隣国で王妃になる王女殿下に随伴するはずの見習い侍女ですが…。

藍冴える

第1話 はじめましての日①

 私、ソフェーリア・パトランはラグゼングル王国の伯爵令嬢である。

 そして、今月両家でサインをしたばかりの婚約者のマリウス・グランベルは、南方の要塞、ケルフェック城一帯を治める辺境侯爵家の嫡男だ。


 

 私達は、十九歳と二十四歳で急に婚約することになった。

 それは隣国に嫁ぐソフィアメーラ王女殿下に、私が侍女として付いていく必要が無くなったからだ。


――――



 イスペル皇国の皇太子妃に迎えられる王女殿下には、最後に選ばれた三人の侍女が付き添う予定で、そのうちの一人が私だった。

 他の二人は五年と四年、王家に仕え二十歳を越えた侯爵家と伯爵家の令嬢だったが、私は王家では一年と半分を越えたところだった。



 ソフィアメーラ殿下と私は、王立学院の同じSクラスで同級生となった。昨年卒業するまでの四年間、同じ三位辺りの成績を取り続け、あまりにも同じ様な成績を修めたため、二年生に上がる前頃から自然と休み時間を過ごすようになった。



「成績だけでなく、ソフェーリアと、ソフィアメーラっていう名前も、似ているかしらね。仲良しよね。」

「お戯れが過ぎますわ、殿下。寧ろ、一月先にお生まれになった美しい王女殿下に肖りたい、といった想いで、両親が付けたようですので、恐縮頻りでございます。」

 初めて二人でお話をした頃を思い出す。常に光が射すソフィアメーラ殿下は、蜂蜜色の髪を風に靡かせると、淡い緑水晶の瞳を少し細めて、花が咲いたかのように微笑まれるのだ。


 侍女にならないかとの打診も、それが功を奏したというべきか、とりわけ殿下の嫁先のイスペル皇国語を、私が学年一位二位で取り続けたのも大きかったようだった。


「王家からの打診があれば、それは命令のようなものでしょう。」

 私は十六歳で、当時整いかけていた、同じ西部の州に領がある伯爵位の家の嫡男との婚約を取りやめることになった。


 やがて王家から派遣された講師、フローラ・ガトリン侯爵夫人の教育を受けることが決められた。王立学院の授業後と、休みの日と、週五日体制で座学だけではない授業を、それはみっちりと受けた。


 フローラ夫人は王妃陛下のご友人でもあるため、王宮内に詳しかった。すれ違う相手ごとに変わるお辞儀の仕方一つから、夜会に出る際のマナー、王族貴族の家系図、王宮内での人間関係や勢力図などを含め、いち伯爵家で雇う家庭教師では教えて貰えない授業内容で、あっという間に半年の授業日数が終わりを迎えた。



 そして私が、王立学院の卒業まで残り半年となった頃、侍女見習いとして王宮にあがった。

 始めの頃は、王宮内の建物の配置や、住まわれる方や使用人の名を覚えるのに費やし、出遭う人の容姿と名前を覚えるのに費やした。


 同じ境遇の同級生も何人かいて、始めは研修で顔を合わせていたものの、王立学院の卒業試験を終え、卒業式と卒業夜会を迎える頃には、別の宮の侍女や事務女官として配置され、すれ違うこともほぼ無くなった。


 私は普段から感情をあまり出さない方で、王宮では寧ろそれが利点となり、フローラ夫人の推薦もあってか王女宮付がすんなりと決まった。


 

 卒業夜会の前半は、私にとっては、侍女として王女殿下に付き従う予行練習だった。

 

 王族の卒業の年は、生徒会の仕切りの上に、主催席が設けられる。

 ソフィアメーラ殿下は、真っ白なドレスの胸元をレースで造られたたくさんの花が飾られたエンパイアドレスで、腰より下で裾に大きく広がるドレープが美しく、音楽と共にホールに入場し、席に座るまでの動き一つ一つに光を集めていた。



 私は、少し前に次兄のセドリックに付き添われ、ホールについて、まずは楽団や料理人などの準備中の人員や周囲を確認し、主催席の近くに隠れられるように、立ち位置を確認していた。


 会場の確認は、官吏であるセドリックには十八番のようなものだった。

 ホールの危険な箇所や気配を気にする場所といった注意点。殿下を導く動線や騎士の配置。台上に置く椅子への照明の当たり方や花の移動などを、即座に確認しては提案といった形で生徒会に取り入れさせた。


 私も昼休みなどの合間を縫って、生徒会とホールに入り数回確認してはいたものの、兄の微修正のそれぞれが、ソフィアメーラ殿下を引き立てることには感嘆しかなかった。


 

 そのようにして会場入りを見届けたあと、殿下と上位の貴族の挨拶が済み、学院長より開催の挨拶がなされた。

 音楽が変わり、この秋まで生徒会長を務めた公爵家の令息と、婚約者の侯爵令嬢とのファーストダンスが始まった。

 美しいとしか言いようのない金髪緑眼の二人は、私達四年生のみならず、春に入学してきた一年生までが憧れ、王女殿下と並び学院の耳目を集めていた。


――――


「本当に、綺麗ね。あの方達がいてくれて、私の四年間は気楽に過すことができたかもしれないわ。」

 卒業が近づいたある日、中庭にできた人集りを眺めて、ソフィアメーラ殿下は小さく呟いた。


「レイノルドの金色も美しいけれど、ミラベーラの凛とした花のような佇まいは、だれもができるものではないもの。――王家に嫁さなかったのが惜しまれるけど、来たらそれはそれでという所よね。」


