第686話、スヴァールバル諸島


 神明少将は、航空戦艦『浅間』から、呼び寄せた空母『翔竜』に移動。案内役は、U-459副長のパウル・デッカー大尉が務めることになり、彼もまた日本の三座偵察機である彩雲改二に乗る。

 T艦隊航空戦隊司令の有馬少将が、わざわざ出発前に神明のもとへ来た。


「大丈夫ですか?」

「おそらく。機体にトラブルがないことを祈りますよ」


 一応、夏とはいえ北欧の寒さに対応するよう、機体は調整されている。だが世の中、想定通りにいかないことは間々あるのである。


「私が心配しているのは、航法の方ですよ。一応、搭乗員は航法ができるようになってますが、今回は専門の航法士を乗せていない」


 有馬は、彩雲の航法士席でそわそわしているデッカー大尉を見やる。


「聞けば、彼は潜水艦の副長でしょう?」

「航法は私がやりますよ」


 神明は微笑した。有馬は目を細める。


「搭乗員の経験があるのですか?」

「魔法装備の試験の時に、何度か航空機に乗ってます」

「そうですか。お気をつけて」

「ありがとうございます」


 機位を見失い、目的地につかないどころか、遭難など冗談ではない。北の海はさぞ冷たかろう。


「柱田少尉、よろしく頼む」

「はい、参謀長」


 彩雲の操縦席で担当の柱田は答えた。


「行き先がわからないのは、不安でしょうがないのですが」

「大丈夫だ。魔技研の新装備を持ってきてある。航法については心配無用だ」


 本当かな、と柱田の目は言っていた。神明が最後尾の通信席に収まると、最終点検の済んだ彩雲改二が動き出した。

 ただ1機の偵察機が発進するには、整備員や搭乗員総出のお見送りのようで、ずいぶんと視線が多かった。有馬少将ら直々に見ているのだが、それも影響しているのだろうか。

 やがて、彩雲は空母の甲板を蹴って飛び上がった。誉エンジンを唸らせて上昇する。


「デッカー大尉、空母を飛び立った。現在、彩雲は機首をスヴァールバル諸島に向けている」


 神明は呼びかける。


「針路の変更は必要か?」

『……いえ、このままで問題ありません。スヴァールバル諸島で間違いないですか?』

「間違いない」


 コンパスを見やり、神明は地図に針路を書き込む。方向がたまたま合致したが、これが囮航路でなければ、秘密基地はスヴァールバル諸島にある可能性が高い。この諸島で唯一の有人島は、スピッツベルゲン島ではあるが……。諸島は全体的には不毛な大地なので、無人島も多い。そのどこかに秘密基地が……。


 

 ・  ・  ・



 薄曇りの空。彩雲改二は、スヴァールバル諸島で二番目に大きな島、ノールアウストランネ島こと北東島に到着した。

 お近くのスピッツベルゲン島が大きさの割に狭く起伏に飛んだ地形が多いのに対し、北東島は全体的に緩やかだった。

 気候のせいもあって、植物が見えず不毛な大地が広がっている。デッカーのふんわりしたナビゲートに従い、彩雲改二は海岸線に近い擬装滑走路に到達する。


 遮蔽を解除。デッカーに教わった通信符丁で呼びかければ、応答があり、滑走路に光が灯った。


「柱田少尉、やれるな?」

『了解』


 彩雲ははじめはふらついていたが、直に落ち着き、見事な着陸を見せた。ドイツ海軍の誘導員が現れ、機体を掩蔽壕へと手招きする。敵の偵察機が現れても、地上に機体が見えないように隠す意図である。エンジンを切らず、彩雲は掩蔽壕までゆっくりと進む。


 やがて、機体は隠れると、エンジンを止めた。一息つく柱田。神明、そしてデッカーはコクピットから出る。

 わらわらと整備員と、案山子の人形のようなものが集まってきて、柱田はギョッとした。


「な、何だ!?」

「大丈夫だ。自動人形というやつだ」


 デッカーが、柱田に落ち着くように言った。明らかに人と異なるものが動いていて、初見で面食らうのは無理もない。神明もまた、異世界人が使っているゴーレムを、簡素に仕上げたものだろうかと想像する。

 デッカーは、通信士席から降りる神明に頭を下げた。


「申し訳ありません、少将閣下。空からの誘導というのには慣れてなくて」

「君は潜水艦乗りだ。仕方ないよ」


 神明は飛行帽から、軍帽を被り直す。そこへ少佐の階級章をつけたドイツ海軍佐官が現れ、踵を慣らして敬礼した。


「お疲れ様でした、提督。グリンガー少佐です。お迎えに上がりました」

「ありがとう、少佐。私は神明。提督ではなく、参謀長だ」


 ドイツ語で返しつつ、答礼。


「それで、そろそろ明かしてくれてもいいんじゃないかな? 君たちの指揮官の名前を伺ってもよろしいか?」

「失礼しました、少将閣下」


 こちらへどうぞ、と少佐は案内しつつ答えた。


「我々ドイツ海軍残存軍を指揮しているのは、エーリヒ・レーダー海軍元帥閣下です」



  ・  ・  ・



 とんだ大物だった。いや、ドイツ海軍トップだった男である。

 エーリヒ・レーダー元帥は、欧州での大戦が始まる以前より、海軍の総司令官であり、欧州での戦争を指導してきた。


「ようこそ、日本海軍の勇士」


 レーダー元帥は精悍な顔立ちに、わずかに歓迎の笑みを浮かべて、神明を迎えた。


「エーリヒ・レーダー海軍元帥だ」

「神明 龍造少将です、閣下」


 残存部隊の指揮官というにはあまりに位が高かった。ドイツ軍の高官も高官だった。


「まさか、ここで閣下とお会いできるとは思いませんでした」

「一線を辞任し、名誉職に回された結果、国は滅びても生き残ることができてしまった。まあ、皮肉だよ」


 席を勧めて、レーダーも自身の席についた。地下基地、その司令官用の一室というべきか。地味ではあるが、造りはしっかりしている。


「辞任した、とは?」

「イギリスとの戦いで、我が水上打撃部隊が、あまりにあまりだったのでね。総統閣下が、水上部隊を全て解体しろ、と言うものだから、なら辞めますと私は言ったのだ。それで海軍総司令官を辞任した。後任にカールスを勧めたが、結果はデーニッツが引き継いだがね」


 そこでレーダーの表情が虚無になる。


「結局、辞任せず海軍総司令官のままだったなら、異世界人の侵略がベルリンに伸びた時に、総統閣下らと共に死んでいただろう……。運命とはわからないものだ」


 ドイツ第三帝国は、総統を失い、軍や政府の高官を失い、滅びた。異世界帝国の攻撃によって。


「しかし、レーダー閣下は生存された」


 神明が言えば、レーダーは視線を上げた。


「異世界帝国の侵攻が本土に迫った時、万が一の事態の備えて秘密の隠れ家を作る計画が持ち上がった。ハウデーゲン作戦……あぁ、君は知らないだろうが、元々は違う計画だったのだが、それに付け足しを行ったわけだ」

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