第2話:第13特殊捜査法

 第13特殊捜査法——通称“法の猟犬ハウンド・オブ・ロウ”と呼ばれる法案が可決されたのは、先の大戦が終結し、国内でのA級犯罪が急増したことに起因する。


 かの共和国との大戦に連邦は最先端の科学を用いり、兵器のみならず兵士すら強化することを厭わなかった。

 しかし段々と連邦側の陣営が共和国側に圧されていき、国内は厭戦ムードが漂い、国民の心は荒んでいった。

 そうした荒んだ精神を癒すため、ドラッグや違法脳改造といった技術が軍から民間に漏れてしまい、それらの技術が悪用され重犯罪が増加したのは必然だったのかもしれない。


 結果、共和国側と終戦協定が結ばれた時には、国内のA級以上の重犯罪率は戦前より10倍にも増えていた。

 連邦は、戦後処理の一環として、まずは国内の治安を回復させることを最優先事項とした。

 技術の流出により、脳や体を強化した質の悪い犯罪者達を処罰するには、従来の警察官では非常に難しかった。


 そこで提案されたのが、第13特殊捜査法である。


 超人には超人を。この法案は適正のある者なら老若男女問わずスカウトし、本人が許可さえすれば肉体、精神を超技術により“改造”、”強化”し、ライセンス捜査官として任命し、A級以上の犯罪を取り締まり、連邦法のほぼ全てを行使できる。それが“法の猟犬”ライセンス捜査官の役割である。


 あの日、交通事故を起こし瀕死の重傷を負った男の潜在意識に少女が干渉して、“法の猟犬”としての役割、メリットとデメリット、といったことを規定の12時間の間ずっと説明し、ライセンス捜査官になるか否か、男に問いかけた。その結果、男はどうやら「イエス」と答えたらしい。

 それらのやり取りを全く覚えてないが、自分の潜在意識がイエスと答えたその時から第13特殊捜査法が適用され、男は肉体を強化され無理やり得体のしれない少女とバディを組まされ、ライセンス捜査官としての職務についたのである。

 少女によれば、これはあなたが選択したことだ、だから私とバディを組むのは当然だと言われ、以降男と少女は15件もの重犯罪を取り締まってきた。


 「めんどくせえ……」


 専用の宿舎にて、男は日課のトレーニングを終えてシャワーを浴び終え、ビールを飲みながら男はごちる。かりかり、と無意識にこめかみの端子差込口を引っ掻く。

 身体を強化された連邦ライセンス捜査官は、決められた身体トレーニングを一定の回数こなさなければいけない。いくら元の肉体を強化したとはいえ、トレーニング無しでは力を発揮できない。なのでライセンス捜査官が肉体を鍛えるのは義務なのである。

 男はランニングマシーンでの100㎞走破のメニューを終えたが、殆ど汗を掻いていなかった。


 法により強化された肉体の副作用の一つに、記憶の消失というのがある。それは強すぎる肉体への過負荷とのバランスをとるため、7日経つと大脳皮質や海馬から今までの全ての記憶が消えてしまう障害。

 その記憶のバックアップと維持を行っているのが、今も特別処置室にて眠り続けている“眠り姫”、男の相棒の少女なのである。

 彼女が処置をしなければ、男は一週間で自分の名、過去、役目、全ての記憶が失われ、まともに生活ができない。なのであの少女は事件のアフターケアのみならず、男の日常生活にも欠かせない存在だった。

 しかし彼女は身体の代わりに五感と情報処理能力を強化され、ライセンス捜査官の義務である肉体トレーニングは特例として免除され、その代わり彼女の拡張された記憶野の中に連邦の機密を保管させられている。なので彼女は存在自体が機密なのだ。


 (だけどよ、なんでよりによってあいつなんだよ)

 

 少女は非常にわがままで可愛げのない奴だ。常に無茶な要求を通信士を通して送ってくるし、その後のアフターケアでは毎回男を怒鳴り散らす。やれあそこはこう動くべきだ、やれもっと俊敏に動け、だの口うるさいガキだ。もっともそれは精神世界の中でのことで、本人の身体は植物状態でずっと寝ている。


 (そういえば、なんであいつはライセンス捜査官になったんだ?)


 少女と組んでから半年程経つが、男はバディ相手である少女のことをほとんど知らない。知っているのは彼女が男と同じように強化され、超感覚とやらを身に着けて捜査に必要な情報を男に送っていることと、自分の記憶を保管し、事件後には男の肉体のアフターケアを行うということだけ。その他は、一ヶ月の大半を変性意識状態、いわば寝たきり状態のまま、特別処置室にてずっと眠り続けている。


 月に何日かは覚醒し、医師の診断や各種処置、リハビリなどを行っているらしいが、男はその現場に居合わせたことがない。だから、彼女の本当の目の色や声色など知るよしもない。


 だが、男は少し興味があった。いつも寝ている彼女が、いつも無茶な要求を出し、意識下でごちゃごちゃと小言を言ってくる少女が本当はどんな容姿で、どんな性格なのか知りたい。大体不公平じゃないか。自分はほぼ休みなくこきつかわれているのに、彼女はただベットで寝ているだけ。これじゃあ面と向かって口喧嘩も出来やしない。男には少女に対する不満が山ほどあった。

 次に少女が「覚醒」するのはいつの日か、担当の医務官に教えて貰おう。そう決意した時、パソコンの呼び出しベルがポーンと鳴った。


(…………メッセージ?)


