第9話 はじめましての日⑨
王立学院の敷地は広く、正門とは反対側に外周を回ったためか、住宅街の方に来たようで人通りも少ない。このまま進むと王城の塀や柵が見えてきて、柵の内側には宮廷に続く行政街があり、夜は人気のない地域と言えた。
「グランベル様、着いてきていただきありがとうございました。プリシラ様にお渡しできた上に、恩師の先生と挨拶までできました。」
夜の近衛が多いマリウス様には、王宮内でもほとんどお会いする機会もなく、子どものころ数度遊んでいただいたのを除けば、今日が初対面と言っていい。
それを、王女殿下の命とは言え、大切な夜会の日に、護衛のように振り回してしまっていた。
「いえ、王女殿下の名代で会われたので、これは仕事のうちでしょう。それから。」
それからと言いながら、御者に声を掛け、王城の塀に沿った街灯の近くに馬車を停められた。
気がつくとマリウス様に手を取られている。
「それから、先程も伝えましたが、二人きりのときはマリウスと呼んでください。」
手袋越しにやんわり握られた左手は、どうして良いかしらわからない。窓の向こうには学院の校舎裏に続く垣根から、大きく伸びたニワトコの新芽と、スズランエリカの白が顔を出している。ここはあまりにも静かな場所ではなかろうか。
「このような場所に停めては、往来の迷惑になりませんか。」
そのうち学院の夜会や行政街から、人や馬車が出てきそうだ。
「少し涙ぐまれている貴女を、このまま戻せませんからね。それにこの辺りは人通りも少なく、わざわざ邪魔をするものもいません。」
何だか、感傷的になっていた気持ちも引っ込む。どう見ても邪魔なのは、この王家の馬車のはずだ。それなりに目立つ。何より早く、殿下のもとに帰りたい。
「せっかくの夜会です。何よりソフィアメーラ殿下のお側で過ごしたいのです。」
何から何まで、先輩侍女に任せきりで、私の立つ瀬がない。しかも、王女殿下付きの隊長はマリウス様ではないのか。不在が長くて良いはずがない。
「あなたに王女殿下の側で過ごす上で、もう一つお話しておくことがあります。」
左手は離してもらえないらしい。つい握られたままの私とマリウス様の指を見てしまう。
「ソフェーリア嬢。」
「はい。」
急に名を呼ばれ、マリウス様を見つめる。
「王宮の中では、私たち、特に、ヒュンベルト殿と私とあなたは、王女殿下の耳目と思って動いてください。」
言われている意味はよくわかる。
「何を見たの。」
王女殿下に学院内でも度々問われ、そう振る舞って来たつもりだ。見たものを馬車の中などでお伝えし、判断するのは殿下だった。私は仮説を立て、証人があれば見つけておく。
マリウス様は私を見つめる。銀の睫毛に縁取られた青い瞳が外せない。
「危険を強いることはありませんが、少しでも違和感を感じたら王女宮まで逃げてください。今日いる王女殿下付きのものたちは信用できると言っていいでしょう。」
それから、とマリウス様が手の甲を引き寄せた。
「私があなたをお護りします。」
手袋越しに、指にキスをされた。引き抜きたいが、引き抜けない。少し痛い。
「お戯れを。グランベル様が護られるのは、王女殿下であり、王族のはずです。」
マリウス様は指を離されない。銀の髪は靡かない。
「今日もそうですが、近衛第六隊全体の指揮は副隊長のミルバルトです。私やヒュンベルト殿は直接殿下の盾に剣になるのが役割だ。」
だから、とマリウス様はもう一度、私の手を引き寄せ、そしてもう一度キスを指の付け根に施す。
「あなたが盾になる必要はない。ダバルシャン家に生まれた姫君。あなたは護られる立場で良いんだ。」
父の代に娘はなく、パトラン家に生まれた女は、分家も含め私と大伯母のみだ。青い髪を持つのも私と大伯母、次兄を含め、血縁者に数えるほどしかいない。遠くなったダバルシャン家はもう消え行く家だろう。
