第10話 屋上

 隣の席の小鳥遊さんと僕はどうやら運命の赤い糸で結ばれているらしい。

 らしい、といまだに断言できずにいるのは、確証がないからだ。


 僕は昔から、運命の赤い糸と呼ばれるものが見える体質にある。

 だが、自分のものが見えるようになったのは初めてだった。

 だからこそ、これが幻覚でないとは言い切れないのだ。


 それに実際問題。

 僕の生活は何も変わっていない。

 そう思っていた。


 昨日までは。


 高校二年になって早一ヶ月。

 桜の季節は過ぎ、新緑の季節へと突入しようとしている。

 新しいクラスの浮足立った感覚もなくなり、そろそろグループで固まり始めるころ。


 僕は北校舎の屋上に座っていた。


 ボール遊びなどは禁止されているが、屋上の立ち入りは自由だ。

 だが、ここには普段、僕以外誰も来ない。


 人が多い本館である南校舎と違い、北校舎の屋上はかなりの穴場だ。

 理科実験室や文化部の部室などがあるこの校舎は、本館とは結構距離がある。

 そのため、わざわざここに来る人はいない。


 高校に入ってから、何か事情でもない限り、昼休みはほとんど毎日ここで昼食をとっている。


「鈴原」


 名前を呼ばれ、見ると目の前に小鳥遊さんが立っていた。

 風が吹き、彼女は自然なしぐさでスカートを押さえる。


「ごめん、待った?」

「いや、別に」

「それで、例のものは?」

「ここに」


 薬物の売買でもするかのような怪しげな会話をした後、僕はそっと脇に置いていた紙袋からそれを取り出す。


 小さな二段一組の木製の箱。

 お弁当である。

 僕がお弁当を差し出すと、彼女はそれを受け取り、心なしか目を輝かせる。


「隣、座るから」

「どうぞ」

「お弁当、空けるから」

「どうぞ」


 謎の確認を挟みながら、彼女は少しだけ緊張した面持ちでお弁当を開く。

 緊張するのも無理はない。

 教室で多少話す仲になったとはいえ、僕らはまだ友人とは程遠い関係性なのだ。

 そんな男と二人で、しかもそいつの手作り弁当を食べるなど、ハードルが高いに決まってる。


 決まっているはずなのに。

 どうしてこうなった。


 お弁当を開いた小鳥遊さんは、「わぁ」と声を出す。


「おいしそうじゃん。手作り?」

「五割くらい冷凍食品だよ。卵焼きは今朝焼いた。唐揚げは昨日の残り」

「もっと手ぇ込めなよ」


 小鳥遊さんは突っ込むも、どこか嬉しそうに見える。


「毎日作るからあんまり手を込めると続かないんだよ」

「ふぅん、そんなもんなんだ。じゃあいただきまーす」


 さほど興味もなさそうに流されると、彼女はさっさと唐揚げを口にする。


「うまっ」


 そして卵焼きを口に運ぶ。


「えっ、これもうまっ」


 さらに煮物のサトイモを口に運ぶ。


「えっ、めっちゃ美味しいんやけど」


 関西弁が出ているが気づいていないらしい。


 そんなに大げさなものでもない気がするが。

 いや、今まで昼がずっと購買のパンばかりだったことを考えると、こんな簡単なものでもそりゃ美味しいのかもしれない。


「お弁当、どんくらい時間掛かった?」


「十五分くらい。もっと手抜いたら五分とかで終わる」


「えぇ……どうやるのそれ」


「お弁当に入れておいたら自然解凍される冷凍食品があるから。それを詰め込む。あとは冷凍しておいたご飯をチンして詰め込む」


「一時間とか掛けてると思った」


「朝にそんな時間掛けてたら生活出来ないよ」


「ふぅーん、ひぃふぁいふぉふぇふぇほうふぁなふぁね」


「飲み込んでから喋りなよ」


 パクパクとお弁当を平らげる彼女は、よっぽどお腹が減っていたらしい。

 その様子がなんだか嬉しくて、自然と笑みが浮かぶ。


「はー、美味しかった。ごちそうさま」


 やがてお弁当を食べ終わった彼女は、満たされたようにお腹を叩きながら壁に背を預ける。


 春の優しい日差しが降り注ぎ、小鳥遊さんの白い肌を照らした。

 細かな産毛が太陽の光に照らされ浮かび上がる。

 白い肌がまるでほのかな輝きを放っているようにも見えた。


「お弁当箱、洗った方がいいかな」


「家でまとめて洗うからいいよ」


「ありがと」


「明日も作ろうか?」


「うん、これからずっとお願い」


「わかった」


 彼女はそこで目を開き、半目でこちらを見てくる。

 俗に言うジト目というやつだ。


「『ずっと』は冗談だったんだけど」

「『ずっと』でもいいよ。別に」

「うぐっ……」


 自分から言い出したくせに、彼女は一瞬、言葉に詰まる。


「『ずっと』って、いつまで――」

「えっ?」


 良く聞こえなかったので聞き返すと同時に、小鳥遊さんのスマホが鳴った。

 彼女はそれを見て「カオリだ」と声を出す。

 カオリとは同じクラスの黒咲カオリさんだろう。

 小鳥遊さんの友人だ。


「呼ばれたから行ってくる」

「わかった」


 彼女は屋上入り口でピタリと足を止める。


「……明日も来るから」

「わかった」


 小鳥遊さんの姿が見えなくなり、僕はそっと空を仰ぐ。

 柔らかい風が頬を撫で、僕は目を瞑り考える。


「明日は……何か作ろうかな」


 僕と隣の席の小鳥遊さんは。

 運命の赤い糸で結ばれているのかもしれない。

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