092 Ivy and Irony

 明くる日も、昨日を引きずったような雲空だった。


 重い空模様が物足りないんだろうか。低く飛ぶ鳥が鳴き声もあげずに、ジオーサの通りを練り歩く俺とシュラとを追い越した。

 歩き回って、かれこれ一時間近く。とはいえ別に観光してるとかじゃない。

 単に、午前の町内警邏を割り振られたのが俺達ってだけである。


「テメェとサシで歩き回るのも懐かしい感じがすんぜ」

「⋯⋯そういえばそうね。懐かしむほど前でもないけど」

「コルギ村ん時以来か。ククク。あん時は俺もまだ無名だったが、今やテメェの独壇場とはいかねえぜ」

「そればっかりねアンタは」

「当然だ。テメェにも散々啖呵売ってきた訳だしな。有言実行の証ってやつだ」

「ふん。昨日はあんな女に言い負かされた癖に」

「ぐっ。あれは⋯⋯アレだ、華を持たせてやっただけだ!負かされちゃいねえ!」

「はいはい」


 振り返りの感動を、さらっと手折るシュラは本日も手厳しい。

 なんだよなんだよ、実際コルギ村に来た当初と比べりゃ大躍進じゃないか。そりゃ前から有名人なシュラはもう慣れたもんかもしんないけどさぁ、ちょっとくらい褒めてくれてもバチは当たらないと思うんですけど。 


「じゃあ英雄騎士さんに聞いてあげるけど。アンタは気付いてる?この町の違和感に」


 恨みがましく視線を向ければ、返ってきたのは試すような問い掛けだった。


「違和感だァ?」

「そうよ。散々歩き回った訳だけど、この町には普通ならあるべきものが無かったわ。それこそコルギ村にだってあったものが」

「⋯⋯」


 珍しく含みを持たせるシュラの言葉に、足を止めて考えてみる。

 コルギ村にあって、ジオーサの町にないものねえ。逆ならパッと思いつくんだけどな。例えば審問会の存在とか。あの厳重過ぎる保管室とか。

 でもそれなら散々歩き回って、なんて言わないよな。多分シュラの言う違和感ってのは、警邏中に気付けたことなんだろうけど。


「⋯⋯孤児院か?」

「違うわよ。珍しくもないけど、あるべきものでもないでしょ」


 唯一思いつけた「孤児院」も即座に切り捨てられちゃ、大人しく白旗を上げるしかなかった。



「──墓地よ」

「!」


 

 言われて、ハッとする。

 そういえば確かに警邏中、コルギ村にあったような共同墓地を見かけてない。

 この世界じゃ現代と違って遺体は土葬がメインだ。追悼する文化だってちゃんとある。じゃなきゃエイグンさんみたいな墓守って役割はそもそも存在しないだろう。


 墓地のない町、ジオーサ。

 違和感とシュラが告げた理由も分からなくもない。コルギ村と比べりゃ何倍も広く、住民戸籍だってばっちり取ってるような町に墓地がないってのは⋯⋯俺でさえ、おかしいと思ったけど。


「おお、こちらに居られましたか」

「!⋯⋯ハボック、町長」


 間の良いことに現れたこの町の顔役によって、この疑問は解消されたのだった。


「いやはやいやはや、ご苦労さまにございます。ええ、ええ、実は御二人に我が町ジオーサの『葬送の儀』の手伝いをお頼みしたいのですが⋯⋯


 これより少々、お時間よろしいですかな?」




◆ ◆ ◆



 耳につんざくざざ鳴りは、雨の音じゃなかった。

 町外れにある渓谷の滝が、ざあざあと崖下の川へと落ちていく。今にも一雨降りそうな雲空は、まだ泣いていない。

 でも涙は落ちていた。


「ああ、ミモネ⋯⋯」


 喪服をまとった男の手から、一握りの灰が撒かれた。

 小さな骨壺から広すぎる世界へと。風に乗って、宙に溶ける。

 もう見えなくなった白い名残を、それでも男は追いかけるように見つめていた。


「ミモネ・ランシー。どうか、どうか、安らかに。鎮まりたまえ。眠りたまえ。どうか。貴方を看取ったこの町を想い、空を満たす一粒でありますように」


 追悼の言葉と共に、ハボック町長が胸に手を当てる。

 常に笑顔を絶やさない顔が、この時ばかりは密やかだった。

 ざあざあと滝音が鳴り響く。一粒であるようにと願われた妻を見送った夫は、静かに涙を流していた。


(⋯⋯葬送の儀、か)


