062 エシュラリーゼ・ミズガルズ
エシュラリーゼ・ミズガルズには、十歳の頃までの記憶が無かった。
気付いた時にはエシュラリーゼという名で呼ばれ、気付いた時にはミズガルズ孤児院に引き取られた孤児だった。
両親については知らない。けれども深く知ろうとしなかった。自分以外の孤児達もまた、親の居ない子供達ばかりだった。
だから孤児院のサティ院長が、みんなにとってのママだった。
昔からシュラは腕っ節が強かった。同年代の男の子との力比べでも負けなしだった。だからサティが孤児院で育てた薬草を、粉末にして袋に詰め、人力車で隣町まで運ぶのは彼女の仕事だった。
女の子がする仕事じゃありませんとサティに言われても、シュラは譲らなかった。手先が不器用なシュラはユオと違って料理は出来ないし、ミミみたいな裁縫なんて逆立ちしたって無理だった。
それでも孤児院の運営資金の為に力に成りたい。だから運び仕事はシュラにとってうってつけだった。
多分、才能に選ばれていたのだろう。剣を持てばすぐに感覚を掴み、技を肌に馴染ませるのも早い。隣町で開催される腕試し大会では、大人すら敵わないほどにシュラは強かった。
その賞金で食料を買い込み、孤児院の皆に配った時には達成感に浸れたほど。けどもサティ院長は焦ったように怪我は無いかと心配し、危ないことをしては駄目だと叱られた。
でもきっとその時に、シュラは知ったのだ。大事にされる感覚を。だからシュラにとっても、院長や孤児院の皆は大事だった。
かけがえのないものだったから。
【【【【Gxeeeee!!!!】】】】
いつものように運び仕事を終えて帰宅した孤児院で、彼女は地獄を見た。
『エ、シュラ、リーゼ⋯⋯』
リボンをくれた裁縫上手のミミの腕が、黒い小鬼の玩具になっていて。
料理が得意なユオの足で、異径の影が鍋をかきまぜて。
いつもつっかかってきてたトニの頭が転がって、本が好きなセンリの目玉が、チェルの髪が、みんなが、みんなが、みんなが。
『サティ、せんせい⋯⋯?』
『⋯⋯たす、けて⋯⋯』
魔獣の腕に腹を貫かれたサティ院長の伸ばした手が、落ちた。
色が消えてく。光が負ける。眼の前には全てを奪った悪鬼の群れ。
しかしそんな悪鬼達が霞むほどの形相で、シュラは魔獣の
その日に、一人の修羅が産まれたのだ。
全てを奪った魔獣への復讐の誓いを違えぬよう、彼女はアスガルダムを駆け巡る。
その最中に礼を言われることもあった。感謝の品を尽くされることも。シュラの美貌に恋をした男達からの求愛も。しかし一切の興味を示さず、彼女はひたすらに魔獣を葬る日々を過ごした。
そんな最中に出逢ったのは、一人の騎士だった。
精悍な顔つきの男はシュラに言った。君のやり方では効率が悪い。魔獣を殺すための剣でありたいのならば、相応の身分があった方が良い、と。
シュラはこう返した。自分に勝ったのならば、その提案を飲むと。
そして──シュラは敗れ、騎士の手配によりヴァルキリー学園に編入される事となったのだった。
シュラは後悔したが、敗北した上に約束を反故にすることはプライドが許さなかった。しかし学園での日々はひたすらに退屈で、同年代らしき騎士候補生たちの
おまけに自らが目指さなくてはならない騎士といえば、私腹を肥やす事に堕落した輩が多く、好感を覚えるような人物は殆ど見当たらない。闘い続ける道を選んだ彼女にとっては、どいつもこいつも甘ったれた奴ばかりだった。
けれどエシュラリーゼは──ヒイロ・メリファーに出逢ったのだ。
出逢い、観察し、彼を知った。
力も技も未熟でありながら、口にするのは大言壮語に憎まれ口。しかし彼は恐ろしいまでに努力家だった。
折れない意志。曲げない意地。飽くなき向上心。どれもこれもが"本物"だった。
周囲に失望する日々ばかり送っていたシュラにとって、ヒイロはある種の救いだ。ヒイロと出遭えたことは、騎士を目指さざるを得ない日々の中での唯一の収穫とさえ思えた。
そしてついには、コルギ村で本当に救われてしまった。
まだ近くで見ていたい。
遠ざかるのならば追いかけたい。
恩にはちゃんと報いたい。
だからエシュラリーゼ・ミズガルズは、なにがなんでもヒイロを救いたかったのだ。
「⋯⋯⋯⋯着いたわね」
カツンと、石床を踏む音が響く。
シュラが辿り着いたのは、ヴァルキリー学園の旧校舎であった。現在は建物の老朽化により使われておらず、闇一面の辺りには人どころか獣すら入り込んで居ないようだった。
「ほら、約束通り来てやったわよ」
しかしシュラは闇の向こうの、居るはずの誰かへと声をかけた。そう、彼女は思い立って此処に来た訳ではない。
『ヒイロ・メリファーを救いたくば、本日の夜半にて旧校舎の踊り場を訪れるがいい。そうすれば、彼を救う術を教えよう』
シャムから受け取った謎の手紙には、送り主からの時間と場所の指定が記載してあったのだ。故にシュラは迷いなくここを訪れた。ヒイロを、アイツを救うための術を求めて。
「──いつの世も、人の優劣は生まれで決まる。そして人の優とは知恵だ。
「アンタ、は⋯⋯」
しかし。
シュラの形振り構わぬ必死を、闇より歩む高慢な声色は嘲笑う。あるいはまんまと罠にかかった獲物を、どう料理しようかとてぐすねを引くように。
「のこのこと現れて感謝するよ、エシュラリーゼ。ははは、ちんけな村までの旅路は楽しめたかい?」
闇より歩み出たのは、ずっと以前から潜んでいた悪意。
ルズレー・セネガルが、あらわれた。
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