第27話:道中

「朋友? そういえば、そうも言ってたがジルニアは戦い続けたうえに最終的に殺した相手だったんだろ?」


 相反する感情が両立するような発言を聞いて、クオンは脳内に疑問符を浮かべる。それに対し、アルピナは明るく笑ってみせて答える。


「友であることは殺さないことの理由付けにならない。必要に応じて必要な対処を下す。感情に囚われて行動の範囲を狭めることは更なる不合理を招く原因だろう」


 しかし、彼女の笑いはいつもと違っていたようにクオンは感取した。いつもの明朗な、且つやや傲岸不遜で冷徹な笑顔ではなく、どこか悲哀に暮れた人間臭さが含まれるものだった。


「悪魔の価値観に横から口を出すつもりは毛頭ないが、俺には理解できないな。尤も、理解してほしいわけではないだろうがな」


「ああ。理解した気になって己の勝手都合な解釈を押し付けられても面倒だ」


 それに、とアルピナは心中で笑う。


 君はいずれ知ることになるだろうからな。今は無理に知っておく必要はないだろう。


 アルピナは、クオンの瞳を見据えながら年相応の可憐な笑顔を与える。悪魔らしさに裏打ちされた人間の少女らしい儚さは、彼の脳裏に不明瞭な違和感を与える。


「ん? どうした?」


「いや、何でもない。それより、あまり無理をし過ぎるな。聖獣はあくまでも天使の成り損ないだ。本命を前にしてくだらない理由で凋落するようなマネはするな」


「わかってるさ。だが、お前みたいに余裕がある訳じゃないからな。それに、天使と戦う前の鍛錬にもなるだろ?」


 強引な解釈で前向きに取り繕う彼の態度を見て、アルピナは瞠目する。やれやれ、と息を吐いた彼女は少し離れた場所から事の顛末を見届ける。しかし、同時に彼女は青い双眼を金色の魔眼に染め換えてカルス・アムラの森を俯瞰する。天空を舞う猛禽鳥のように全体を把握するそれは、彼女の魔力をもってすれば造作もないことだった。


 やはり、龍人たちも動いたか。しかし、この様子ではすぐに聖獣どもと遭遇するだろうな。


 龍人たちが発する龍脈と聖獣たちが放つ聖力。それらは同程度の力を有している様だが、経験の差で聖獣に軍配が上がるだろうとアルピナは予測する。それは、長年の戦闘経験が与える知識と悪魔としての知能が齎すもの。龍人といえども、本質は龍と同一でありその魂に大きな差はない。ともなれば、その実力や戦闘技術は凡そ予測ができる。それでも、龍脈に対する認識の差が生み出す変化にアルピナは興味を見出していた。

 アルピナは、無意識に東の空を見上げて不敵な笑みを浮かべる。


 さて、クオンは放っておいても危険に晒されることはないだろう。龍人達がどんな動きをするか楽しみだ。


 そんな様子を横目で一瞥したクオンは、彼女の思考を朧気ながらに察知する。


「そんなに龍人が気になるのなら様子を見に行ったらどうだ?」


「まさか。ここが王都のように比較的安全が保たれた町であるなら兎も角、こんな森の直中でワタシが君の側を離れるわけがないだろう? 契約がある以上、君を危険に晒すわけにはいかないからな」


 これが恋愛創作物なら、ちょっとした山場として陶酔的な脚色が施されているだろう。しかし、現実は人間と悪魔による契約の再認識である。つまり、この場にあるのはアバンチュールな誘惑ではなくルースレスな隷従なのだ。

 それでも、クオンは僅かばかり感情を揺さぶられるような反応を見せる。自由奔放な言動の裏に見え隠れする彼女の悪魔的魅力は、彼の心に信心を植え付ける。そんな彼の心情を、アルピナは玲瓏な蒼眼で見つめる。猫のように大きなそれは彼女の自由奔放な態度を如実に示し、同時に吊り上がった柳眉は彼女の冷徹な感想を表現する。