 マインツ第一王子は二年前に結婚し、王子妃に選ばれたのは笑顔が可愛らしい伯爵家の令嬢だった。光魔法が得意な家系で、彼女も病院や魔物が出た町を巡回し、第一王子の慰問先と何度か重なった。そして東部の公爵家の目に止まり、令嬢の後ろ盾となり婚約が実ったのだ。


 この第一王子と乙女の恋愛婚は、盛大に祝福され、恋愛譚として各地で劇団により上演されている。

 数年経った今では、魔物に立ち向かった王子の傷を乙女が癒やした――といった話で描かれている。

 マインツ王子の婚約者候補とされていた令嬢は、隣国の公爵家へと嫁いでいった。


 そしてジグリード第二王子は、第二王妃の実家のある辺境侯爵家に行ったきり。次々と討伐の戦果が降りて来るが、年に数度も帰って来ない。


「東の公爵の計算通り。」

 中庭から吹いてくる風は、蜂蜜色の繊細な美しいカールを靡かせた。


「南の公爵家は安泰ね。」

 少し大きめに王女殿下が呟くと、中庭の金色の光がこちらに気づき、揃って綺麗にお辞儀をした。


―――――


 そして今、先日の再現のように、観衆から祝福と称賛を受け続けたお二方が、白い騎士姿の近衛二人を従えて立つ王女殿下に向けて深く頭を下げていた。

「なんて眩いのかしら。」

「夢を見ていたようですわ。」


 学院生だけでなく、エスコートした父兄からも声援を受けて、上気し少し照れた微笑みを浮かべている。


「素晴らしかったわ。レイノルド。ミラベーラを大事にしてね。こんなに優しい娘はいないとおもうの。」


「私には過ぎた婚約者です。」

「私を見て、優しいと言ってくださるのは殿下だけですわ。どうぞまたお側に呼んでくださいませ。」


 天使のような捲毛の二人が、殿下のお言葉にお互いを見つめながら話すと、どこからか黄色い悲鳴があがる。


「必ず、招待させますわ。」

 ソフィアメーラ殿下が微笑むとざわめきが起り、檀上から皆に柔らかな笑顔を贈ると、溜め息の渦にホール一帯が呑み込まれた。


―――――


 会場が少し落ち着きを取り戻し、次のワルツに向けた準備の音楽が流れ始めた。

「ソフェーリアも、ファーストダンスを踊って来なさい。」

「殿下のご休憩も在りますし。私には踊る相手も。」

 

 王女殿下が少し振り返り私に告げると、食い気味に、私の手を取ったのは次兄だった。

「殿下、妹を借りて参ります。――さあ、このワルツは踊れるだろう。」

 

 無礼で慌ただしくも、王女殿下にきっちりと膝立ちの礼をすると、セドリックは妹をホールの中央の目立つ場所に引っ張り込んだ。


「こんな場所は困りますわ。」

「この髪色だ。どうせ目につきやすい。」


 今は途絶えた西部の古い侯爵家が、分かれた家の者に現れる闇色の髪。ステップのたびに、セドリックの肩を越す髪が青銀に艶めく。


「青銀の秘書官様よ。」

「今日いらっしゃるなんて存じませんでしたわ。」


 主役である卒業生ではなく、自分に密着する兄が、注目を集める。

「少し髪を切られては。人目を引くお仕事ではないでしょう。」

「宮廷では束ねているから、黒髪と変わらないだろう。きちんと顔を上げなさい、ソフェーリア。」


 次兄の子どもを諭すような言葉につい、背筋を伸ばして軽く睨みつける。

「そう、その方がお前らしいよ。」

 良くできました、と口元を綻ばせると、子どもの頃から何百と一緒に時間を費やしたステップを踏む。

 私のダンスの練習台になってくれたのは次兄だった。それこそ、卒業して隣国に留学する前日まで、伯爵家の音楽室で過ごした。


 セドリックを見上げたまま、視線を逸らさず音楽に乗ると、壁際から声が聞こえてくる。

「なんて美しい。青銀の瞳までそっくりですのね。」

「月夜色のご兄妹ですわ。」

「ソフェーリア様は控えめな方ですが、こんなにも華のあるダンスをされるなんて。」


 終盤に次兄が面白がって少し難度を上げたステップを踏むと、何とか最後のターンのタイミングを合わせることができた。さらに注目を集めていたことに気づき、殿下に頭を下げた後に兄に目線を送ってしまう。

 あちこちから歓声が上がっているので、ニ曲めもダンスは盛り上がったようだ。


 一言抗議をしようと、立ち上がり次兄を見つめると、口を開く前に、こめかみの辺りにセドリックの指先が降りてきた。

「ソフェーリア。今日は君も主役なんだ、もう少し華やかにしていてもいいだろう。」


 編み込んだ髪から二筋、前髪を引き抜くと顎に向けて滑らせた。

「胸を張らなければ、殿下が恥をかくこともあるぞ。」

 

 子どもの頃のように、額にキスをする振りをして顎を上げさせながら告げると、周りの歓声が悲鳴に変わった。


「マインツと歳が離れていて、本当に良かったよ。」

「敬称をお忘れですわ。」

 伯爵家次男のセドリックよりも、マインツ第一王子の方が一歳年上だったはずだ。少なくとも殿下を忘れるべきではないだろう。

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