第13話:ナナ
「……何故止めた?」
「あれ以上は時間の無駄だ。徒に労力を費やしたところで得られるものはない」
まったく、問題が山積みだ。龍人の発生要因、湖水を毒沼化させた目的、ワタシの探し物、クオンの目標、そして聖獣と天使の目的、そしてなによりスクーデリアの安否……。これらがそれぞれ別の事象か、或いは関連するのか。できれば後者であってほしいものだが……。
さて、とアルピナは振り返ると森の奥へ足を進める。その軽やかな足取りは疲れを知らない神の子故か、それとも彼女の気分を高ぶる発見があったのか。クオンにはわからなかったが、特にそれを指摘しようとも思わなかった。
「そろそろ先へ進もう。ここで話していても何も変わらない」
それから数十分、二人は毒沼を避けるように進む。尤も、アルピナは自由に空を飛べるためクオンだけが苦労を被ったのだが、それに対する不満はそっと胸の奥深くへとしまい込む。しかし、進んだ先々で暇そうにクオンを待ちわびるアルピナの挑発じみた態度にはどこか苛立つ場面もあったりしたが。
ともかく、二人は着々森の奥へと進む。もともと観光客は少なく、一部の行商人や役人程度が定期的に訪れるような僻地である。そのおかげもあって道はそれほど整備されておらず、ところどころは毒沼に浸食されて久しい。
「ん? あれは……」
その時だった。二人は道の先で一人の少女が蹲っているのが目に留まる。その周囲には複数の聖獣が流涎して得物を見定める猛獣のような瞳で取り囲んでいた。
「魂の色が人間とは異なるな……恐らく龍人だろう」
アルピナは青い瞳を金色の魔眼に染め開いて少女を注察する。そして同時に心中で思う。
しかしあの魂……ジルニアによく似ている。懐かしくもあるが、他人の空似か?
「助けるつもりか、クオン?」
「当然だ」
語るより早く、クオンは駆ける。遺剣を握り進むその速度は木々の間を吹く風のように速く軽やかだ。しかしその剣から放たれる一撃は非常に重く、数多くいる聖獣たちを容易く粉砕する。まるで赤子の手を捻るよう。そんな様子を楽し気に眺めるアルピナは、肉体から零れ落ちた魂を神界へ送り続ける。
その間も少女は恐怖で身震える。自身に危険を与えかねない外敵を容易く蹂躙する外敵が現れたら警戒せずにいられないのは自明の理。しかし、だからといってどうすることもできず少女は硬直する。
「クオンの奴、既に聖獣程度なら容易く狩れるようになったか。相変わらずの成長速度だ。態々ワタシが手心を加えるまでもない」
アルピナは腕を組んで事の成り行きを見守る。参戦も視野に入れていたが、どうやらその心配はないと確信する。アルピナの想定を上回るクオンの成長速度は、ヒトの子でありながら聖獣を容易く屠る。
そして、ものの数分で聖獣たちは全て滅ぼされる。肉体も魂も全て神界へ送られ、少女の身に害を与えかねないものは全て洗い流された。クオンは遺剣を収めると少女の前に跪く。聖獣に大切な者を奪われた経験があるからこそ、クオンはその少女を捨ておくことができなかったのだ。
「大丈夫か?」
「は、はい。大丈夫です。……ありがとう……ございます」
少女は地面に座り込んだまま、礼の言葉と共に頭を下げる。その瞳には大粒の涙が浮かぶ。幼い——龍人の外見と実年齢の関係は不明だが——少女には酷な出来事だったのだろう、とクオンは推察する。事実、クオンも聖獣に襲われたときは死を覚悟したものだ。
「なかなか様になってきたようだな、クオン」
「おかげ様でな」
徐に歩み寄るアルピナに振り向きつつクオンは微笑を浮かべる。かつて死を覚悟した相手に余裕をもって対処できたという経験が、彼の心に自信を取り戻させていた。
クオンは少女の手を引いて起こすとケガの有無を確認する。そして、彼女の額に浮かぶ二本の短い角を見つつ尋ねる。
「どうやら、大きなケガはないみたいだな。……ところで、やっぱり君は龍人なのか?」
「あ、はい。龍人のナナといいます。助けていただきありがとうございました」