 そもそも、何故彼女がこれほどまでにクオンに執心を見せるのか。それを現状理解しているのは彼女のみであり、クオンが思い至ることは不可能である。それは、彼女が終生に渡って抱き続ける敬愛と尊厳の追求であり幾星霜に連続する決意の表出でもあるのだ。

 そんな彼女の心情を置き去りにするように、クオンはアルピナから視線を外す。果たして、彼女は自分に何を見出して契約を結んだのだろうか。外面も内面も等しく人間だと自負する手前、アルピナの深層に漂游する本質的思考を掴み切れないのが歯がゆい。

 その間にも、数多の聖獣が骸を大地に転がす。肉体を失い暴流する魂が悪魔の手腕により昇天し、褐血と臓肉の悪臭が彼らの嗅線毛を刺激する。


 慣れないな、この臭い……。


 不快感に顔を顰めつつ、遺剣に付着した血液を振り払う。目に見える範囲の聖獣は全て討伐され、束の間の休息を全身で浴びる様に深呼吸する。熱気を帯びる身体から滲出する汗が、聖獣の返血と綯交して滴落する。重量感と閉塞感を齎す上衣を腰に巻き、木の葉の隙間から覗く日輪を恨めし顔で睥睨した。


「随分、日も登ってきたな。アルピナ、目的の砦とやらまではどれくらいかかる?」


「そうだな……聖獣の量にもよるだろうが、一時間もかからないだろう」


 しかし、とアルピナは森の奥を睥睨する。金色の魔眼が、鋭利な眼光を内包しつつ殺意と享楽に満ちた狂気を醸出する。そして、指を銃にすると森の奥へ照準を合わせる。彼女の身体を循環する高濃度の魔力が指先へと集約され、禍々しさと神々しさが両立する魔弾が構築される。

 彼女の指先から放たれた魔弾は、大木を貫通しつつ森の奥へと消える。そして、数瞬遅れた爆音と断末魔を二人の耳に齎す。暴風が森の木々を抜ける様に吹き荒び、アルピナの黒髪は激しく靡く。雪色の大腿をチラリと見せるスカートが扇情的に翻り、長いコートがそれを隠す。


「この様子ではなかなか前に進ませてはくれないようだ」


 魔眼を閉じて小さく息を吐くと、コートのポケットに両手を仕舞う。苛立ちと不満を吐き捨てる様に舌打ちを零すと、遠くの空を眺める様に目を細める。


「やはり、雑兵が幾らいたところで暇つぶしにもならないな。シャルエルは一体何を考えている?」


「天使を出し渋るということは、それだけ数が少ないということじゃないのか?」


「まさか。我々悪魔なら兎も角、天使は戦勝種族としてそれなりの余力が残存している。加えて、我々神の子がいるのはこの世界だけではない。必要なら他の世界から連れてくれば幾らでも補充は効く」


 失われた同胞の魂を偲ぶように呟く彼女の瞳は寂しさを零す。しかし、刹那的に見せたそれもすぐに普段通りの冷酷な光を与える。

 アルピナは、巨木に凭れて一息つくクオンの眼前に徐に歩み寄る。そして、可憐かつ冷徹な相好をそのままにクオンを見上げ睥睨する。


「進むぞ、クオン。それとも、もう限界だったか?」


「まさか。お前から預かった魔力も、随分と身体に馴染んだ。おかげでまだ動ける」


「フッ、そうでなくてはワタシが契約を結んだ甲斐がない」


 或いは、と彼女は振り返る。背中を見せたまま紡ぐ言の葉は単なる独り言か、それとも彼への問いかけか。どちらともとれる発言だった。


「それこそワタシが翹望していた成果なのだろうか?」


「何の話だ?」


 服を正しつつクオンは尋ねる。しかし、そんな彼の疑問は彼女の微笑に吹き飛ばされる。


「こちらの話だ。気にする必要はない」


 しかし、天使もまたそれを知る時が来れば面倒が増えるな。それとも、既に知っていてこの事態が引き起こされているのか? やはり直接問いたださねばならないか。


 行くぞ、とアルピナが先導して二人は森の奥へと進む。潜伏する聖獣に死を送りつつ二人は着実に天使の膝元へ進んでいた。

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