 男は早速机の前に座り、パソコンを開く。


 ―――――――――――――――――――

 To:Giovanni

 From:Campanella

 Sub:至急

 ――――――――――――――――――――

 今すぐ間接結合しろ。早く

     END

 ――――――――――――――――――――――


 「……………………」


 ジョバンニ、というのは男のコードネームだ。本名は自分でも知らない。そういった記憶はあの少女――カンパネーラとコードネームを名乗る少女に管理されてしまって、自分は13法が適応されたその日から、ジョバンニという名になってしまった。


 つけたのは少女――カンパネーラだ。なんでこんな気取った名をつけたのか男にはわからないが、そのまま名乗るのは恥ずかしいので、関係者には「ジョン」と呼べと言ってある。それを守らないのはカンパネーラだけだ。

 彼女もその名を名乗るのはどこか気後れするらしく、ジョンや医務官達に「ネーラ」と呼べとことあるごとに言ってくる。しかし当の本人がジョンのことをジョバンニと言うのを止めないので、こっちもカンパネーラとフルネーム(正確にはコードネームだが)で言ってやっている。そのせいでアフターケアの際言い合いが絶えない。大体なんだよカンパネーラて。それは大陸方面の姓名じゃないか。


 そのカンパネーラ………もといネーラからメッセージが届いた。無論、彼女が起きて直接パソコンや携帯端末機でキーボードを打って送ってきたのではない。上司に事件報告書を送るのと同様の操作で、彼女の特殊な能力でジョンのアドレスにメッセージを送ってきたのだろう。ネーラの身体は未だ植物状態のままなのだから。

 だが彼女からメッセージが来たのは初めてだった。しかも「至急」と題名に入れるほどだ。何があった? そう返信する。もちろんこちらはパソコンのキーボードを打ち文を作成して。

 すると恐ろしい程早く返信が届いた。脳内で文章を作成出来るのは便利だなあなどと可笑しな感想を抱きつつ、メッセージを開くと、「いいから間接結合しろ。至急ASAP 」と前とほとんど変わらない文面がジョンの目に飛び込んできた。


 「………俺、今日非番なんだけどな」


 ひとりごちりながら、ジョンはこめかみの差し込み口に専用端末を差し、一方の端末をパソコンに差した。

 ”間接結合“とは、直結とは違い、ネットを経由してネーラの脳に結合すること。こうして非番の日になにか彼女から伝言があったり、もしくは彼女自身になにかあり、いつものように直結できない事情のときに用いられる方法だ。だが使い方は教えられていても、今まで使ったことなどない方法だ。一体、どんな用事なのだろう。


 ジョンの意識が少しの間ネットの海を彷徨い、そしてネーラの意識内に入った。見慣れた光景のはずだが、その世界は酷く乱雑としていた。空間を彩る電子文字はめちゃくちゃに文字化けしているし、なにより空間自体がとても不安定だ。メンテナンスを忘れ、ページコードを荒らされたホームページのようだ。愕然としているジョンの前に、ジジ…………と不穏な音を立て、目の前にネーラの姿が現れた。


 だがその姿は空間同様酷く不安定で、身体の所々が崩れ荒いポリゴンドットを露わにしている。彼女の顔半分も崩れ、表情は読み取りづらかったが、その青い目から発せられる視線が今まで感じたことのない程切羽詰まっていて、ジョンは、なにがあった? と思わず問うてしまう。


  「………ウイルス………ハッキン、グ………られた。………時間……な……」

  「おい、何言ってるかわかんねえよ!」


 酷く不鮮明なその声に、ジョンは叫んだ。だがネーラは真剣な眼差しを崩さず、続けた。


  「エネミー……てき……わtasshi、Yaられた……hacking……され………侵入、意識Ni…」

  「エネミー? つまりお前の意識に誰かがハックしたっていいたいのか?」


 そんなことあり得るのだろうか。ネーラは常に変性意識状態を保っている。通常の我々の意識とはまた違うモードにあるのだ。事件後のアフターケアのように、彼女と直結するならまだ分かる。だが外部からネーラの脳に侵入するってことは、構造の分からない迷宮に丸腰で入っていくくらい難しい。

 それに専用のサイバーチームが重要な機密が詰まったネーラの脳を何重にもプロテクトしている。具体的な技術内容まではジョンは知らなかったし教えられても理解できないだろう。つまりネーラはそれくらい脳も身体も厳重に保護されているということだ。それをハッキング? 一体どこの誰が?

 

  「Siraない、わから、ない……でも……わTAし……」

  「いいから! もう黙ってろ! いまそっちに……」

  「No.……きてはダメ」


 荒いドットで形成されたネーラの身体はどんどん崩れていく。ジョンは思わず彼女の手を掴んだ。が、掴んだ途端手を構成していたドットが崩れ、空間へ散らばっていく。


 「じかn、ない……よくきいて……相手……おsoraく、共和国の、改造human……わたしたちと同じ……私の深層意識に……しんにゅぅ……じかんの、も、ん、だい」

 「おい、担当医務官は!? サイバーチームの奴らなにやってるんだ!?」

 「かれら、頑張ってる……でm……」

 「待ってろ! 今そっちに行く!」

 「来てはダメ!」

 

 その声は不鮮明なボイスの中で、一際大きくはっきりと聞こえた。

  

 「ジョバンニ……よく聞いて」

 

 ネーラが続ける。もう身体の崩壊は上半身まで来ている。

 「これは、S級任務……貴方と初めての……だkら……じ……に……って……」

 「おい!」

 「ジョバンニ……」


 崩れかけの顔でネーラは微笑む。それは今までに見たことのない、彼女の、初めての笑顔だった。


 「さようなら」


 彼女を構成するドットが瓦礫のように崩れ、拡散していく。ジョンがその身体を捕まえるにはもう遅かった。そこにあるのは、四角いドットポリゴンの竜巻と、メチャクチャな電子コードが乱舞する空間だけだった。

 ジョンは思いきり叫ぶ。


 「カンパネーラ!!」

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