質素な、おそらく龍人の民族的な服を身に纏った少女は改めて頭を下げる。白銀の髪を伸ばし、かつての龍と同じく、琥珀色の瞳が光る。一方で多くの龍が持つ翼は持ち合わせておらず、比較的人間に近い容姿をしていた。
「あの……助けていただいて厚かましいかもしれませんが、私の兄も助けていただけませんか?」
「兄?」
「はい。私の双子の兄、レイスも私と同じようにあの魔物に追われて森の中へ。お願いします!」
クオンはアルピナの名を呼びつつ振り返る。そして、その言葉の裏に含まれた意味を汲み取った彼女は、しかし現実的な態度を突きつける。
「助けたければ一人で行くんだな、クオン。ワタシは悪魔だ。悪魔は契約に基づいてヒトの子を助ける。ワタシに願うならばそれ相応の対価を差し出せ」
「そうか。だったら俺が——」
しかしクオンの言葉はアルピナの声に阻まれる。
「残念だが、君は今ワタシと契約を結んでいる。仮に君の身に何らかの害が生じた場合、その契約はどうなる? そもそも、契約に際して君がワタシに差し出した対価は時間だ。つまり、ワタシ以外の者に時間を使ったことは本来契約違反に当たる。その意味がわかっているのだろう?」
アルピナの魂から溢出する高濃度の魔力は、クオンをして硬直せざるを得ない。不用意に動けば魂を砕かれてしまいそうな恐怖がクオンの心を覆い被さる。
「……わかってるさ。だがな、だからと言って見逃すわけにはいかないだろ」
アルピナは指を銃にして無言でクオンに突きつける。指尖に魔力が集まり、破壊と衝撃の光球が形成される。それに対してクオンは一切臆することなく彼女の金色の目を見据える。
そんな二人の殺伐としたやり取りにナナはおずおずと、しかしハッキリと口を挿む。恐怖と不安に臆する心を奮い立たせ、乾坤一擲の声を発した。それは、最愛の兄を守るための覚悟の言葉だった。
「でしたら、私と契約を結んでください。それなら問題ないのではないでしょうか?」
ほぅ、とアルピナは手を下ろす。それを受けてクオンはホッと胸を撫で下ろすと同時に事の成り行きに一抹の不安を感取する。クオンがアルピナと契約を結んだときは何事もなく終わった。しかしそれがこの場においても同様に進むとは思えない。クオンが契約を結んだのは事の成り行きの他にアルピナの自由意思に基づく気まぐれという側面を含む。しかし、ことナナとの契約においてはそれがない。つまり、本来あるべき契約としての形はこれが初めてであり、クオンにも予想がつかないのだ。
「悪魔との契約はそれに相当するだけの対価を必要とする。兄の救命と引き換えに、君は何を差し出す?」
「……何でもします。兄を助けていただけるのであれば惜しくありません」
毅然とした態度で言い切った彼女の瞳は迷いも後悔もみられなかった。それが彼女の本心であることは誰の目にも一目瞭然だった。
「では、君達兄妹には、終生にわたる忠誠を誓って貰う。それを以て対価としワタシと契約を結ぼう」
アルピナが指をパチンッと鳴らすとナナの胸に魔法陣が浮かぶ。それを介してアルピナからナナの魂へ魔力がそそがれ、契約の証が刻み込まれた。さて、とコートのポケットに手を入れると、アルピナは金色の魔眼を森の外れに向ける。
「では、君の兄を迎えに行こう。ここからそれほど離れてはいないようだ」
「よく、この子の兄がわかるな」
「兄妹なら魂の色はそれほど大差ない。それに、先程の契約の際に魂の記憶を見させてもらった。おかげで大した苦労はない」
素直じゃないなぁ、とクオンは苦笑しつつアルピナを見下ろす。
「初めからそれが目的で契約を結んだな? あの子の兄の魂を知るために」
「まさか。ワタシはあくまで本来あるべき手順に則って行動したに過ぎない。契約を結ぶ必要があるのは事実だからな」
行くぞ、と身を翻すとアルピナは森の奥へと進む。その後をクオンとナナはついて行くのだった。
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