第2話 はじめましての日②
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王宮内では、他の宮から少し離れたソフィアメーラ殿下の王女宮でも、新しい流行りがあれば、ドレス、家具、魔道具を運ぶ商会を呼び、外交で賑やかな第一王子宮の様子は伺える。
そして、棟続きの王の宮と王妃宮を挟んだ居住区の反対側に、第二王妃宮、第二王子宮があり、もう少し奥に第三王子宮がある。残り半分程に当たる敷地に、他にも使用していない宮が幾つかあるのは、多くの側室を構えたころの名残だろう。
第三王子であるリューク殿下は、利発で活発な男の子だ。居住区の中庭や騎士団の練習場で、剣の練習をする姿が見かけられ、ジグリード殿下の子どものころと良く似ているらしい。
もう一年経ち、次の春になれば王立学院の一年生だが、少し身体が華奢で幼くみられるようだ。
王妃陛下と第二王妃殿下は表面上は仲がよく、上手く行っているようだった。
それでも居住区内では特に、他の宮との関係に気を使うため、王妃や第二王妃よりも、お茶会などの多い第一王子の宮は、少し浮いた存在だった。
王子としての公務や所管事務の一部が、同じ母を持つ王女宮に流れてきていた。ソフィアメーラ殿下は、御自身の公務の他に財団の理事会などにも出席されていた。
王女殿下の支度をする側で、中央の侯爵家の三女である、先輩侍女エミリア様は静かに憤る。
「振替えされるのであれば、王子妃の職務ではないのでしょうか。」
「王家の持つ財団ですからね。デビューを終えた私に、割り振られるのは仕方がないわ。」
「新婚ももう二年過ぎて、御子もないのに。外出といえば視察旅行や観劇ばかりではないですか。」
王子夫妻の光魔法が取り持つ恋愛譚は、民衆に受け入れられ、都市部では劇を上演し、子供たちには絵本を手渡していた。
「あれは文化振興だそうよ。それに王妃でもある母が、様子をみている可能性もあるわ」。
一呼吸置いて、王女殿下は呟く。
王子妃に財団の資金を触らせないために―。
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三曲目のワルツが始まりそうだった。王女殿下の前には挨拶の列ができている。卒業夜会が始まったばかりのホールは、想像していた以上にひしめき合っている。殿下の休憩時間は先だが戻りたい。
次兄は休日のはずだったが、夜会の終了時間を見計らい一旦王宮へ戻るようだ。
少し会場の喧騒から逃れ、裏側より騎士に入れてもらうため、次兄と共に外の回廊に向かおうとすると、礼装の白い隊服を着た王宮の近衛騎士が、私に向かって来ていた。
「マリウスか。そうか、王女殿下のお迎えだね。」
引き出した私の前髪に指をもう一度滑らせながら、兄が私の顔を覗き込む。
「久しぶりだな、セドリック。殿下は、ダンスが終わればソフェーリア嬢は外の回廊に向かうからと。」
夜間の近衛警備の多いマリウス様とは、お名前は知っていたものの、直接お話することもないまま数か月が過ぎていた。
「近衛隊長を貸していただけるとは。それでも殿下の周りに十名以上は配置されているが。」
「殿下のお側に、ヒュンベルト殿もいるから大丈夫だそうだ。しかし流石だな。閣下が、お側を離さないのが分かるよ。」
「これでも、毎日家には帰っているんだ。忙しさでは父上の方が上だからな。」
「次官殿の代わりはいらっしゃらないだろう。」
「ふん―。さあ、父上も待っているので、ソフェーリアを頼む。」
背の高い二人の間に、急に押し出された私は、慌てて令嬢の礼をする。
「お初にご挨拶申し上げます、ソフェーリア・パトランでございます。グランベル次期侯爵様、お見知り置きくださいませ。」
マリウス様は少し驚いた顔をしている。何か失礼があっただろうか。見上げながら考えていると、横でセドリックが吹き出した。
「ククッ、妹の頭が固いのを忘れていた。ソフェーリア、マリウスとは我が家で何度も会っているよ。そうでなくても同じ王女殿下付きだ。顔見知りだろう。」
「近衛騎士様と直接お話したことはまだありませんので、ご挨拶は初めてですわ。」
見習い研修で王宮中を巡った際に、十名で並んでご挨拶をした。マリウス様のお名前は、第六隊長としてお聞きして、王女殿下のお部屋でもその銀髪青眼のお姿を時折見かけている。
次兄を詰りそうになるのを辛うじて堪えた。外に出たとはいえ夜会の席だ。誰が見ているかわからない。
機嫌がいいのか悪いのか。行動一つ一つに爆弾を落としてくるセドリックに、今日は調子を乱され続けている。
「そうか、数か月経つのに。――ならば風除けだな。どうせ、王女殿下に嫁がされるようなものだ。」
そう言ってセドリックは、またソフェーリアの顎を上げさせる。胸元のチーフに刺していた白バラの蕾を抜き取り、左耳の上に挿し込んだ。
「おい!セドリック!」
「王女殿下もお待ちだろう、裏に回わるなら早く行け。」
