第3話 妻の定年

 ブオー、プオーオー。


 向かいの中学校から吹奏楽部が練習する楽器の音が聞こえてきた。


 それが私には合戦の合図を告げる、ほら貝の音に聞こえてしまう。


 おのおの方ご油断めさるな、敵はもうすぐそこですぞ。


 そこへ夫がのっそり現れた。


「お腹空いた」


 何、兵糧(ひょうろう)がつきたとな、慌てるでない。


「しばしお待ちあれ」


 冷蔵庫と流しの間を忙(せわ)しなく動く私。


 長刀(なぎなた)ならぬ包丁を握りしめ、まな板の上で荒々しい音をたてる。


 真夏のガス台の上のフライパンは灼熱地獄。


 戦はまだ始まったばかり。


「何かつまむものないかな」


 夫はあたりをゴソゴソ。


「ああ、じゃま、ここは戦場なのよ」


 せんべいを手に、またスゴスゴと自室に引き上げて行った。


 ええい、助太刀(すけだち)いたす気がなき者は、早々に立ち去るがよい。


 しかーし、この台所の城の明け渡しを所望するとあらば、いつでも心の準備は出来ている。いや、むしろ喜んで差し上げようぞ。


 ほら貝の音も止んで、合戦は終わった。


 私は首に巻いたタオルで額の汗を拭った。


「ご飯できたよー」


 夫の部屋に声をかける。


「はーい」


 のんびりした声が返ってきた。


 わらわは、いつまでかようなことをしなければならんのや。


 戦はしんどいよのう。


 夫が定年になったら、男の料理教室に通うと言っていた話も


コロナの影響で頓挫したままだった。




 以前、こんなエッセイを書いていた。

 いらんこと書いたらほんまになってもうた。








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