第539話、カルカッタ危機


 すでに異世界帝国軍は、カルカッタを目指して上陸していた。

 陸軍のカルカッタ守備隊は交戦中だが、状況は極めて不利である。何より、警戒が薄れていた。


 海軍がインド洋とベンガル湾で敵輸送船団を撃滅していた頃は、非常時に備えて防衛線を準備し配置についていた。しかし今は、危機が去ったとみて、通常配置に戻っていたのだ。


 青天の霹靂だった。

 敵はゲートを作り出し、そこから陸軍の上陸部隊を吐き出して、ハルディアに橋頭堡を確保。物資を集積し始めた。

 その上空には、大量の小型戦闘機――スクリキが展開しており、陸軍の現地航空隊も撃退されてしまった。


 さらに悲劇は襲う。

 セイロン島、トリンコマリー軍港を、異世界帝国軍の航空隊が襲来し、駐留していた第七艦隊の艦艇と港湾施設にダメージを与えたのだ。


 カルカッタに上陸した際、もっとも近くにあって、反撃してくるだろうセイロン島の日本艦隊を先制して攻撃してきたのだ。


 内地の連合艦隊旗艦『敷島』に入った悲報は、司令部に衝撃を与えた。


「戦艦『隠岐』大破。空母『白龍』『赤龍』『翠龍』、大破着底。転移巡洋艦『根室』被弾、中破。駆逐艦3隻ほか、港にあった輸送船複数に被害とのこと。……残りの艦は、修理中のものを除き、コロンボ港にあり健在。現在、警戒行動中」


 一番近い位置にある艦隊である第七艦隊が、先制攻撃で潰された。電探で接近を気づけなかったのか?――おそらく誰もが思っただろう。


 敵には遮蔽装備の航空機があり、数件の単独襲撃はあった。しかし今回は、複数の空母から飛来したと思われる大規模攻撃隊であった。

 話を聞いた神明は、おそらく潜水型が遮蔽装備で、トリンコマリーに接近し、数分とかからず攻撃できる位置で艦載機を展開し、第七艦隊に対処の時間を与えなかったのだろうと想像した。マリアナの敵基地に対して、かつて第九艦隊がやった手法だ。


 ともあれ、敵の奇襲は成功し、第七艦隊の航空戦力の主力である第十一航空戦隊が壊滅。残る空母は潜水型空母2隻、哨戒空母1隻という有様だった。

 つまり、現地戦力の反撃は、現状難しいということだ。第七艦隊は、戦艦『扶桑』『山城』が修理でドック入りしており、唯一健在だった『隠岐』もトリンコマリーで大破し、戦闘不能である。


「極めて、厳しい状況となった」


 連合艦隊司令長官、山本 五十六大将は焦りを感じていた。

 陸軍が大陸の異世界帝国軍と激闘を繰り広げているが、それが敵の補給不足にも助けられているという点を海軍も認識している。

 そしてインド防衛線の裏、カルカッタへの敵の進出は、そうした補給事情を大きく変える。そうなれば、息を吹き返した異世界帝国軍が攻勢に出て、日本陸軍の大陸防衛軍は窮地に立たされる。


 だからインド洋、ベンガル湾での戦いでも敵艦隊と船団を断固阻んだのだ。それがひと段落したと思った矢先に、それまでの努力を無駄にするかのように、敵が現れ、あまつさえ上陸までされてしまった。