 遺骨を遺灰に摺り、こうして滝へと撒く。

 滝が伝う河から、やがて母なる海へ。与えられた命を源へと返す弔いの儀式。

 これがハボック町長の何代も前から続いているジオーサの風習であり、町に墓地が無かった理由だった。


「町長、ありがとうございます。これで妻の無念も少しは安らぐと思います」

「なんのなんの。これも長たる務め、礼など不要ですぞ」

「騎士様方も。道中を御守りいただき、ありがとうございました」

「⋯⋯おう。だが、礼は町に帰ってからにしな。行きと同様、何事もなくとは限らねえんだからな」

「はは。仰る通りですね」


 力のない笑みだった。

 今回劇団が慰撫に訪れるきっかけとなった魔獣災害。彼はその被害者の内の一人であり、奥さんを亡くしてしまったのだ。

 追悼は終わっても、すぐに立ち直れやしない。

 この人の目は、まだ在りし日の影をぼんやりと追っているのだと。

 俺には分かった。見慣れていたから。


「ねえ」


 だから、余計に。


「魔獣が、憎い?」


 シュラがどうしていきなりそんなことを聞いたのか、俺には分からなかった。



「憎いに決まっているでしょう」

「⋯⋯」

「いつだってあいつらは奪っていく。奪うだけ奪って、なにも生まない。ただの破壊者だあんな奴らは一匹残らず討たれてしまえばいい。心の底からそう思います」

「⋯⋯⋯⋯」


 愚問だといわんばかりに、男は真っ直ぐにシュラを睨んだ。

 詰まることなく溢れる怨嗟。まだ遺灰を掴んだあとの残る掌が、堅く握りしめられている。


「ですが、私達は弱い。力がない。だからこそ、騎士様には期待しております。貴方達の正義の剣が、憎き魔獣共を根絶やしにしてくださると、信じておりますとも!」


 憎き魔獣を討ち滅ぼす、正義の剣。

 彼にとって。いや、大半の力無き人たちにとって、騎士とはそういうものなんだろう。


「⋯⋯⋯⋯」

(⋯⋯シュラ?)


 けれどシュラは何も答えず。

 まだ遺灰で白んだ男の手を、じっと見つめるだけだった。

 以前の彼女なら同調したっておかしくないのに。まるで自分でさえ、どうしてこんなことを聞いたのか分かっていないかのように、紅い瞳を揺らしているだけだった。



「さて、さて。風が冷たくなって参りました。戻ると致しましょうか。騎士様、帰り道もお頼みしますぞ!」

「あァ」

「⋯⋯」



 陽はまだ落ちるにも早いけど、水辺の風は身をすくませるだけの寒さがある。気を取り直そうと手を鳴らした町長の提案は、断る理由もなかった。色んな意味で。

 ざくり。ブーツの底が砂利を噛む音が近いほど、滝のざざ鳴りが遠退く。ことあるごとに噛み付く隣の少女騎士も、口を開こうとしない。

 だから、余計に。居心地の悪ささえ感じるほどに静かで。

 

「『魔女』の下僕たる魔獣共は⋯⋯正義の業火に焼かれるべきなんだ」

(⋯⋯魔女?)


 ざざ鳴りの隙間にするりと届いた、最後尾を歩く男の呟きを。


 気になりはしても、聞き返すことは出来なかった。




◆ ◆ ◆





 葬送の儀を終えた俺達は、ジオーサにすぐさまとんぼ返り。

 となれば、また町内の警邏へと戻るはずだったのだが。


『少しひとりにして。追いかけて来たら斬るから』


 町に着くなりそう告げて、シュラは返事も待たずに去っていってしまった。どこに行ったのかも分からない。呼び止めることも出来なかったし。

 だからこうして俺はひとり、トボトボと警邏の続きをしている訳である。


(交代の時間はまだだし、どうすっかな)


 いまいち身が入らない。いっそ南方で門番してるネシャーナ姉妹の顔でも見て来ようか。今頃ジッとしてるのが嫌だーって駄々こねられて、リャムが困ってるかも知れないし。それならシャムとチェンジして、リャムと一緒にのんびりってのもいいかもなーと。

 隊長に聞かれれば渋い顔されそうなプランを、前向きに検討してるときだった。


「──あさん──必ず──」


 街並みの中、不思議なことにぽかりと空いた土地の前。

 俯きながらもなにやら呟いていた、見覚えのありすぎる紅髪を見つけてしまって。


「げっ、テメェは⋯⋯」


 つい、声が出てしまった。


「!? っ。あ、貴方。今の、聞いてたの?」

「あァ?⋯⋯いや、別になにも聞こえちゃいねえが」


 あっちは気付いてなかったんだろう。

 なにか聞かれちゃまずいことでも口走ってたんだろうか。正直に答えてるのに、ローズは疑わしげに俺を睨み付けたままである。


「んだよ、誰かの陰口でも叩いてやがったのか?」

「⋯⋯残念ながら、私は物怖じはしないの。文句や不満があるなら面と向かって叩きつけてるわ」

「チッ。ああそうだな。テメェはそういう奴だよ」

「あら、昨日の今日で私を理解した顔をするのはやめてくださる? 身の毛がよだつのだけれど」

「その昨日で散々思い知らせてくれたのはテメェの方だろうが!」

「なんのことかしらね」

「この性悪女⋯⋯!」


 ぐぬぬ、こいつめ。一を言えば十で返して来やがって。しかもなんか愉しそうだし。俺からすりゃ、魔獣よりよっぽど天敵かもしれない。

 なんて風に、どうもローズに対する苦手意識が拭い切れない俺だったんだけども。



「⋯⋯⋯⋯、────でも、そうね。

 互いを知らないままに罵り合うのも、流石に健康に悪いわ。

 そこで、少し提案があるのだけど」

「⋯⋯あ?提案だと」

「ええ」



 

 そんな俺をさらに困らせるような"提案"が。

 ルージュの引かれた唇から、紡がれた。


 寒気がするほど、妖艶な笑みと共に。









「このあと、食事でもどうしから?


 ──貴方と私。ふたりっきりで」






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