第655話、対岸の火事では済まない脅威
「空を飛ぶ円盤?」
山本 五十六長官は、一瞬聞き間違えたかと首をかしげた。
緊急の要件ということで、軍令部に呼び出され、草鹿 龍之介参謀長と樋端航空参謀と共に転移で向かったのだが、軍令部は騒然としていた。
永野 修身軍令部総長は珍しく表情が険しかった。
「また異世界人の新兵器だよ」
聞けばアメリカ東海岸に、円盤型の巨大飛行物体が襲来し、攻撃を仕掛けたのだという。ワシントンD.C.が攻撃を受け、ホワイトハウスも破壊されたらしい。
「ルーズベルト大統領は?」
「生きておられる……と思われるが、もしかしたら負傷されたのかもしれない」
永野曰く、現地も混乱しているようで、まだ公式の場に大統領が出てきていないという。ホワイトハウスが攻撃を受けたとあれば、アメリカ国民も動揺しているだろうし、いち早く大統領の無事を宣言し、健在ぶりをアピールすべきところではある。
が、それがない。関係筋は無事と言っても、本人の姿、あるいは肉声が届いていない。
「ワシントン、ブルックリン海軍工廠ほか、軍施設も攻撃の対象だったようだ」
「それで、その円盤は、撃墜できたのですか?」
アメリカ軍も黙ってやられたわけではないだろう。期待を込めて山本は言ったが、永野の渋顔は変わらなかった。
「いや、撃墜できなかったらしい」
本当なら、嘘でも撃墜したとアメリカ軍は報道したかったのだろうが、悠々と飛び去る円盤兵器の姿は、多くの者が目撃したのだという。
P38ライトニング、P47サンダーボルト、P51マスタングといった米陸軍の誇る戦闘機が迎撃したが、有効打を与えられず、逆に複数機が返り討ちにあった。
「敵は防御障壁を装備していた。米軍航空機の攻撃では歯がたたなかったらしい」
防御障壁付きの大型航空物体。それは厄介な相手だ、と山本は思った。樋端が『よろしいですか?』と口を開いた。
「米陸軍航空隊も、障壁付きの敵重爆との交戦は経験しているはずですが、それでも円盤の防御を破れなかった、ということでしょうか?」
障壁付きの重爆撃機――確かに、日本海軍もその対応を経験した。基本は数に任せた連続攻撃で、障壁を破壊したが……。
「防御障壁の強度は、それまでの航空機の比ではなかったということだろうね」
面白くなさそうに永野は答えた。これは珍しいことだった。永野総長が緊張している。いや焦っているようにも見えたのだ。
何に、と考えて、山本はその答えに気づいた。
「米軍が撃墜できなかった円盤。これが、日本にも現れる可能性がある……」
その言葉に、聞き役に回っていた草鹿参謀長、伊藤 整一軍令部次長の視線が動いた。永野も席を立ち上がった。
「どこから現れたかは謎だ。しかし異世界帝国が、転移技術を前線投入する兆候が散見されはじめている中、敵国首都や重要拠点に、直接攻撃兵器を送りつけてくる可能性もある」
それが先のワシントンD.C.への攻撃。同じことが、この帝都東京で起こったとしたら?
「陸軍も大慌てだが、海軍としても、この円盤兵器が現れた時、撃墜できるのか」
ちら、と永野は山本を一瞥した。
「もし連合艦隊がそれと対峙したとして、破壊はできるか?」
「私はまだ実物を見ておりませんから、確かなことは言えませんが……」
防御障壁に守られた巨大飛行物体。円盤というからには、これまでの航空機とはまったく異なる機構で飛んでいるのだろう。
重爆退治に慣れた米軍すら撃墜できなかった代物だ。通常兵器では対処が難しいが。
「こちらは障壁を飛び越す転移誘導弾がありますから、本体へ攻撃を届かせることはできるでしょう」
ただ、その転移誘導弾を何発撃ち込めば破壊できるのか、想像ができない。大型というが、やはり実物がわからないのでは、推定しようもない。
「落とせる保証はない、か」
「障壁以外にも、装甲が厚くて、対艦誘導弾では損傷を与えられない可能性もあります」
もちろん、装甲は紙っぺらで、一発でも本体に当てられたら撃墜できてしまう、ということもあるかもしれないが。
樋端が口を開く。
「空を飛ぶ以上、機体は軽いほうが望ましく、推進するためにも重さとなる重装甲は考えにくくはあります。ですが、今回の敵は、そもそも飛行の形式が違うように思われます。従来の航空機の常識で考えてはいけないと考えます」
最終的には、実物を見る、詳細の情報を得ないことには、いくら案を述べたとて保障のない空論にしかならないということに落ち着く。
「対応策がないとなれば、敵は嵩にかかってくるに違いない」
永野は窓から外の景色を見やる。
「しばらく米本土上空を荒らし回るだろう。そしていつ、我々の真上に円盤が現れるとも限らない。帝都はもちろん、皇居に一発でも敵の攻撃が行くことは、あってはならないのだ」
軍令部総長が強い緊張を感じている理由がそれである。異世界人にその手の区別がつくとも思えない。
「異世界人に、日本を攻撃したらどうなるか、分からせてやるべきだと、私は思う。初撃で止められるかが肝心だ」
と、永野は告げた。
「詳細の情報は集めさせる。敵円盤が、帝都ないし内地、あるいはそれぞれの軍施設に襲来した時に備えて、防空隊には転移誘導兵器を配備し、即時撃退できる態勢を取る。それも最優先で」
今この瞬間にも、敵が動き出しているかもしれないのだから。
・ ・ ・
「永野総長が、あそこまで強い態度で出るのは珍しいことです」
軍令部を離れ、連合艦隊司令部に戻ってきたところで、草鹿は言った。山本は頷く。
「それだけ、切迫している状況ということだ」
アメリカだって本土襲撃に備えて警戒していたはずだ。だがそれが易々と侵入され、ホワイトハウスまで破壊されたという。
永野だけではない。海軍省も陸軍もまた動揺が大きいだろう。
しかし――樋端が淡々と言う。
「転移誘導弾が、各防空隊に緊急配備となりますと、連合艦隊への供給がまたも遅れることになりますね」
目下、大生産中の転移誘導弾は、防御障壁のある敵艦への攻撃には欠かせない。連合艦隊でも第一、第二機動艦隊向けに配布が進められているが、まだ充足率は高くない。
連合艦隊は、マダガスカル島の紫、そして赤の艦隊を攻撃する作戦を検討していたが、転移誘導弾が不足するのであれば、作戦遂行が遠のくのは間違いなかった。
「それはそうなんだが、僕として、やはり内地を円盤に叩かれるほうが嫌だな」
得体の知れない円盤が撃墜できる代物であってほしい。情報が不足しているから、必要以上に脅威を感じてしまっている気もするが、実際そのレベルの性能があった時が怖いのだ。
「気持ちとしては早く落とせることの証明がほしいが、各防空隊の準備が整う前に、来てほしくもないわけだ」
上手くいかないものだ、と山本は自嘲するのであった。
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