囁き声で咎めるマリウス様にひらりと手を振りながら、次兄は学院の門の方へ向かう。数歩進んだ所で振り返り、見返りながら小さくマリウス様に言った。
「言い忘れた。そいつは見た目より使えるぞ。」
「しっ!失礼ですわ。」
今度は、私が荒げそうになる声を飲み込む番だった。俯きがちで、なにもできないだろうと思われたところで、私は損をすることはない。と、普段の取り澄ました態度ができず、手を振り消えていく次兄を見送った。
「グランベル様、左からホール裏へ参りましょう。私も少し走ります。」
ささやき声で話かける。木の陰になる回廊は夜になると真っ暗で、庭に街灯はあるものの誰が潜んでいるかも分からない。
「しかし君はそれでいいのか。」
何のこと、と考えるがマリウス様の視線の先にあるのは、左耳の白バラだ。
「――私は王女殿下に嫁ぎますので。」
「そうか。」
王立学院を卒業すれば、今まで途切れ途切れだった見習い研修の時期も終える。十日後には、王宮侍女として部屋を賜り、外出が許されなければ暫く実家に帰ることもない。
そして次に故郷に帰るのは、およそ一年半後に予定された、皇国への渡航前であり、それが過ぎれば皇国で侍女として骨を埋め、家族と会う機会も無くなりそうだった。
昼間は木陰で散歩しやすい道だが、この夜中にポツポツとある街灯に頼っての道のりは流石に心細く、マリウス様が居てくれて良かった。
靴音がしないようにぴったり誂えた白銀色のダンスシューズは、ドレスの裾をやんわり抱え、小走りになっても動きやすい。四年間制服で通った学院の回廊を、白いドレスで足首までは見えないように捌いていく。
校舎の見える角を曲った先に、ホール裏側の入口に立つ騎士の姿があった。
更に通路の向こうの入口には、木箱が山積みになり、騎士の近くで料理人が休憩でもしているのか、エプロンが掛けられているのが街灯の下に見えた。
「第六隊グランベルだ。誰も出入りしていないな。」
「はい。この入口は人を近づけておりません。」
入口を外側に開けると、少し離れた通路の壁際に白い騎士服を見つけた。来賓も通る通路を抜け、舞台裏へ。造りは古いが淡いグレイの漆喰に控えめな装飾が施され、魔導照明で明るい。
さらに進むと、演台やテーブル等をしまう用具倉庫の入口があり、その扉の前と奥の扉を見守る騎士がいた。扉を確認した騎士が開くと、舞台袖に騎士や生徒会役員がいて、筆頭侍女のエミリア様が椅子に控えているのが見えた。
エミリア様に近づくと肩越しに、殿下が栗色の髪の令嬢からカーテシーを受けているのが視えた。横に並ぶ父親が緊張しているのがわかる。
「ヘミング子爵、ロッテ嬢の土木工学の発表は素晴らしいものでしたわ。よい官吏になると思いますわ。」
「はい。宮廷に出仕できるほどのものとは、親の方が思っていませんで、殿下のお力添え感謝しております。」
「誠心誠意努めさせていただきます。」
「ロッテ、身体は大事にね。」
運河についての研究を自由課題に提出していて、休み時間も数学の参考問題を解いていた頑張り屋だ。登用試験に良い成績で合格したと殿下から聞いている。
親子が深く礼をしてホールに戻っていくのを見ていると、一人のお仕着せの給仕が気になった。
王女殿下のため、ホール全体を警備し入口や通路にいる騎士やエミリア様の他にも、給仕や料理人に紛れた騎士もいるのは、行事として行うサマーパーティーと同じだ。
ただこの卒業夜会には、例年の生徒会主催ではなく、王女殿下の主催のスタイルを取ったためこれまでの夜会行事より警備が増えている。
昨年、殿下も私達の学年と同じデビュタントを迎え、成人となった。殿下が夜会の主催に立つことで、ご挨拶の形で上位の貴族だけでなく、下級貴族や平民とも対話することができる。
今日の卒業と同時に、実家の爵位や家業を継ぐもの、他家に嫁ぐものもいる。
普段は殿下から許されているSクラスの同級生と上位貴族の子女の一部だけが、殿下に近づくことができるため、他の生徒は同級生と言えども会話する機会はほとんどなかった。
エスコートした家族も、それを期待して王都に出て来たものもいるだろう。深夜まで挨拶が続くのは避けられず、殿下も疲れるまではと仰られた。
考えながら、先程の給仕を目で追っていたようだ。
殿下のいる壇上は灯りが近く、奥のテラス寄りになるほど薄暗く見えづらい。壁際に並ぶ卒業生の着る白いイブニングドレスとホワイトタイの中を、揃いの燕尾服を着た給仕が飲み物を持ち歩いている。
その給仕の顔は陰になっていてよく見えないが、何か違和感が付き纏うのだ。
もう少しと身体を動かすと、殿下が私達に気付いたようだ。少し右手を動かすと、付き添っていた生徒会長が次の親子に休憩に入ると告げた。
他の生徒会役員が並んでいた親子に番号の入ったカードを手渡すのが見えた。
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