 勘のいい者ならば、日本の敗戦への秒読みが始まったと解釈するだろう。


「おそらく陸軍は、カルカッタの敵を撃滅するよう、海軍に出動要請を出しているだろう」


 連合艦隊には伝わっていないが、海軍省ならびに軍令部に陸軍の高官が乗り込んで、この危機的状況を語っているだろう。

 憂いをみせる山本。草鹿 龍之介参謀長は口を開いた。


「何ともよろしくないタイミングです。ソロモン作戦、インド洋、ベンガル湾での連戦で、我が連合艦隊は多くの損傷艦を出し、無事な艦も弾薬不足」


 さらに、と草鹿は渋い顔になる。


「現在、補給と共に乗員の休養、補充、艦の補修作業などが多く進められており、即時行動できる艦は限られています」


 第一艦隊、第一機動艦隊、第二機動艦隊の多くの艦艇が、修理とは別に、溜まりに溜まった補修作業など整備をしている状態だった。大規模な戦いが続き、ガタや不具合が出る前にメンテをしておこうというのである。


 だから、陸軍がいくら要請しても、今すぐにまともな艦隊を送るのは難しい。本来は予備として動員できたかもしれない第八、第九艦隊は、ベンガル湾での迎撃に急遽投入された挙げ句、紫星艦隊によって手痛い損害を受けてしまっていた。


 現在の内地には、そういう整備や修理中以外の艦艇で、防衛艦隊を編成はしていたが、それを投入することは、本土を丸裸にするようなものであった。いくら陸軍が声を大にしても、海軍省や軍令部も丸ごと派遣は躊躇するだろう。


「しかし、何もしないわけにはいきません」


 樋端航空参謀は、一同を見回した。


「使える戦力を集め、臨時艦隊を編成し、カルカッタの敵を撃滅せねばなりません」


 でなければ、日本は終わる。陰鬱な空気になる司令部。山本は、中島情報参謀を見た。


「カルカッタの状況は、何かわかったか?」

「現在、カルカッタより南は敵に押さえられたものの、敵はそれ以上の侵攻をしていないようです。それよりもゲートで揚陸した部隊は東へと進撃を開始していて、集積した物資もまた輸送車両を使って運び出しているようです」

「まだ守備隊は残っているのか」


 意外そうな顔になる山本。てっきり、大挙押し寄せられて壊滅したと思っていたのだが。

 草鹿も首をかしげる。


「敵は守備隊撃退よりも、軍の東への進出を優先させているということですね」


 万事、足元を固めていく慎重派の草鹿にとっては、この敵のやり方は些か眉をひそめるものであった。


「それだけ大陸侵攻軍にとっては、切羽詰まっている状況なのでしょうか。……敵に焦りが見えます」


 日本軍のインド方面軍の後背を突ける好機である。前線と挟撃作戦をとれば、インド方面軍を壊滅させ、一気にインドを手中に収めることもできたはずだ。

 だが敵はそれよりも、中国方面に進出している大陸侵攻軍への増援、物資輸送を優先させているように見える。そうせざるを得ない事情があるのだろう。

 しかし――渡辺戦務参謀は発言した。


「インド方面軍は幸運かもしれませんが、結局敵に東部を抑えられれば、おしまいです。こちらから増援を送ろうにも、今すぐ動かせる艦隊がありません」

「――必ずしも艦隊である必要はないのでは?」


 ふっと声が割り込み、参謀たちは視線を向けた。発言したのは神明第一機動艦隊参謀長だった。

 ここではオブザーバーも同然で、特に求められない限りは、発言権はない。が、山本は促した。


「神明君、説明を」

「はい、長官。敵が物資輸送と増援を大陸侵攻軍に優先させるのであれば、まずその供給源であるゲートを早期に叩き潰すことで、敵のそれ以上の増援を阻み、カルカッタ近傍に孤立させることができます」

「……!」

「そしてゲート破壊だけなら、艦隊でなくても臨時編成部隊でも可能です」


 まずは小部隊。それで最初にゲートを排除して、それ以上数が増えるのを阻止。再編した艦隊を送るまでの時間を稼ぐ。


 実際、日本海軍はソロモン作戦の時、わずか3隻の小部隊をオーストラリア東海岸に送り込み、そこにあったゲートを1個中隊の奇襲攻撃隊で破壊しているのだ。

 やってやれないことではない。

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