第3話 深淵の王子様、入部届を出す

 四階北側の突き当りに鈴乃の部室はあった。

 部室といっても、生徒会室の一部を恵んでもらった、非常に些細なものだ。窓側の隅っこで、生徒会室全体の四分の一という極ささやかなスペースである。普段活動することが少ないため、実際はただの物置と化しており、そんなに狭かろうとさしあたり問題はない。

 鈴乃はおずおずと生徒会室のドアをガラガラと横に開けた。


「失礼します」


 生徒会室には、普段かなりの確率で遭遇する女生徒会長も、その恋人の副会長もいない。部活に行っているようだ。生徒会室を見回すと、窓際で椅子に座り、静かに読書に勤しんでいた青年が顔を上げた。


「あ、神崎さん。こんにちは」


 青年は、ずれた丸眼鏡を人差し指で直し、本をぱたんと閉じた。


「こんにちは。三上部長、あの入部届、何枚かお持ちでしたよね」


 丸眼鏡の青年、三上昴みかみすばるは、鈴乃の所属する文芸部の部長で、現在三年生だ。最上級生とは思えぬ童顔で、身長も一六〇センチを少し超えた程度。一見すると、中学生だ。どこか子犬みたいで可愛らしく、性格も非常に温厚。彼の着る黒い学らんは、まだまだ成長を許容できるようだが、卒業までに身長は伸びるだろうか。


「持ってるよ。え? 必要? 誰か入部希望者が?」


 昴は嬉しそうに、自分の鞄をがさごそと探って、透明なファイルからA5サイズの藁半紙に印刷された入部届を鈴乃に渡した。


「嬉しいなあ! これで三人か!」


 鈴乃の所属する文芸部は、三年生の昴と、一年生の鈴乃しかいない、たった二人の細々と活動する日陰の存在だった。日々の活動は特になく、年に二回ほど部誌を発行するだけというお気軽な部活なので、兼部はもちろん可能どころか、むしろ推奨しているのだが、文芸に興味を示してくれる生徒が皆無だったのだ。


「その子は、神崎さんの友達ってことだよね⁉ 何のジャンルなんだろう⁉ SFかな⁉ ファンタジーかな⁉ 純文学とか⁉」


 目をらんらんと輝かせて、一人妄想を膨らませている昴に、鈴乃は苦笑した。


「見当もつかないんですよね。そもそも何か書くのかなあ……」


 鈴乃は、壮馬の姿を思い浮かべる。読書は好きらしく、鈴乃が登校して教室に入ると、いつも何かしらの本を読んでいる。詳しく表紙を見たわけではないので、どういった本を読んでいるのかすらわからないが。


「詩や短歌という可能性も!」


 鈴乃の声が聞こえていないのか、昴の妄想は続いている。用事はこれだけだったので、抑えた声でお礼を言って、ひっそりと生徒会室を後にした。教室に置いたままの鞄を取りに、未記入の入部届をひらひらさせながら、早歩きで教室へと向かう。

 遠目から見て、教室には電気がついていなかったので、誰もいないと思い込んで教室に入ると、そこには、机に腰掛けながら片手で本を読む、壮馬の姿があった。心臓が跳ねる。壮馬は、鈴乃の存在に気が付くと、さっと顔を上げ、彼女の手に摘ままれた小さな藁半紙を見つめた。


「もらってきてくれたんだね、ありがとう」


 壮馬は読みかけの本をそっと閉じて机に置き、つかつかと鈴乃に歩み寄ってきて、目の前で止まった。鈴乃は壮馬を見上げるかたちになる。前髪の間からちらっと覗く瞳が、温かな色を湛えていた。


「もらえる? すぐ書いて、先生に出してくる」


 鈴乃は言葉に詰まって、持っていた入部届を差し出した。壮馬はその紙を優しく受け取って、机に戻ると、筆箱からシャーペンを取り出して、細い親指でカチカチと芯を出し、姿勢良く、丁寧に文字を書き込んでいる。その流れるような所作が美しく、つい見とれてしまう。壮馬は書き終えると立ち上がり、まだドアの前で立ち尽くしている鈴乃の横を通り過ぎようとして、ふいに足を止めた。


「ありがとう。……これで少しは君に近づけるかな?」


 そう言いながら、壮馬は空いた方の手を鈴乃の頭にそっと乗せた。鈴乃が硬直していると、ふっと笑って、そのまま行ってしまった。鈴乃はへなへなとドアに寄りかかった。

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