「私はパトラン伯爵家の娘ですわ。」
私自身はいつでも消えてしまいたいが、それは貴族として許されるものではない。
「王族に少しでも近いものは知っているが、ダバルシャン侯爵家は停止を次の代で許されている。代々のパトラン家当主が名を受け継がないだけでね。それぞれの責任は代々果たされてきている。」
自らも辺境侯爵家で、兵や城を受け継ぐ令息は私に告げる。ダバルシャン城は受け継がれているだろうと。
「だからあなたは、侍女として王女殿下の側で話相手になってくれたらいい。それを私たち近衛が護る。ただどうしても、女性でなければ入れない場所にはあなたに行ってもらう。それを護る。」
マリウス様は、大きく息を吐いて一呼吸いれられた。
「先程のように、王女殿下の名代で人に会ってもらう。危険が伴う相手などいないはずだが、常に万が一は考えてある。」
それでも、と口を開けそうになる前に、両手を握り込まれた。
「王族が一番と考えず、近衛を盾に。女性を護れない騎士はいないはずだ。」
王族を護り、女性や子供を護る騎士の誓い。
女性や兵を駒にしか思えないものには、心底理解できない落差があるだろう。そして私もまた、騎士家の人間だった。ただ私は―。
「私は、王女殿下のお側にいたい。それだけです。」
それを告げるとマリウス様が息を呑んだ。少し指先が緩められる。
と、同時に馬車がグラリと揺れた。
「出てこい!マリウス!!」
「隊長。パトラン卿から攻撃を受けました。」
御者台にいるハンター様が、少し焦った声で伝えてきた。
もう一度、次は雷のような音がして防御壁が揺れたのが分かる。外にいるのはセドリックか。
「マリウス様、魔法防御の解除を。近隣に迷惑がかかってしまいます。」
思わずそっとマリウス様の手を握ると、青い瞳が揺らめいた。
「やっと名を呼んでくれたね。いいだろう、解除しなければ、馬車が傷つくかもしれない。」
マリウス様が魔法防御を張って、何かを傷つけるなど難しいだろうが、次兄はどれだけの魔力を込めたかは計り知れない。
マリウス様が防御を解除し、ロックを外した直後、青い髪が闇の中から滑り込んで来た。
「どういうつもりだ!マリウス!」
「やあ、セドリック。王城の近くでこんなに魔力を使ったら、宮廷魔法師が飛んでくるぞ。」
王家の馬車に乗り込み、近衛騎士を突き飛ばしたのは次兄だった。開いた扉から、地面が焼け焦げているのが見えた。本当に、宮廷魔法師か憲兵が飛んで来そうだ。
「防御壁だけでなく、防音壁まで張って、一体どういうつもりだ!」
ハンター様が慌てて扉を閉め、馬車が動き出す。
角を曲がり、王立学院の門が見える頃、憲兵隊の馬車とすれ違った。次兄は私を窓側に座らせ、隣に座り直す。
まさか、攻撃をしたものと防御壁で受けたものが、同じ馬車に乗っているとは思われないだろう。
少し遅れて、パトラン家の馬車がやってきた。同じように王立学院に入る。
そして、私達は王女殿下から、近隣の落雷によって夜会がお開きになったことを知ることになった。不幸中の幸いは、すっかり夜会が進行し終宴の挨拶をするだけになっていたことだった。
「全てマリウスのせいだが、私は十日間の謹慎にはいります。」
パトラン伯爵家の次男は、王女殿下に全て話した後で、まだ帰っていなかった一部の夜会客によくわからない言い方で頭を下げた。
会場の話を聞きに来た憲兵が、酔ったジェレミー先生の荷物から、禁止薬物を発見し連れて行かれることとなり。
噂は噂を呼び――。
私の長い一日が終わった。
私が王宮に入ってからも暫くの間は、マリウス様を見かけなかったことは、言うまでもない。
隣国で王妃になる王女殿下に随伴するはずの見習い侍女ですが…。 藍冴える @jeanatama
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