095 目蓋の裏の血濡れた惨劇
歩む道が交わったのが、いつだったのか。それは後世となった今でも判らない。
五百年。遠き星霜が降り積もる間に間に、深く埋もれてしまったのだろうか。
掘り起こすにはあまりにも遠く、深く、奥の奥。
今や真実は砂の海。
けれど歴史は指し示す。
交わっていたはずの互いの道は、歪み、捻れて、そして。
別れた。対峙した。
栄光と罪科に。
玉座と反逆に。
『何故なのだ』
人歴1500年。
長きに渡る闘争に終止符を打った稀代の英雄王シグムント。
剣を掲げ王道を歩む王の傍らには、四枚羽根の黒鴉と、英雄騎士の四人が在った。
賢知授けし鴉、ギムニフ。
翠嵐の狩人。
黄銅の闘士。
氷藍の流浪。
紅焔の乙女。
『何故なのだ、ユリン! 答えろ!』
だが、紅焔の騎士は。
もっとも古くから王道を支え続けた乙女は。
統治後のアスガルダムに侵攻した。
四大精霊を狂わせ、引き連れ。
我らが王に矛を向けた。
『あの【黄昏】を、迎えさせないためよ』
紅焔の乙女は、裏切りの魔女へと堕ちたのだ。
◆
「【黄昏】⋯⋯?」
クオリオは
シグムンド叙事詩における最大の謎の一つ、ユリンの裏切り。王と共にもっとも多くの戦場を駆けたと云われる側近が、何故裏切ったのか。今もなお考古学研究の学者達が熱き議論を交わしている題材である。
裏切りの代償だろうか。彼女についての文献は少ない。出身地も不明。シグムンドに付き添った理由も、時期も不明。
彼女自身についても、精霊と交信出来るほど心清らかな乙女と歌う詩人も居れば、計算高い傾国の毒婦だと毛嫌うものも居る。
人物評でさえこれほどに解釈が違うのだ。故に、ユリンの裏切った理由における仮説もまた、数多く存在する。
だが特に演劇におけるユリンは、大半が悪しき魔女として演じられるのが常だった。それも当然だ。彼女は歴史最大の反逆者。肯定的に描けば
しかし。
(黄昏を迎えさせない為とは一体⋯⋯?)
劇中の台詞を反芻しつつ、もう一度首を傾げる。
恐らくはドルド劇団長による『新訳』なのだろう。
黄昏。つまりは落日。ひょっとしたらアスガルダムの落日を迎えさせない為、という比喩なのか。だがそれでは行動が伴わない。魔女の行いそのものが、落日へと押し込む反逆紛争だというのに。
(黄昏、たそがれ。まさか⋯⋯ユミリオン神話の【
劇場の壁に背を預けながら、探求者クオリオは思考の海へどっぷりと沈んでいく。
だが悲しいかな。幾ら頭脳を巡らせようとも、これだといえる仮説はついぞ浮かばず。時間が止まってくれる訳ではない。
取り残された賢者を置いて、演劇は進む。
物語の辿り着く先はクライマックス。
魔女ユリンはシグムンドに敗れ、囚われの魔女は舞台の上にて火炙りの刑に処される。
裁きの時が、迫っていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
断罪こそが、大衆が望む愚者の末路である。
罪には罰を。悪には報いを。敵には死を。
因果応報ここにあり。それこそがシグムンド・サーガの最終章。魔女ユリンの最期である。
だから、これはその再現なのだ。
五百年前の末路。
「燃やせ」
観客の誰かが呟いた。耳を澄まさなければ聞こえないぐらいの、小火のような囁きだった。
「そうだ、燃やせ」
「燃やせ!燃やせ!」
「断罪を!」
「魔女に罰を!」
けれど小火に留まらず。囁きは伝搬し、うねりをあげて熱狂へと変貌していく。観客達が口々に叫ぶ。
死を。罰を。報いを、と。
血走った目を剝いて。
口泡を飛ばして。
拳を突き出して。
ジオーサの町人たちは狂ったように、叫んでいて。
(⋯⋯ヘイ。なんだってんだこりゃ)
劇団員達は驚愕した。
それも当然だろう。これほどまでに異常なシュプレヒコールを浴びたことなど彼らには無い。レギンレイヴ小隊の者達ですら狼狽している、観客達の豹変ぶり。動揺するなという方が無理な話だ。
それでも動揺を表情に出さなかったマーカス・ミリオは、流石劇団の看板を背負っている男だと賞賛すべきである。
だが。
「そう。物語はこうして終わるの。
裏切りの魔女はシグムンドに裁かれて。
アスガルダムは永き安寧を得る」
動揺なんて欠片も見せず。
ただ凍り付いた目で見下ろす
「正義によって、悪は討たれて⋯⋯
これでおしまい。めでたしめでたし、だなんてね」
"脚本に記されない台詞"を、魔女が歌う。
歌劇のように艶やかに。
死刑宣告のように冷酷に。
「あはは、馬鹿みたい。真実なんて誰も知らないのに。
