったんだ、ごめん」


 慌てた鈴乃はさっと頭を下げる。

 壮馬との入部届のあれこれで、すっかり当たり前のことを忘れていた。

 部員が新入部員に説明するのは極当然義務である。どうあっても、それをうっかり失念していた鈴乃に非があった。それに、とりわけ文芸部のような特殊な活動形態の場合には言わずもがなである。


「いや、僕も聞かなかったから。ごめんね、なんだか、ごめん」


 謝罪の言葉ばかり行きかう二人の会話に、突然安奈が飛び込んできた。しかも、文字通り体ごとである。

 安奈は壮馬と鈴乃の間に割り込み、グイっと顎を持ち上げた格好で壮馬を見上げた。突然のことに壮馬は、目を見張って絶句する。


「神谷くん、だよね。よかったら、紅茶飲んでいかない? まだお菓子もあるし。ここで、すずちゃんからいろいろ聞けばよいし。ねえ、あやちゃん、ゆいちゃん良いよね?」


 安奈は紅茶部員に許可を取ろうと、壮馬と鈴乃の間からひょっこり顔を出した。

「OK」と彩香が両腕で丸を作り、唯もものすごい勢いで首を縦に振っている。

鈴乃は眉をわずかに寄せ、ため息をついた。


「あ、いや、僕は遠慮させてもらうよ」

「いいから、いいから!」

「いや、本当に、僕は……」


 壮馬の断りの文句を無視して、安奈は彼の腕を強引に引っ張り、ぐいぐい家庭科室に引き込んでしまう。

 ささやかな抵抗も虚しく、壮馬は女子だらけのお茶会に無理矢理招かれてしまった。





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