誰かが作った都合の良い悪名に。
石を投じる罪の、なんて軽いこと」
ローズ・カーマインは知っていた。
町を牛耳る老人達が、隠し続けている罪を。
知らず踊らされ続ける、町人たちのかつての罪を。
「お前達こそ⋯⋯裁かれるべき、化け物でしょうに」
そうして魔女は告げた。
そんなに化けの皮を剥がされたくないのなら、いっそ。
相応しい姿にしてあげると。
「
唱えたのは呪詛。
鳴り響いたのは、隠し持っていた銀色のベル。
茶番はここまで。ここからは。
紅き魔女の、復讐劇である。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「ひっ」
熱狂の始まりが小火だったように。
魔女の招いた地獄の始まりも、小さな悲鳴からだった。
「な、なんだよこれ。俺の腕がっ、腕がぁっ」
ボトリと落ちた。身体が欠けた。
まるで腐った木のように、足元に腕が落ちたのだ。
理解が出来ない。意味が分からない。
どう考えたってこんなのおかしい。
なあ。おい。俺の腕、拾ってくれよ。
急に襲いかかってきた混迷に晒されながら、男は隣の席の妻を頼ろうとしたのだが。
「ヒッ⋯⋯ま、魔獣?! なんで!? いやっ、嫌、イヤァァァァッッ!!!!」
妻から返って来たのは悲鳴だった。
こちらを見るなり、魔獣だと叫ぶ顔は恐怖にひたすら歪んでいて。
魔獣?!劇場に魔獣が出たのか?!
そう、言葉にしようとしたはずなのに。
「まじゅbpmjmwyuu,gjzega──a,a,e?,ah,,,,,】
人の物とは思えない声が、果たしてどこから発せられているのか。
それを自覚するよりも早く、身体は崩れ落ち。
男は、一匹の魔獣と化していた。
地獄のはじまりは、一人の異変から。
先程の熱狂をなぞるように異変は、伝搬していく。
「あ、あ、あたしの身体が⋯⋯
いやっ、いや、Iyぁawdbmdaaaay!?!?!?!?】
一人から二人へ。
「な、なんだよこれ!
一体なにが起こっteewjpgzmgdgymg!?!?!?!】
二人から四人へ。
「や、やめろ、魔獣め!来るなぁぁ!!!」
「助けて!誰か助け──」
「ま、魔女の呪いだ⋯⋯俺達は、呪われたんだ!」
「いやあぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
悲鳴が飛び交う。鮮血が舞う。
魔獣の爪に肉を引き裂かれ、骸はやがて異形の怪物と化し。
ガラスが割れる音。
何かが砕ける音。
肉を貪る音。
辺り一面、阿鼻叫喚に横たわる。
「あ、は」
割れたランプから、火の手が伝った。
敷かれた絨毯を、焔の竜が食い破った。
地獄の業火が、罪人たちを裁きを下した。
「駄目よ。助かりなんてしない。逃げ場なんて最初からないの。
罪には罰を、なんでしょう? そう信じて狂った貴方達が、どうして今更、逃れられるなんて思えるの?」
舞台の上。狂宴の渦中。
絶望を調べに魔女が歌う。
「嗚呼──正義面の貴方達へ。
正しく狂い尽くした皆々様へ。
これはいつかの、魔女の娘からのお願いです」
歌劇のように艶やかに。
死刑宣告のように冷酷に。
復讐の魔女に、想うべき死などありはしない。
だからこそ『
「絶望の紅焔にのたうち回って。
どうか、どうか。おくたばりあそばせ」
私欲が為に生贄を求め、悲劇を起こした審問会の老人達も。
あの日、ただの女でしかない母を魔女と裁いた町の人々も。
"到着初日からローズに色目を使い、もてなしのワインも独占したあの下品な騎士隊長も"。
全部、全部、全部。
灰になるまで、燃え尽きてしまえばいいと。
「あ、は。あはは。あっはははは!
アハハハハハ、アッハハハハハハハハッッ!!!!!」
罪には罰を。
悪には報いを。
敵には死を。
因果応報ここにあり。
◆
それは、紅き魔女の復讐劇。
「ヘイ。ヘイッ、ローズ! いきなりアドリブかましといて、なにをボーッと突っ立っているんだよ!」
本来、辿るべきだった物語の道筋。
「どう、して⋯⋯?」
しかし──忘れることなかれ。
紛れ込んだ異世界の怪物によって。
この物語はすでに、殺されはじめているのだと。
「どうして、なにも起きないの⋯⋯?」
復讐のはじまりを告げる鐘は鳴った。
神の毒も、騎士団員以外は飲み干した。
けれども殺された脚本は息を吹き返すことはなく。
地獄の釜蓋は開かない。
復讐劇は、始まらない。
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